この国の人間は、いっぺん携帯をぶっ壊してみるべきだ

軒先で猫の死骸を見つけたり、取引先に怒られたり、大切な友人に傷付く言葉を吐かれたり。散々な一ヶ月を労うためにも、僕は今日、湯船にお湯を張った。

誰かが「風呂は人間が唯一重力から解放される時間」と評したけれど、本当にそうだと思う。その言葉を聞いた当時の僕は、知恵の輪くらい性根がねじ曲がっていたから「プールもそうじゃね?」なんて横槍を入れていたけれど、今はそんなくだらない事はどうでもいいほどにお風呂が好きだ。

入浴剤を入れて、スマホでウマ娘のストーリーを見ながら湯船に浸かると、身体中のコリや汚れ、疲労感にあの日流した涙の理由――ワケ――まで、だくだくと流れ落ちていく。最高だ…スズカ、お前もお風呂も、いつだって俺を蕩けさせる……などと恍惚とした表情を浮かべていると、不意にスマホの画面がブラックアウトした。

何事かとあらゆるボタンを押してみたが、反応はない。とうとう寿命が来たかと諦めた僕は、スマホを浴室の外に放って、もう一度湯船に戻った。ぼけーっと天井を眺め、ふと思う。

最近の空の色は何色だったのか。風に乗って運ばれてくる春の香りはどんな匂いだったのか。空気は何色で、このところ僕は何を考えて息をしていたのか。なにも思い出せなくなっている……というか、この数か月間、何も見ず、嗅がず、感じずに生きていたのだということを思い出した。

結局、手持ち無沙汰になった僕は早々にお風呂を上がった。服を着て髪を乾かし、一服しようと煙草を探すも、切れていたことを思い出し、コンビニへ向かうべく、しぶしぶ深夜の街へ繰り出した。

いつもだったら耳にイヤホンをはめて、スマホから流す音楽を聴きながら夜道を歩くところだけれど、もう画面が点かなくなったスマホを持ち歩いたところで意味はないと部屋へ置いてきていた。久しぶりに、静かな街の静かさを耳で感じ取る。

遠くの空が少しだけ明るくなっていて、夜と朝の境界線を踏み外さないように歩く。遠くでトラックが走る轟音が、柔らかな振動と共に鼓膜を揺らす。民家が雨戸を開ける音がする。コンビニ店員は感情のない声で僕に煙草を手渡すと、いそいそと事務所へ戻っていく。この街の風景の一部にじんわりと溶け込んでいくような感覚が、僕の身体を包み込んだ。

きっとスマホが壊れていなかったら、今夜、僕は街や生活、時間、季節を感じられなかっただろう。この街も、人も、視界に映る風景の一部でしかなく、耳にはめたイヤホンから流れる音楽に心を合わせて、気分良く通り過ぎていただけなのだろう。

だけど、果たしてそれは本当に生きていると言えるのか、僕にはわからない。ただ一つだけ言えることは、スマホがたまたま壊れた夜にコンビニまで歩いた数百メートルの距離は、その中で見た風景は、ここ数ヶ月の視界のなかで一番リアルな質感を持っていたということ。

きっと、僕みたいな人は少なくない。日常に忙殺され、嫌なことや心配事が頭を埋め尽くして、どうにか逃れようと伸ばした右手にはいつだってスマホが握られていて。どうしようもない孤独も、耐えきれない不安も、スマホは少しだけ緩和して、僕らに電子の夢を見せてくれる。

だけど、僕らがその目で見つめるべきは、遠い世界の話じゃなくて、顔も知らない誰かの日常ではなくて、今僕らが立つ場所から見える、ありのままの風景なのかもしれない。歩いて回れる場所なんて、たった半径数百メートル程度の範囲でしかないけれど、その中に僕らをハッとさせる何かが隠れているかもしれない。

スマホが壊れた夜だから、そのことに気づけた。スマホからウマ娘ができないのは不便だけど、もう少しこのまま不便な生活を楽しんでみるのもいいかもな、なんて思う、奇妙な夜だ。

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