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「ぼく」と「僕」がまた、手をつなぎあわせる時

 ここ2ヶ月、本当に、鬱屈した日々を過ごしていた実感だけが、身体にこびりついてる。

 この春、ある山奥の学校の高校3年生になった僕は、色んなものを背負って高校の最高学年になったつもりだった。
 僕は、地域の郷土芸能や民俗芸能をする部活に入っている。和太鼓や、日本の各地域に伝わる踊りを踊ったりするという内容だ。5年間続けてきただけあって、僕は、副部長の座についている。

 そのおかげで、学校ではたくさんの人と関わっていた。学校生活が、たしかに存在していたのも自覚しているし、この自粛期間中も、色んな人とコンタクトをちょくちょく取りあっていた。(もちろん積極的な時もあれば受け身な時もある)

 自粛期間もまもない頃はまだ、「ぼく」と「僕」はまだ手を触れあえていた。


 しかし、そういった、これまで積み重ねたものが自粛期間の間に、いつのまにか圧倒的な"重み"になっていた。耐えきることができなかった。

 立ち消えになる1年間の予定。希薄になっていくような、学校の友だちや知り合いとの関係。新入生を迎えられない4月。部活のリーダーとしての責任。行動しづらい雰囲気。
 僕の身体は、一旦重みを下ろしたり、行動することよりも、何かに身をゆだねることを選んだ。

 
 たとえば、“YouTubeのコメント欄”に身をゆだねるとか。

 YouTubeのコメント欄を見ると、チューブを頭にぶっ差して、他人の考えを注入する心地がする。これがクセになってしまう。最近開発された、YouTubeのストーリー機能は特に、心を蝕まれる。
 女性の載ってる動画には、これでもかというほど必ず、女性への評価が書きこまれてる。もし僕が動画の本人だったら死にたくなるな、と思うような性的発言、中傷。ちょっと政治的な要素がある動画だって、ピンからキリまでコメントが溢れている。

 それは、あくまでも世間のほんの一部だ。全人類がそんなことを常に考えている訳じゃない。たしかに、そういうコメントで“溢れている”のは、社会の課題ではあるけれど、1人がすっかり抱えこむべきものではないと思う。

 道を歩いていても「君に子どもを産ませたい!」とか、「DQN」だとか、「朝鮮に帰れよ」「この右翼野郎」なんて、一斉に言われる機会はそうそうない。(川崎市などの各地で起っている、ヘイトスピーチやヤジではまさにそういったことは起こるとは思う)


 そういう悪いところも良いところも、部分部分として、僕たちが実感の中で積み重ねてやっと、なんとなく、正確な“世間”ができていく気がする。まあ、誰も正確な世間なんて計りきれない。当たり前のことかも。
 でも、なかば一部そのものが世間なんだと思いこみ始めてしまった。

 5月中旬、全人類が、魔が差したように思えてきた。テレビや新聞、街の放送、散歩道まで新型コロナウイルスのことでいっぱいだ。どこまでいっても新型コロナウイルスと無縁になれない。


 というか、どこにも行けない。

 僕は、勉強だとか、人に言われたことだとか、やるべきこと以外できなくなり始めた。それ以外の時間はほぼ無意識のうちに、YouTubeとかSNSとかを使って、“世間との交流”に割り当ててしまった。

 そんな時期でも、心に染みてきたことばが現れた。

「私はすりきれかかっていて、接着剤が風化して粘着力を失い、ちょっと指でついただけでたちまち無数の破片となって散乱してしまうように感じられてならない。」
「―私には“人格”と呼べるほどのものがあると思えないのに"剥離"だけがひどく感じられる。」
「東京にいても外国にいても、道を歩いていてふいにたまらなくなってしゃがみこんでしまいたくなったり―」
(開高健 「夏の闇」)


 開高健「夏の闇」という小説は、旅ばかりしている主人公が、昔の彼女と共に、色んな土地を点々としながら、この"人格剥離"をどうにか繋ぎあわせようと、もがく話だ。物語のバックグラウンドとしては、ベトナム戦争があり、深く小説に関係している。
 2020年現在、高校3年生の僕には、想像力を持ってしても、この小説の中には、掴めない感覚がある。戦争体験、時代、人生経験の差・・・。

