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相撲部員になったから

あれは、中学3年生の秋ごろだった。
柔道部を引退し、受験勉強をする様な高校に入れるほど頭の良くなかったので時間を持て余していた。
そんなある日、家の近くのデパートで遊んでた時に、携帯に父親から着信が入った、なんだろうと思いながら電話に出ると開口一番、「お前なんかやったか」と言われ背筋が凍ったのを覚えている。
「いますぐ帰ってこい」と言われ何をやったかもわからないまま家に帰った。
家に着くと鬼の様な顔をした父親が立っていた、俺は何をしたんだろうと思いながら近づいて行き、「え、何かあった?」と聞くと。
少しの沈黙の後、父親が口を開いた。
「ある学校から相撲部の推薦の話が来ている」
あまりにも想像を越えた答えに「ふぇ?」と情けない声を上げたことを未だに覚えている。
そこからは早かった、よくわからないまま、相撲部の見学に行き、よくわからないまま願書を書き、よくわからないまま受験をした。他の学校を受験すると言う選択肢もないことはなかったが、頭が悪く何一つ勉強をしなかった自分がまともな高校に入るには、その選択肢しかなかったのだ。受験は無事成功し、晴れて相撲部員となった。
ここからは地獄の様だった、推薦を出せるような学校の相撲部は当然稽古も厳しく、正直柔道も惰性でやっていたこともあり、全くついていけず、毎日辞めたいと思いながら学校に行っていた。
そんな中、転機が訪れる。
忘れもしない、高校1年の12月26日クリスマスの次の日だった、交通事故に遭ったのだ、それも頭蓋骨の骨折と右足の複雑骨折をするほどの大きな事故だ、死ぬかもしれないと思ったことは何度もあるが、そんなことも思えずに病院のベットで目を覚ましたのは初めてだった。
正直、自分が事故に遭ったことも信じられないほど混乱していて、学校の先生を含め多くの人がお見舞いに来てくれたことで、徐々に自分が交通事故に遭ったことを自覚していくほどに大きな事故だった。
そんな中、相撲部顧問の先生から相撲部を続けるか、それとも辞めるかという質問をされた。今考えると当たり前だが、その質問をされた当時はショックだった。正直今後相撲をとれるほどに回復するかもわからない状態だったのだが、即答で続けたいと答えた。
事故に遭う前までは辞めたくて仕方なかったのに、いざ辞められる時が来たのに続けると答えた理由は自分でもわからない。
その後は、辞めたくてしかたなかったはずの相撲を取るために、リハビリをこなし。劇的な回復力で相撲が取れるところまで回復した。
その後、2年生ではほとんど大会に出ることも出来ず、事故の影響で身体が出来上がってなかったこともあり稽古中に怪我をするなど散々だったが。
3年生では県大会で3位入賞したり、全国大会に出場するなど青春と呼べるほどには活躍することができた(インターハイには出れてないけどそこはご愛嬌)、もしあの時、相撲を始めていなかったら、あの時、交通事故に遭ってなかったらこうはなってなかったかもしれない。
人生の中で、勝負の世界を知ることができたのも、青春を味わうことができたのも、少しだけ胸を張って生きることができるのも、全てこの二つの出来事のおかげだ。
偶然とは言え、相撲部の推薦の話を持ってきてくれた当時の顧問の先生と相撲をやるべきだと言ってくれた父親には感謝の念が尽きない。
今後も、多くの選択肢を選びながら人生を歩んでいくだろうと思うが、自分の中でいつまでも残り続ける選択を選べる様にしたいと思う今日この頃である。

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