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ソジャーナ・トゥルース 20イザベラの宗教体験

 読み書きを知らず、教会に行くことも許されなかった奴隷のイザベラは、母親からの教えと主人の家族から漏れ聞く聖書の話から、独特のキリスト教観を育みます。

 私は『文読む日々』の中で、トルストイが「信仰を持たない人間は獣同然」としきりに憤るのを読んで、「自分は人間じゃないんだ・・・」とびっくりしました。そこには「神も仏もあるものか」と、うかつに投げやりになれない重さがあります。

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 ここでいったん私たちの主人公の一時的な外面をなぞることをやめて、彼女の精神的な内面を追ってみたい。人生の試練と神秘を通じて人間の心の働きを見つめるのは、興味深く、いろいろなことを学べる経験である。その対象が生まれつき強い心を持ち、さまざまな影響を受けながら自分の力だけで道を切開いていたイザベラのような場合はなおさらそうだ。彼女の魂は「世に来ようとしていたすべての人を照らすまことの光」(訳注:ヨハネ1:9)を受けて輝いていた。

 イザベラが知識を得るにつれ、その人生は真実と過ちとが奇妙に入り乱れた。あるところでは真実が照らす明るい場所があり、別のところは過ちによって暗く歪曲していた。その魂のありさまは、ちょうど暁の風景を見るようなものだ。朝日が燦然と照らすものがあると思えば、ほかのものは歪んで醜悪でさえある長い影を地面に伸ばしている。

 前の章で見た通り、イザベラの母は娘に神のことを言って聞かせた。彼女の幼い心はそれを聞いて、神が普通の人よりずっと優れている「偉大な方」で、「お空のずっと高いところにおられる」ために、地上で起きることはすべてお見通しだという結論を出した。彼女は神が自分を見ているだけなく、自分のすることをすべて大きな本に書き込んでいると信じた。ちょうど主人が、覚えておくべきことを帳面につけているように。またその一方で、自分の考えを大きな声で言うまでは、神には知りようがないと信じ込んでいた。

 これまでに述べたとおり、彼女は母の教えを忠実に守り、神の前に自分がかかえる問題をことこまかに並べて祈り、神が助けを差し伸べてくれるものと信じて疑わなかった。ほんの子どもだった時に、負傷した兵士の話を聞いたことがあった。兵士は行進中の軍隊に取り残され、たった一人、だれにも助けられることなく飢えていた。そこで地面が硬くなるほどひざまずいて祈りを捧げたところ、神の助けを得られたという。

 イザベラは、自分も大空の下で神に自分の苦しみを大声で訴えれば、神の耳に届きやすくなると考えた。そこで彼女は、自然の中で大声で呼ばわるための聖域を探した。

 彼女が毎日礼拝するための場所として見つけたのは、ある小川にあるささやかな中州で、そこは大きな柳の茂みにおおわれていた。柳の下では羊がけもの道をつけていた。羊は白昼の熱い日差しから逃れ、優雅な柳の木陰に憩いながら、銀色に輝くせせらぎの音に耳を傾けていた。あたりに人影はなく、イザベラは景色の美しさと、誰にも邪魔をされないことに惹かれてそこを選んだ。そこでなら川の流れの音にかき消されて、通行人に聞かれることなく好きなだけ大声で話ができそうだった。

 聖域をそこに決めると、イザベラは中州の下の方、一度分かれた流れが合流する地点に、小島の真ん中に生えている柳の枝を取って来て編み上げ、丸屋根のお堂を作った。材料は柳だけだった。彼女はここに一日一回、辛いことがあるときはもっと頻繁に籠った。

 当時の彼女の祈り――というよりは「神さまとのお話」――はユニークで独特であり、彼女の口をつく言葉の抑揚や話し方が保存できればどんなに良かっただろう。しかし、そうした抑揚も話し方も第三者が言い表せないもので、書き写すことも不可能である。

 イザベラはときどき「天にましますわれらが父よ」と、母に教わった通りオランダ語でくり返した。そのあとは、彼女の素朴な心から自然に言葉が湧き出した。彼女は神に向けて自分の悩みや痛みをつぶさに語り、「神さま、これは正しいと思われますか?」と問いかけ、最後にその時彼女を苦しめているものから救ってくれるよう祈った。

