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ソジャーナ・トゥルース 30もう一つの野営集会

 ソジャーナは説教の名人だっただけでなく、ゴスペル歌手としても相当の逸材だったようです。力強いソウルフルな美声は、エラ・フィッツジェラルドかアレサ・フランクリンか。しかも歌詞を検索してもこの本以外の結果が出てこないので、讃美歌はオリジナルだったのかも。さすらいのシンガーソングライターとはソジャーナ、ますます魅力的です。

 今は最近の有名人のことならあらゆる情報がネットで確認できる時代ですが、ソジャーナについては晩年の写真が数枚と、本作を含む文書がわずかに残るのみ。暴徒を静めたという絶唱についても、想像をめぐらすしかありません。

 ソジャーナはこのあと1850年、支援者の力を借りてマサチューセッツ州に念願の家を買いますが、7年後には財産をすべて処分したあとミシガン州に移り、第七日の再臨教会で奴隷制廃止運動を続けます。 

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 ノーザンプトンに数か月滞在する間、ソジャーナは別の野営集会にも参加して、そこで非常に大きな役割を果たした。

 集会には、若者のある一団が集まっていた。彼らの目的はただ一つ、ほかの参加者の邪魔をしたり気分を害したりして楽しむことだけだ。彼らは、大声を上げたり叫んだりして礼拝を次々と邪魔しては問題を起こしていた。主催者は大人しくするよう説得したが効果はなく、しびれを切らして「警察を呼ぶ」と警告した。

 気を悪くした一団はさらに仲間を呼び集め、百人以上が会場に散らばってとんでもない騒音を立て、天幕に火をつけると脅した。集会の責任者らは会議を開き、若者のリーダーたちを逮捕させ、警察にしょっぴいてもらうことに決めた。武力行使に反対する者たちはこの決定に不満を示した。ソジョーナはみなの困惑した様子を見ておぞ気をふるい、いつの間にか恐怖で体が震えだした。

 あまりの恐ろしさに彼女は天幕の隅に逃れ、切り株の後ろに身を隠してつぶやいた。
「ここにいる黒人はわたしだけだ。だからあの子らは真っ先にわたしを血祭りに上げて、たぶん息の根を止めるだろう」
しかしそこも無事ではなく、天幕が土台からグラグラと揺れだし、ソジャーナは一人ごちた。

「ここは逃げて悪魔から身をかくすべきだろうかーー生ける神のしもべであるわたしが? わたしにはあの連中を静めるだけの信仰がないのか? 『あなたがたのひとりだけで千人を追うことができる。ふたりなら二千人を追うことができる』(訳注:ヨシュア記23:10)と聖書に書かれているのを知っているくせに? ここで暴れているのは千人もいないし、私は生き神さまのしもべじゃないか。よし、これからみんなを助けに行こう。神さまがご一緒に、わたしを守ってくださるだろう」

「ああ」ソジャーナは当時をふり返った。「あのときはまるで、心臓が三つあるような気がしたものですよ。しかもあんまり大きいものだから、自分の胸には収まりきれないようだった!」

 彼女は隠れていた場所から姿をあらわし、まわりにいた人たちに、荒れ狂う若者たちをこれから一緒に落ち着かせようと誘った。彼らはソジャーナの大胆さに驚き、そんなことはとてもできないと言った。

 その晩の集会は広場で開かれることになっており、満月がやるせない光で会場を照らしていた。スピーチをする予定だったある女性は、説教台でブルブル震えていた。騒音と混乱は最高潮に達していた。ソジャーナはたった一人で天幕を後にし、150メートルほど歩いて地面の盛り上がったところに立った。すると体からふり絞るような大声で、キリスト復活の讃美歌を浪々と歌いあげた。

 それはまだ朝まだき 朝まだき
 夜が明けようとするそのときに
 主は身を起こされ 身を起こされ 身を起こされ
 雲にうち乗り天に昇られた

 彼女の讃美歌を聞いたことのある者は、おそらくソジャーナ本人とともにその歌声もずっと記憶することだろう。彼女の節回しや歌い方には、独特の魅力があった。屋外でソジャーナの躍動感あふれるパワフルな歌声を聞くのは、さぞかし胸躍る経験だったに違いない。
 
