『整形』について私が書こうと思った理由(わけ)

おーばです
シリーズ企画「眼瞼下垂のおーばが語る『整形』のおはなし」

今回はプロローグとして
『整形』について私が書こうと思った理由(わけ)
というお話をします。

私が「眼瞼下垂」という病気と向き合うようになって、約20年の年月が流れています。

眼瞼下垂の患者さんやそのご家族との対話では、おひとりおひとりの持つ さまざまな「胸に秘めた思い」を明かしてくださることもあるのですが、その中で
「手術はしたいけれど、『整形』したと思われるのが怖い」という話が たびたび出ました。私は、とても複雑な気持ちが そこに現れていると、感じました。


眼瞼下垂の手術は『整形』することとは違う 私は、概ねそういう立場に立ってきました。
だって、そこには治すべき病気があるのですから。
眼瞼下垂の患者さんは 下がったまぶたのせいで視野がさえぎられますし
そのために視力の形成に影響が出ることもある。
慢性的な頭痛や肩こりなどの全身症状が出てくることもある。
それに 下がったまぶたは 見た目におおきな影響を与える。
劣等感をもってしまったり 周囲からの心無い言動や行動があれば社会生活を送ることさえ難しくなる。
たくさんの不都合があって
でも(手術の環境はまだまだ整っているとはいえないけど)手術をすることでまぶたの開き方を改善すれば
いろんな不都合から開放される。
わたしも最初の数年間 眼瞼下垂は手術さえすればオッケーなのだと 思った時期がありました。

でも 全員のひとがオッケーを感じていない現実に直面しました。
すでに手術をしたという人たちの中には、
「今の自分の顔には耐えられない。元の目に戻したい」という人たちの存在があったのです。

本人の望むように、まぶたは開いたのに。
ぱっちりとしたおおきな目も 手に入ったのに・・・。
満足しなかった人たちには ある共通の理由があったのです。
(その不満の原因についても 今後書いてゆこうと思っています) 


眼瞼下垂の患者さんをめぐる『整形』的な問題は、この20年であまり解決しているようには思えません。
一連の状況を書いたからといって、ひとりひとりの問題が解決できるわけでもありません。
それでも、問題を整理してゆくことによって 何かしらの発見があるかもしれません。

今日から 少しずつ それを書いてゆきます。
よろしくお付き合いください。

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