 彼女は、まるで神が自分と同じ人間であるかのように遠慮なく話かけた。実在の偉い人物の前にいる時より何千倍も気安く接したといっていい。崇敬や畏怖の念はほとんどなしに、その時必要なものをずけずけと要求した。要求が命令に近くなることも珍しくなかった。イザベラには、自分が神に従う務めよりも強く、神には自分の要求に応える義務があるように感じられた。どういうわけか彼女の昏い頭には、神が自分の言うことを聞くべきだと思えていた。

 自分が当時偉大なエホバと交わした、衝撃的で不敬でさえある会話を思い出すと、イザベラの心臓は恐れで縮みあがる。しかしその時のイザベラは、神は地上の支配者と違って、優しい父親と偏在する万能の創造主を足したようなものだと、自分に都合のよい解釈をしていた。

 最初イザベラは神に、自分の悩みをすべて取り除いてくれたらお礼に自分は善良になると約束していた。いわば自分が善良になることが、神への報酬だった。自分が他人のために清らかで自己犠牲をいとわない人生を送っても、それが自分やほかの人間の得になるとはとても思えなかった。そんな生き方は神ならともかく、普通の人間には大変な努力を伴う難行苦行であり、のちに彼女が学んだように、言うは易く行うは難しだった。

 月日は過ぎ、新しい困難が次々にイザベラを襲い、彼女は神の助けを求めては同じ約束をくり返した。しかし、いつまでたっても彼女が誓った契約は守られないままだった。

 そのうち彼女は言い訳をするようになり、神に「今自分がいる場所では善良になるのは無理」だが、神が新しい居場所と別の夫婦を主人として与えてくれれば自分も善良になれると言った。また、自分を正しい影響を与える人しかいない環境に置いてくれさえすれば、常に善良になれることを証明してみせるし、今自分を悩ませている誘惑からも解放されると主張した。

 ああ、しかし夜が来るとイザベラは、自分がすべての誘惑に負けて神との約束を一つも守らなかったことに気がついた。一時間もの間祈りを捧げて約束をしたのに、次の瞬間には怒りや冒涜の罪を重ねていたのだ。彼女の心は重く沈み、日々の生活を楽しむことができなくなった。だがそれについて深く考えることはなく、救済を求め、「善良になる」という報酬を約束し続けた。その時々で彼女は真剣に、今度こそ約束を必ず守ると決心していた。

 こうして彼女の内面にあった善行の火花は、つきかけてはすぐ消える火のように失われてしまった。そのあと待ち望んだ変化が起きて、イザベラは新しい居場所と親切な女主人を得た。女主人は、親切な夫に奴隷に厳しくするようせっつくこともなかった。イザベラにとって不満の種は一つもなく、しばらく彼女は言葉で言い表せないほど満ち足りていた。

「あそこは本当に過ごしやすくて快適で、みなさんがそれは親切にしてくれました。足りないものはなにもなくて、私は幸せでしたよ!」

 このヴァン・ワグナー氏宅で、彼女はあまりにも幸福で安らいでいたために、神のことをきれいさっぱり忘れてしまった。なぜ幸せな今、苦しいとき助けを求めるだけの存在に、向き合う必要があるだろう? 問題は何もなかった。彼女の祈りは、一つ残らず叶えられたのだ。彼女を苦しめる者や誘惑をするものは姿を消し、末の子は戻ってきた。上の子たちは引き取っても養っていけないので、夫のもとに残して来たことに悔いはなかった。

 彼らの父親はイザベラよりだいぶ年上で、妻の取った大変で危険の多い道より、解放されるまで奴隷の生活を送り、子どもたちの世話をすることを選んだ。奴隷の身のままでは世話といってもできることは限られていた。ほかの状況にいる人にもよくあるように、まわりには他者への思いやりを示さない者も多くいた。権力を持つ上位の者の身勝手さを真似して、体の不自由や病気により、自分たちの慈悲にすがらざるを得ない仲間に、あえて冷たく当たって面倒を見ないのである。

 この国の奴隷は、カソリックやイギリス国教会の祝祭こそ無縁だったものの、プロテスタントの行事に関しては祝うことが許された。そうしたお祝いには何日か続けて仕事をしなくてよかった。クリスマスにはほとんどすべての家でまる一週間、主人の家族が安楽に暮らすための必要最低限の用事をするほかは、自分たちの好きなように過ごしてよかった。もしクリスマスにたくさん働かなければいけない場合は、その間だけ自由人と同じように賃金が支払われた。勤勉なものは祝日に働いて、賃金を稼ぐことを選んだ。ほとんどのものはお互いを訪ねたり、パーティやダンスに行って、怠惰な過ごし方をするものはあまりいなかった。祝日に奴隷が休める習慣は、どのような宗派でも認められていて、おそらく奴隷主の多くがイギリス国教会に属していたことから始まったものだろう。