 ソジャーナが歌いだすと、若者たちは急いで彼女のまわりにやって来た。彼女はたちまち暴徒の群れに取り囲まれた。彼らは攻撃のためか自衛のためか、木の枝やこん棒を手にしていた。男たちの輪が次第に自分に向かって狭まるにつれ、ソジャーナは歌を止めた。しばしの静寂のあと、彼女は穏やかながらきっぱりとした口調でたずねた。
「あんたたち、どうしてそんな武器を持ってわたしのところに来るんだね? わたしはだれにも悪さをしていないというのに」
「殴ったりしないよ、ばあさん。俺たちはあんたの歌を聞きに来たんだ!」大勢の若者が同時に叫んだ。
「歌ってくれよ、ばあさん!」一人が叫ぶ。
「話をしてくれよ、ばあさん」もう一人が頼む。
「祈ってくれよ、ばあさん」三人目が言う。
「あんたの経験したことを話してくれよ」四人目がせがむ。
「そんな近くでタバコを吸われちゃ、歌を歌えなければ話もできない」ソジャーナは返した。
「みんな下がれ」リーダー格らしい男たちが、粗末な武器を振り上げてぶっきらぼうに命じた。群衆はたちまち後ずさりして、ソジャーナを囲む人びとの輪が大きくなった。ソジャーナに髪一本でも触れたら「叩きのめしてやる」というリーダーたちの脅しがきいて、だれも彼女に手を出すことができないと安心し、みなが口々に「歌って」「話して」「祈って」と懇願した。

 ソジャーナはまわりを見わたし、持ち前の回転の早さでこう考えた。
「この集会に集まっている人たちの中には、人に良い影響を与えられる若者がたくさんいるに違いない。よし、彼らのために話をしよう」

 そうして彼女は話し出した。彼らは静かに耳を傾けると、礼儀正しく質問を浴びせた。その時ソジャーナは、自分にそなわっているより優れた叡智をもって彼らの質問に正しい答えを返せたような気がした。彼女の話は、荒れ狂う海に注ぐ油のように暴徒の乱れた心を静め、彼らはすっかり大人しくなった。彼らが声を上げるのは、ソジャーナが話や歌を止めた時だけだった。人の輪が広がったあと、群衆の後ろのほうに立っていた者は叫んだ。
「ばあさん、もっと大きな声で歌ってくれ、こっちまで聞こえないよ!」

 群衆の中で発言力のある者が、近くにある荷車に乗って演台の代わりにするべきだと言った。
「そんなものに乗ったらひっくり返されてしまう」彼女は断った。
「いや、大丈夫だ。だれかがおばさんに指一本でも触れたら、その場で袋叩きにしてやる!」リーダーたちが言った。
「大丈夫。だれもばあさんには手を出さない」

群衆から大勢が声を上げた。ソジャーナは彼らに助けられて荷車に上り、一時間ほど歌ったり話をしたりした。その時語ったことのうち、今彼女が覚えているのはこれだけだ。

「これからあんたたちは二つに分けられる。聖書に書かれているように、人の子の裁きを受けて、ヒツジとヤギに分けられる(訳注:マタイ25:31、ヒツジは恵みを受け、ヤギは災いを宣告される)。ここにいる宣教師の方々はヒツジを選ぶ。わたしはヤギを取る。ヤギの中にはヒツジも少し混じっているが、わたしの選ぶヒツジはみすぼらしい」このつかみに群衆はどっとわいた。

 ソジャーナはしゃべり疲れると、なんとかして若者たちを解散させようと知恵をしぼった。彼女が口を閉じると、彼らは「もっと!」「もっと!」「歌って!」「もう少し歌って!」と叫んだ。ソジョーナは手ぶりで彼らを静めるとまた話しかけた。
「子どもたち、わたしはあんたたちの頼みを聞いて話をしたし、歌も歌った。今度はわたしに頼みがあるんだ。聞いてくれるかい?」
「もちろんだ!」あちこちから声がした。
「じゃあ、讃美歌をもう一つ歌ったら、みんな静かに帰ってくれるかい?」
「そうするよ」数人が小声で応えた。
「いいかい、くりかえすよ」ソジャーナは言った。「今度はみんなが応えておくれ。もう一曲歌ったら、みんな静かに帰ってくれるかい?」
「わかった!」今度はもっとはっきりと返事が返ってきた。
「いいかい、もう一度くりかえすよ」彼女は同じ質問をした。
「わかった、そうするよ!」今度は全員が一斉に大声を出した。
「アーメン! 約束だ!」

