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展示「五月の虹 手が届く」に行った話


昨晩もあまり寝れず、酷い目覚めでベットから起き上がる。
今日は何としてでも行きたいところがあったので、かなりきつかったが何とか朝食をとり素早く準備をする。本当は昨日行く予定だったが、あまりにも体調が優れなかったのでその日は無理をせずに家で休んだ。

名古屋駅から近鉄に乗り換え四日市に向かう。
普段地下鉄を使うことが殆どなので風景が見える電車に乗って揺られているのはとても心地よかった。窓の外は大雨だったが私の心はかなり晴れていた。


無事四日市駅に到着し目的のバスに乗ろうとするが、反対の出口に出てしまい、あわや乗り過ごしそうになる。これを逃すと次は2時間後で今日の展示には間に合わない。絶体絶命だったがギリギリ乗ることが出来た。全身の力が抜ける。

初めての場所で乗るバスはかなりデンジャラスだと毎回思う。到達するまで色々なことに半信半疑になりやや怯えながら乗車している。
窓の外の景色を見るのが大好きなので、目的のバス停まで40分ほどあったが一瞬で流れ着いた。最近よく聞くJYOCHOの曲をずっと聞いていた。


バスを降車し辺りを見回す。
静かで緑が広がっていて、何とも落ち着く場所である。


『おやまだ文化の森』

展示はそこで行われていた。少し坂を上るとその建物が姿を現す。外観がとても趣があってワクワクしたが、初めての場所なので恐る恐る入っていった。
階段を上り2階に行くとちょうど『出張トナカイ写真館』で撮影中のトナカイさんが目に入る。
私も後でこういう風に撮ってもらうんだ…と全く現実感がないままギャラリーに入った。

ひとつづつゆっくり見ていった。同じように飾られている詩も、その言葉たちが滑っていかないよう咀嚼しながら飲み込んでいく。

写真を見ていて誰かを愛するというのは素晴らしいことだなと思った。それが出来る、愛したい相手がいる、そして愛によって形作られたものたちがあって…
なんて尊いんだろう。ひとつの奇跡を見ていた。


私がギャラリーに来た時には人が賑わっていたが、段々と人が減っていく。
優しく流れるBGMのピアノ。
あまりにも愛に溢れた写真と詩たち。


生きていることが、存在していることが赦されている。


漠然とそう感じた。
気づいたらポロポロと涙が流れていっていた。

戸惑ってなんとか平静を取り戻そうとする。
一度無にならなければ。心の奥底にある何かが決壊しそうだった。それほどに目の前の作品達が体に浸透していく。
何かとても温かいものに包まれているようで何故か分からないけど嬉しくて。そんな気持ちだった。


それからしばらくしてチェキを撮ってもらった。
かなり気恥ずかしい。
改まって「カメラの前に立つ」ということが緊張でもあり、喜びでもあり、恐怖でもあったから。


撮影が終わり、閉館の時間が近づいていることに気づく。1階に喫茶室があるということだったので連れていってもらい、有難いことにトナカイさんにロイヤルミルクティーをご馳走になった。

これがめっっっちゃ美味しかった


オーナーの方と色々な話をしていたら、「外の緑は天気が良かったらもっと綺麗なんですよ〜」と仰っていた。きっとそうだろうな。窓ガラス越しに映る瑞々しい木々を見てそう思う。


でも私は今日が雨でよかった。キラキラと陽の光が降り注ぎ、風が吹いて宝石のように輝く新緑も美しくて好きだが、今日は何となくそういう気分じゃなかった。
ここ数日晴れ晴れとした気分からは遠いところにいた。今もこれからも定まらず、でも踏み出さないといけない状況で少し追い詰められており、私はすっかり自信喪失状態だった。
そんな私にとって規則的に降り続けている雨は、何も言わず静かにそばに居てくれるようで安心した。



おやまだ文化の森は、素敵な建物の中に素敵な方達が沢山集まっていた。
″また思い出したい"と思える日になったことに感謝だ。


オーナーの方と別れ、帰りのバスにトナカイさんと一緒に乗った。

🦌「犬がいた」
😌「ボーダーコリーかな」
🦌「あの建物に凄い合ってますね」
😌「ほんとですね、白い洋風のお家」

終始平和な会話が進みながら、ぼーっとバスに揺られる。


駅でトナカイさんと別れる時、「ちょっと最後に1枚撮りましょうか」と言われ、めちゃめちゃに人が行き交う中で、そこに立ってくださいと言われる。Leicaのシャッター音が響く。


カメラの前に立つのは本日2度目だったが、やはり緊張と恥ずかしさが混ざりあって心の波が音を立てていた。さようならをした後、「顔歪んでいなかったかな…」と不安になりながら歩いた。



実は去年の秋、私はトナカイさんに肖像撮影の依頼をしていた。

幾度なく自死の選択をしたが成し遂げられず、この先どんな目にあっても死ねないまま人生が続いてってしまうと思う。ある時を境に過去の出来事が頭から消えてしまい、自分のことすら何も分からなくなってしまった。ならばせめて自分の本当の声が、姿が知りたいとメールで伝えた。(その時は事情が重なり撮影することは出来なかった)


帰宅して少し経つと、トナカイさんからメッセージと共に写真が送られてきた。

そこにはとても幸せそうに笑う私が写っていた。

一瞬にして涙が溢れてきた。
こんな表情が生まれるまでになったんだな。そんなことを思いだすと涙は延々と流れてくる。

そこに写るあなたを見て「私は大丈夫だ」と思った。不思議と安心が胸に宿る。



今まで数え切れないほど死の淵に立った。

生まれてきたことに後悔し、自分の存在自体が恐怖と嫌悪で、自分を罰し続ける日々。そして自分がそんなことをしていると気づくまでに沢山のものを消費した。

そんな日々を過ごし続けた私にとって、今日一日の出来事はあまりにも特別で奇跡だった。


そして宝物を貰った。自分の肖像というのは、自分だけの宝物だ。

「誰よりもあなたを美しく撮る」という愛でやっていく、という気持ちでいます


 

私がトナカイさんに肖像撮影の依頼を決心したのは、このツイートを見たことがきっかけだった。

今手元にある写真を見て、ただこう思う。
トナカイさんに撮ってもらえて本当に良かった。



この世が地獄なことに変わりはない。社会はどんどん悪い方に加速している。過去も未来もずっと恐ろしい。
それを嫌という程味わってきているのに、なぜ命を捨てきれずまだ生きてしまうのか。

その理由のひとつが「五月の虹 手が届く」にはあったような気がした。


トナカイさん、本当にありがとうございました。





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