保守とリベラルを考える

 先日、東京・生活者ネットワークの「新春の集い」で、政治学者の中島岳志さんの講演を聞いた。ぼくは、「リベラル保守による現実主義」をモットーとする彼に、もともと一目置いている。最近は、ファンと言ってもよい。このときの話も非常に示唆に富む内容だったので、紹介したい。

 最初に結論を書こう。リベラルの反対概念は保守ではない。リベラルと保守は、相性が良い。
意外に思う人がけっこういるかもしれない。だが、ぼくはこの数年、同じことを感じてきた。ただし、ぼくは保守の前に「本来の」という言葉をつけたほうが良いと思う。
リベラルと本来の保守は、対立する概念ではなく、むしろ相性が良い。

 中島さんは、政治を①「配分をめぐる軸」(Y軸)と②「価値をめぐる軸」で考える。
①はセーフティネットを強化するか(リスクの社会化)、自己責任(リスクの個人化)とするか。②はリベラル(寛容)かパターナル(権威主義的・父権制的)か(図参照)。ここでいうパターナルは、強い力を持った人間が相手の価値観に介入していくことを意味する。

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 そして、かつての保守本流(旧池田派や田中派)は図のⅠだったが、現在の自民党はⅣに位置付けられると述べる。下段に行き始めた端緒は橋本政権で行われた行政改革である。続く小渕政権はそれを戻そうとしたが、短命に終わり、小泉政権で完全に下段へ移ったと言う。
講演では、自民党などの主要政治家を4つの象限に位置付けて語り、聴衆は興味深く聴き入っていた。

Ⅰ 田中角栄
Ⅱ 大平正芳・野田聖子・現在の石破茂
Ⅲ 現在の小泉純一郎
Ⅳ 安倍晋三・小池百合子

 付け加えると、中島さんは「石破さんはⅢからⅡへ移った。小泉さんはⅢとしたが、そもそも価値に関心がない」と述べた。また、現在の政党では立憲民主党や日本共産党はⅡに、自民党や日本維新の会はⅣに位置付けられる。
 上記の分類は概ね妥当と言えるだろう。ただし、政治の軸にはもうひとつ防衛力や国家観(ナショナリズム)があるだろう。この点で、石破や前原誠司はⅡと言っても、大平や宮澤喜一とは大きく異なるというべきだ。

 ぼくは、安倍や小池、さらに現在の自民党を保守とは思わない。明らかに右翼である。リベラルの対極だ。中島さんは講演で「安倍首相は中国が嫌いのようだが、安倍さんと中国共産党はリベラルから遠いという点では共通性がある」と述べた。言い得て妙である。

 ぼくが本来の保守として思い浮かべるのは、農山村に根付いて暮らす人びとや、そうした地域を大切に思う地方議員や市町村長だ。先祖伝来の農地や山を守り、自給的な農業を営み、TPPや水道民営化といった新自由主義的政策に異議を唱える。祭りやつながりを伝えていく一方で、閉鎖性を少しずつ開き、田園回帰の流れを肌で感じれば都市出身の若者たちを受け入れる。直売所や農家民宿、自伐林業のような新しい取り組みも拒否しない。これに加えて女性への差別的意識がなければ、あるべきリベラル保守ではないだろうか。

 「日本一の子育て村」やA級グルメで注目される邑南町(島根県)の石橋町長や、学校給食に地元産有機コシヒカリを100%供給して視察が絶えないいすみ市(千葉県)の太田市長とじっくり話すと、二人とも故郷を愛する開かれたリベラル保守であると痛感する。



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