 ソジャーナはよく響く力強い声で叫んだ。おごそかで低いその声は電流のように流れ、群衆のほとんどは、相手がほかの人物ならいざ知らず、ソジャーナとの約束ばかりは必ず果たさなければならないような気がした。数人はさっそく帰路についたが、ほかの者は「もう一曲讃美歌を歌ってくれるんだろう?」と聞いた。
「そうだよ」ソジャーナは言って歌い始めた。

主をほめたたえよ 今日主にたまわった印
今日戦場でゴリアテを倒すための印
昔ながらのやり方が正しい
王国を昔ながらのやり方で手に入れよう

 歌っている間、約束を守るよう注意する声が聞こえたが、まだ帰る気配のない者もいた。しかし歌が終わると全員がいっせいに踵を返し、全速力で走り出した。その姿はまるで、隊列をなした蜂の大群が一直線に飛んでいくようだった。

 若者たちがほかの説教者の演台に近づいたとき、人びとは恐れおののいた。ソジャーナの威力が薄れて、彼らが歌の前以上に怒り狂って暴れまわるのではないかと考えたのだ。しかし、心配は杞憂に終わった。驚きが冷めやらぬうちに群衆は一人残らず会場から姿を消し、集会が開かれている間彼らが戻ることはなかった。

 ソジャーナがその後聞いたところによると、群衆が大通りに出たとき、反抗的な者数人それ以上会場から離れることを拒み、後戻りしようとした。しかしリーダーたちが「いや、約束したのだから、これからみんなで帰るんだ。だれ一人会場に戻ることは許さない」と阻止したという。

 ソジャーナがその後ノーザンプトン協会に着いたとき、そこの様子は彼らが掲げる理想とはかけ離れたものだったので、失望の色をかくせなかった。会員は製作所で作業をしていたが、彼らが理想とする美しくエレガントな生活を実現するための物資が不足していたのだ。彼女は気が進まなかったものの、とりあえずそこで一泊することにした。

 だが、質素な暮らしをしている会員が文学に造詣が深く洗練された人びとであり、彼らが設立されて間もない協会で肉体労働や欠乏生活に耐えていることを知ると、「あの人たちがここに住めるなら、わたしにだって住めるだろう」と考えた。

「当代一流の知識人が作ったコミュニティ」に受け入れられるのはまんざらでもなかったから、次第に居心地がよくなり、場所にも住人にも愛着がわいていった。協会には平等の精神があふれていて、思考や表現の自由があり、人びとの心は豊かだった。以前のようなさすらいの旅では決して過ごせない環境だった。

 私たちが最初にソジャーナを知ったのは、この「コミュニティ」にしばらく住んでいた友人が教えてくれた時だった。その人はソジャーナのことを話し、彼女の讃美歌を真似して歌ったあと、ぜひ彼女に会うべきだと勧めてくれた。しかし当時の私たちは、この自然児の「簡単な伝記」を書くことになろうとは夢にも思っていなかった。

 最初にソジャーナに会った時、彼女は懸命に働いていたが、協会で支払われる賃金は受け取ろうとしなかった。「神さまが前にもして下さったように、尽きることのない噴水のように面倒を見てくださるから、地上にいる間すべて必要なものは手に入る」と信じていた。

 しかし、これは彼女の早とちりだった。協会の方針はなんといっても個人が自立することに重きをおいていたからだ。この物語の主人公は、自分の理想が非現実的だと気づき、ここでも必要なものは自力で手に入れざるを得なかった。頑強だったソジャーナの体も重労働や劣悪な住環境やさまざな苦難に蝕まれており、持病や早い老化に悩まされるようになっていた。

 たゆまなく善行を施し、生活に困る者を助け、貧困にあえぐ人に必要なものを与える人*の庇護のもとになければ、そんな状態の彼女が金銭的な苦労をするのはさぞかし辛いことだったに違いない。

