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チョムスキーとの対話 8チョムスキーの講演

(録音した音声をもとに書き起こしたもの)

 こんにち、「権力に立ち向かう」という考えは十分に実行可能なものです。また、そうすることは理にかなったことでもあります。権力はそれが自らの正当性を証明できない限り不当なものですが、証明が可能なことはほとんどありません。

 しかも、以前に比べて状況は大きく変化しています。今「政府による抑圧」というと盗聴くらいのものであって、政治的な暗殺や、警察が大衆運動を壊滅させるために大規模な作戦を展開することではありません。もちろん、今でも政府は大衆運動を潰そうと虎視眈々と狙っています。戦争も起きています。恐ろしい戦争です。しかし、五〇万人規模のアメリカ軍や6、7万人もの韓国の傭兵軍が南ベトナムを一掃して、インドシナの大部分を壊滅に追い込んだような状況とは違います。

 それに、今回の戦争への反対運動は、ベトナム戦争の時とは違い、私の記憶にある限り、西洋の帝国主義の中で始めて戦争が正式に開始される以前に市民が立ち上がって反対の意思を示した最初のケースでした。しかも、それは現在も続いています。私が望んでいるレベルではありませんが、ベトナム戦争中とは比較にならないほど盛んに行われているのです。コインテルプロ(1956年から71年まで、FBIが共産党、市民権運動家などの活動を妨害するために実施した極秘行動)はフレッド・ハンプトンの暗殺に見られるようにひどいものでしたが、ウォーターゲート発覚後の数年間で一般に知られることははありませんでした。コインテルプロの情報はウォーターゲートと同時期に漏洩していましたから、これはかなり驚くべきことです。

 また、メディアがそれを取り上げることもありませんでした。情報は公開されていたものの、誰もそれに注意を払わなかったのです。しかし、コインテルプロに比べればウォーターゲートなど取るに足らない出来事です。今ではそれに似たような活動を政府が行うことは不可能でしょう。市民の関心がそうしたことについて高まり、政府の活動に注意を払うようになったからです。

 今は権力に抵抗することについて、真剣に考えられる環境が整っていると思います。それほどの困難を伴わなくても、権力に抵抗する方法がたくさんあるからです。アメリカの今の状態を考えてみてください。私はあちこちを講演で回っていますが、60年代よりも市民活動は活発になっていると思います。確かに小さなグループが分断されていてバラバラに動いているような状態ですが、活動している人たちは確かにいるのです。

 国民の意識調査を見ても、それは明らかです。今では二大政党のどちらも、重要な問題において国民の希望とは反対の政策をとっています。問題は深刻です。だが、まとまった組織運動と、権力、それも存在するべきではない権力に対する抵抗をする人たちが存在しています。

 二つだけ例をあげてみましょう。今国際社会がもっとも注目している問題といえば、アメリカによるイランの攻撃でしょう。もしそれが実行されれば、イラク戦争がまるで小規模な作戦であったかのように思えるはずです。さて、一般のアメリカ人はそれについてどう考えているでしょうか。調べてみると興味深いことがわかります。

 ある研究所がイラン人とアメリカ人に行った大規模な調査結果があります。それによると、どちらの国民も基本的には同じこと、つまりイランとアメリカが妥当な政治的合意に達することをを望んでいます。圧倒的多数、およそ75-80%の人たちが、イランにも核兵器非拡散条約内で認められた範囲での核エネルギーを得る権利があるものの、核兵器は持つべきではないと考えている。また、それと同じ位の割合のアメリカ人とイラン人が、イラン周辺の国や地域は核兵器を持つべきではないという見解で一致している。

 また、さらに大勢のアメリカ人、およそ80%の人びとは、アメリカが核兵器非拡散条約で定められた法的な条件に従い、現在アメリカにある全ての核兵器を廃絶するべきだと考えている。やはりアメリカ人の80%が、イランに武力行使をするという威嚇はやめて、通常の政治的話合いを持つべきだと答えている。これが一般国民の考えです。ところが、有力な大統領候補者のなかで、こうした民意を代表している人はいません。有力な候補は、一様にイランとの戦争をちらつかせるべきだと主張しているのです。アメリカに残された選択肢といえばそれしかないということにされています。

 じつは国連憲章で武力の行使や武力行使をもって他国を威嚇することは禁止されているので、戦争を起こすと脅迫すること自体が国際法の甚大な侵害です。しかし、そんなことはどうでもいい。われわれが戦争犯罪を犯したと言いたければ言えばいい。これが政治家の見解であり、メディアなどで許されている議論です。ところが、それでは民意を反映していない。こうした状況下で、国民を組織活動に呼び込むことは十分に可能なのです。

 国内の企業権力に立ち向かうことについても同じことが言えます。60年代には想像もできなかったことが、いろいろな形で実現しているのです。長年、アメリカ国民の主な関心事だった問題にもそれがはっきりと現れています。国民が長年もっとも関心を寄せていたことといえば、健康保険制度ですが、現在の健康保険制度は完全に破綻しています。

 この問題についても民意ははっきりしていて、過去数十年もの間国民の大多数は、メディケア(政府が運営する高齢者向け医療保険)を全国民に適用するような形の国民健康保険を支持してきました。それが現在の健康保険よりもはるかに効率がいいからです。しかし、選挙戦でこの意見が取り上げられることはありません。2004年の大統領選挙でも、言及さえされませんでした。「政治的に不可能」と一蹴されただけです。国民がどれほどそれを望んでいようと、保険会社や製薬会社が反対している限り、それは「政治的に不可能」なのです。

 しかし、この理屈はもはや通用しません。今では国民からのプレッシャーが無視できないところまで強まっているので、政治家はなにがしかの対策を迫られています。国民が望んでいることではないにしても、なんらかの手を打たざるをえないということです。

 ここでも国民が組織活動を始める下地は整っています。そうした活動が起きれば、問題はたんに健康保険が立ち行かなくなっていることではなく、企業による支配が健康保険制度をだめにしているということを大勢の人が理解するでしょう。そうなれば、現在合法だと考えられているけれども、実際には非合法的だとみなすべき権力の中核に迫ることも可能になるのです。

続く

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