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ソジャーナ・トゥルース 31主人との最後の再会

 主人に関係を強要されてできた不義の子はどうなったのか、この伝記からはわかりません。それでも奴隷制に反対するようになった落ち目の主人を赦し、神の加護を祈るソジャーナ。想像を絶する人生です。

(写真:12月10日からのハヌカ祭に備えて、ユダヤ系コミュニティセンターに飾られる特大メノラ)

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 1849年、ソジャーナは長女のダイアナを訪ねた。ダイアナは病気がちで、イザベラの親切なもと主人のデュモント氏のもとに留まっていた。デュモント氏はまだ健在だったがめっきり年をとっており、数年来資産も減っていた。しかし、奴隷制については見ちがえるほど啓蒙されていて、ソジャーナにこう語った。

「奴隷制ほど世界で忌まわしいものはない。人類が経験した中で最悪の呪いだ。今でこそはっきり分かるが、奴隷を所有していた時にはそういう風には考えなかった。当時のわしにとって、奴隷を持つのはほかの財産を持つのと同じ、全く正しいことだった」
ソジャーナは「今奴隷を持っている人たちもそう考えているんでしょう」と言った。

「いや」デュモント氏は思慮深く答えた。

「それは違う。奴隷制の罪については今やはっきりとあちこちに書かれている。反対の声も上がっている(全世界が非難しているではないか!)。 そんなことは知らないし聞いたこともないという人間がいたら、その人はきっと嘘をついているのだろう。しかし私が奴隷を所持していた時、大っぴらに反対する人なぞほとんどいなかったし、そんなことを言う人間は誰も相手にしなかった。今のような時代だったら、私が奴隷を持ち続けたと思うかね? とんでもない! そんな滅相もないことはしなかかったし、手元に奴隷がいたら一人残らず解放していたことだろう。今とは全く違う。今はその気になれば反対意見をいくらでも耳にできるのだからね」

 読者のみなさん、この警鐘や反奴隷制の真実がもっと声高に叫ばれる必要があるのは、相手が「都合の悪いことを聞きたくないために耳をふさいでいる」(訳注:マタイ13:15より)階級に属していて、その声が彼らに届かないせいだろう。

 そのあとソジャーナは、娘のダイアナから12月19日付の手紙を受け取った。デュモント氏が息子数人とともに「西部に向かい」、ソジャーナが預けていた家具もおそらく間違えて持ち去ってしまったということだった。
「まあ、いいさ」ソジャーナは言った。
「貧しい人にあげるのは、神さまにお貸しするのと同じだからね」(訳注:箴言19:17より)
 そして、元主人が自分にあのように殊勝な話をしたことを神に深く感謝した。さらに彼が「本当のことを話せ、正直でいよ」と自分の奴隷たちに垂れていた説教を思い出して笑った。

「まったく、自分でずっと盗みを働いてることに気がつかず、奴隷には『ウソをつくな、人のものを盗むな』と言い続けていたとはね! デュモントさんの告白を聞いて、わたしは胸がすうっとしましたよ。主人が元奴隷にあんなことを告白するなんて。 奴隷を持っていたご主人が、兄弟になったなんて! 気の毒なデュモントさんに、神さまのご加護がありますように。それに今も奴隷を持っている人たちが、デュモントさんのように改心できますように!」

主人との最後の再会 了 つづく

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