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部屋、間違ってないか?

口から溢れた言葉は、「妙な夢だわ」だった。
現実逃避と指摘されても仕方がない。
陳腐な感想ではあったが、その小さな呟きには、希望すら滲んでいた。
その声に、全裸の男女二人が同時に首を傾げた。



仕事を終え、帰宅する。
玄関の鍵を回し部屋に入り、靴を脱いだ時だった。
中から、話し声が聴こえる。
来客の予定も無いし、合鍵など作った事も無い.。故に、人の気配を訝しんだ。
鍵はちゃんと掛けていたし、建物自体がオートロックだから、泥棒という選択肢は確率が低いだろう。
漏れ聴こえる音は穏やかで、その雰囲気が、部屋の外側からでも分かる。
泥棒ならば、もっとガタガタと家探しをしているイメージだ。


杞憂という言葉がある。
その由来は古代の中国、杞の国の男が、天が落ちてくるんじゃあるまいか、と、食事も摂れない程に憂えた事からうまれた故事成語だ。
だが、私は思う。
防犯に甘過ぎただろうかと。せめて防犯ブザーでも持ち歩けば良かったんだろうか。

ともかく、確認せねば。
スマートフォンを汗ばんだ手に握り締め、もう片方の手は傘立てから傘を抜き取り、後ろ手に隠した。
そろりと部屋の扉を開けた。

「おかえりー」
「おかえりなさい」
ドアの入り口付近にへばり付き、きらきらした眼でじっとこちらを見ている、二対の瞳。
見知らぬ、全裸の男女だった。
「足音で分かったから、トラってば、興奮してうるさかったんだよ」
「あー、自分だって、そろそろ帰って来るねって何度も窓から顔出してたじゃーん」

「....は?」
その二人はやたらと馴れ馴れしく、しかも自然に身体を寄せて来る。
固まった私の肩に顎を乗せ、私より身長が高く、若いであろう男は「お腹減ったよお」と、首筋に鼻を擦り付けて来た。
声も出ず、鳥肌がブワァと立った。後ろにひっくり返りそうになる。
「みぃさんてば変なのー!」男は笑いながら、腕で私を支え、ソファに誘導する。
スマホも傘も床の上だ。
青年よりやや年嵩の女は肩を竦め、「あんたは食い気ばっかりね!ちょっと退きなさいよ、みぃ、お疲れ様ー!撫でて撫でてー」ずいっと、頭を目前に突き出してくる。
肌色を視界に入れるのも気まずいので、知らず視線は天井にゆく。

「あの、ここは私の借りてる部屋で、あなた達はどこかとか、誰かとかもーーー間違えてますよね?」
「?」
「みぃ?疲れてるの?」
きょとんとされ、こちらが焦る程の不思議がり様だ。
困惑が更に深まり、脳は、ほぼ思考を放棄していた。
「服とか、あー、個人の嗜好はまず置いておいて、私は全裸の人と話したくは無いので、とりあえず警察よびます。あなた達名前は?いや、もう話さないでいいです。ーーーチッ!ったくさあ!よその家で盛るとか、ほんとあり得ない!」
突如、理不尽な状況に腹が立ち、思わず大きな舌打ちをしてしまう。
途端、二人がびよん!とその場で跳ねた。
「プーだよ!?みぃ、あたしのこといつもめんこめんこ、言ってるのに!小さい頃から一緒なのに!!」
「オレだって、トラだぜ!みぃーさんに拾って貰ってありがとおお、ってちゅーるの量も我慢してるじゃん!」
「あと、こいつに盛るとか無いもん!アタシもトラもちゃんと手術したでしょ?」
「たまなしーって笑ったくせにさー」
「まあ、あってもなくてもトラなんかお断りだけど」
「お局さんはオレもイヤですー」
きゃいきゃい言い争う、裸人。

「....はあ?」
頭を抱えた。
顔だけを改めて見ると、確かに愛猫二匹に似ている気もしなくもない。
瞳の色が確かにプーとトラだし、まあ、そこそこ可愛いのか?とも思う。
いや、論点はそこじゃない。

「妙な夢だわ」

そして冒頭である。

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