 この時ソジョーナはかなりの高齢で、自分の小さな家を持ちたいと願うようになっていた。そうすれば他人の家で世話になるより自由がきくし、一日働いたあとでゆっくり休むことができるだろう。しかし、そうした家を得るには情け深い方々の慈善に頼るほかなく、わたしたちもソジャーナのために読者諸賢の篤志を募る次第である。

 ソジャーナの波乱万丈の人生は、強靭な精神と恐れを知らない勇気、それに教育や慣習にとらわれない幼子のような単純さに満ちている。清らかな性質と、がむしゃらに信念を守る熱意、持って生まれた情熱といった性質は、環境が違えば彼女をやすやすともう一人のジャンヌダルクにしていたことだろう。

 熱情や意欲や激しい思い込みに突き動かされていたソジャーナだったが、その信仰に憂鬱の影がさすことはなかった。疑いやためらいや失望が彼女の心に暗雲となって広がることもなかった。彼女にとっては、すべてのものが明るく透明で前向きで、時には歓喜に満ちてさえいた。彼女は神に全幅の信頼を寄せており、神を信じることによって悪ではなく善を探すことができた。彼女には「完璧な愛は恐れを追い払う」と感じられた。

 だがシンシンの王国で経験したように、屈辱的な妄想から目覚めることも一度ならずあった。彼女はそのせいで心のカギを固く閉め、疑り深くなり、場合によってはほんのちょっとしたことが原因で恐怖におののいた。豊かな想像力がその恐怖心にやどる亡霊を、実際よりはるかに大きく見せていた。

 実際には、時間がたち状況が明らかになるにつれその判断が間違いだったとわかるまで、行動の動機はすべて善だと考えるべきだ。 善良さが見当たらない場合も、妥当な証拠が示されるまでは善悪の判断を差し控えるべきである。とくに自分自身について人はこの原則を当てはめたがるものだが、信用できるかわからない見知らぬ人に対して警戒心を抱くのは、それまで痛い目にあってきたソジョーナにとってしごく当然のことだった。

 人は、他者のどういう動機によって始まったかわからない行いの背後に悪意を読み取りがちだが、そうすることによって良い結果は生まれないどころが、途方もなく悪い結果に終わるものだ。「たとえ正しいとわかっていても、人に批判されるようなことをしてはならない」(訳注:ローマ人への手紙14:16)というのに、一体どれほどの心優しく臆病な人びとが、他人がよかれと思って犯した過ちのために心をくじかれ、失望を味わうだろうか?

 人びとがこの点を改めさえすれば、世界にどれだけの変化がもたらされるだろうか。どれだけの痛みが取りのぞかれ、どれほどの幸せが訪れるだろうか。そのような膨大な変化は、すべてを見ることのできる神にしか把握しきれるものではない。そうなればどれほど良いことだろう!しかもそれを実現させるには、一人ひとりがこの罪を犯さないように気をつければいいのだ。

 なぜ自分にされて嫌がることを、わたしたちは自分に許してしまうのだろうか? 己の行動には一貫性を持たせるべきではないのだろうか?

 さらに、もしもソジャーナが自分をそれほど犠牲にせず、世知に長けていたとしたらどうなっていただろう? もしほかの者も自分と同じだと買いかぶり、困ったときは「もらうよりも与えたほうが幸い」という信念に従って他人も自分を助けてくれると思い込んでいなければ、将来のために貯金に励んでいたことだろう。

 だが現実には、ソジャーナほどの情熱と熱意をもって日夜他人のために働き続ける者はそう多くない。そうした努力を自分のために続けて、稼いだ金をきちんと将来にそなえて貯めていれば、晩年のソジャーナはだれにはばかることなく自由人として悠々自適の暮らしができたはずだ。しかし生まれ持った性質や子どものころに受けた教育(というよりは教育の欠如というべきかもしれない)のおかげで、そうした結果にはならなかった。

 今ではその失敗を挽回することはできない。だからといって、ソジャーナはこのまま貧しさに耐えなくてはならないのだろうか? この問いに誰が一体「そうだ」と答えられるだろうか?

* ジョージ・W・ベンソンのこと(ノーザンプトン協会の共同創設者。協会解散後、ソジョーナはベンソン家に寄宿した)

もう一つの野営集会 了 つづく


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