 けれど、この本を読んで、主人公の“人格剥離”を繋ぎあわせようとする過程だけを追っても、大きく心はゆさぶられた。

 少なくとも、小説を追体験してやっと僕はたしかに「ぼく」と繋いでいた手を離してしまったことを自覚した。

 世間面した「」と、自分にしかわからない「ぼく」。

 他人を指針とする「」がいなくちゃ、人とだって喋れない。でも、「ぼく」がなければ、そもそもの話、人に興味が持てない気がする。人に興味がないなら、会話する意義だって忘れてしまうし、人と関わる事なんか、処理すべきタスクになってしまう感があった。
 そして、世間の考えを蓄えすぎて、おデブになった「僕」は、余分な脂肪でもって「ぼく」を弾き飛ばした。いつの間にか。

 「僕」も、程なくひとりきりの風呂場で、チューインガムみたいに爆発した。

 僕は、寂しかった。

 この文章を書いている日は、初の授業日だった。
 バスに揺られて、山奥の学校へ行くことで、僕は思ったよりも人と話せたし、人への興味もなんとなくは残っている実感が湧いた。

  “自然”を取り扱った授業では、刺激的な内容がいっぱい吸収できた。教室の前のほうに座って授業を受けた。久々の授業ということもあいまって、脳のマッサージでも受けているみたいだった。

 急に教師は、何話目かでちびまる子ちゃんが塀を登って登校した話を紹介して、自分も机に、もそもそ登り始めた。


「考えるということも、机の上から、いつもとは違う視点で世界を見てみるようなことだよ。」


 ありきたりと思いつつも、実際に目の前で机の上に立ってまで説明してくれる人もこれまで会ったことなかったな、と思った。
 後ろの方の席の新入生は、にんまりというか、ニヤニヤして授業を受けていた。
 親近感が湧いた。
 「ぼく」が「僕」の手に、すこし触れたみたいだった。

 帰宅のための、最終バスの時間が2時間縮んだ放課後。僕は友達に誘われて、大雨の中、5人でサッカーをした。

 爽快だった。山奥なので、もはや声や格好を異常に気をつける必要もない。バスに乗るための代わりの服さえあれば良い。
 僕たちは大笑いしながら大雨の中に入って、一つのボールを蹴りあった。雨の強弱がまざまざ感じられる。服がお腹に張りついて、背中の稜線を雨水が滴る。裸足の皮膚をそばだてる水たまり。意味のわからない方向に、ボールを蹴り上げちゃうようなやつばかりが集まっていた。僕も含めて。

  “なにか”から身を守るための「服」をあえて、雨に浸すのはすごく気持ちがよかった。まるで、笑顔で、“世間”にバケツの水をぶっかけるように。

 僕はゲームに負けて、誰に言われるともなく、水たまりで腹筋やら、あぐらをかいたりした。喉から変な笑いがこみ上げて、みんなで大笑いした。校内に入って、びしょびしょの髪を犬みたいに振りまいたとき、感じた。


 「僕」は「ぼく」とまた手をつかみあった。
 

 大雨の中に出てわかったのは「ぼくは世間に抗いたかったのかな」ということだった。


 結局、自分自身を痛めつけるということは、なにかに言いなりにされている自分への抵抗ではないかと僕は思う。

 自分が、世間そのものになっていく心地。自分を中心に判断しているはずなのに、世間を中心に判断していく。ただでさえ流動的な存在を、よりかかりにするのは、僕にとってとても辛い。だから、自己嫌悪したりするのは、痛みを通して、違和に抵抗していくだけのことだ。苦しいけど。

 でも僕は、今日、雨によりかかった。雨に浸かることで、世間に抵抗する気でいた。僕は“世間”になる、すんでのところで、自分と“世間”に冷や水をぶっかけた。別に世間に従わなくたって、気持ちの良いことはいっぱいあるんだよって。水たまりに寝転んで、友達と笑い合うとか。濡れた服の意味を、自分がもう一度定義しなおすだとか。

 そうすることで、「僕」と「ぼく」はまた手を繋ぎ合わすことができた。自分を取り巻くものへの関心を取り戻した。関心がなかったら、ただ僕は世間を指針として世の中の物事を、良いと悪いで分節し始めてしまう。
 

 でも、自分で世の中を作っていけるんだ、関係を作っていけるんだ。そういう、漠然としたモヤのような可能性を見つけて、やっと僕は自分から動き出すことができる。

 その中に、「僕」と「ぼく」が手を繋いでいる意味がある。

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