 偉大な心と気高い才能のすべてを打ちひしがれた人種の解放のために捧げたフレデリック・ダグラス(訳注:1818年生まれの元奴隷で、奴隷制廃止運動家)は、この件についてこう述べている。
「私が見てきた限り、こうした祝祭の過ごし方は、奴隷主にとって、奴隷の反抗心を抑え込むためのもっとも効果的な手段である。この習慣を廃止した瞬間、奴隷の中から反乱が起きるであろうことは火を見るよりも明らかだ。これらの祝日は、奴隷の中にある人としての反抗心を軽減するための避雷針や安全弁の役割を果たしている。奴隷はこれらの休暇を楽しみに、必死で働いているのである。奴隷主がこの安全弁たる慣習を廃止したり縮小したりすれば、その時はとんでもない厄災に見舞われるだろう! 祝祭を奪われた奴隷からは、大震災よりも恐ろしい厄いが巻き起こるだろう」

 イザベラがヴァン・ワグナー氏宅にいたとき、そうしたお祝いの一つがあった。彼女はそれをオランダ語でピングスターという名前で覚えていたが、英語の聖霊降臨節のことだと思われる。彼女はエジプトをふり返り(訳注:出エジプト記にちなんだ奴隷の生活のこと)、「みんながとても楽しそうに過ごしている」様子を想像した。自分の以前の奴隷仲間がわずかに与えられた自由を楽しみ、お祭り騒ぎで浮かれるところを思い浮かべると、彼らのもとに戻りたくなった。にぎやかな祝祭の記憶と、ワーケンダールの素晴らしい人びととの静かな暮らしを比べて、今の生活があまりにも退屈でつまらなく思われた。もう一度前の家に戻って、祝祭をみんなで祝いたくなった。

 この願いはしばらくイザベラの胸を離れず、ある朝彼女はヴァン・ワグナー夫人に、その日デュモント氏が来るので、一緒にデュモント家に戻りたいと告げた。ワグナー夫妻は驚き、どこでデュモント氏が来るのを知ったのかと聞いた。イザベラは「だれに聞いたわけでもないけれど、ただそういう気がするんです」と答えた。イザベラには前にもこうした予感が的中したことがあった。果たして日暮れ前に、デュモント氏が姿を表した。

 イザベラはもと主人の家に一緒に帰りたいと言った。氏は微笑みながら「連れ戻すことはもうできないよ。お前は私のところから逃げたのだからね」と応えた。本気で言っているのではないから大丈夫だろうと感じたイザベラは、子どもと二人で出発する準備をした。デュモント氏が屋根なしの馬車に腰かけると、イザベラは子どもと一緒に後ろに乗せてもらおうと近づいて行った。

 しかし、馬車にたどりつく前に稲妻のような早さで神が現れて、目をきらきらさせながら自分は「あらゆるところにいて、あまねく宇宙に存在しており、私がいないところはない」と告げた。その瞬間イザベラは自分が、「苦難のときに助けてくれる、絶えずそこにいる存在」である万能の友のことを忘れるという重い罪を犯していたことに気がついた。自分が果たしてこなかった約束の数々が、荒ぶる海に山より高く盛り上がる波のように目の前に積み上げられた。嘘の塊のような彼女の魂は、以前自分が普通の人間のように気安く話しかけていた神の「怒った目」に恐れおののいて縮みあがった。その憤怒に燃える存在から逃げるためなら、地の底にでも地獄にでも潜ったことだろう。しかしどこに逃げ場があったというのか? 「あの目」でもう一度睨まれたら、一息でランプを吹き消すように、自分の存在も抹消されてしまいそうだった。

 死の差し迫る恐怖に襲われたイザベラは、「もう一度にらまれたら、炎が油をなめて燃えつくすように自分は影も形もなく消えてしまう」と思った。
だが神がもう一度睨むことはなく、イザベラが我に返ったときには元主人はもう出発していた。彼女は「ああ神さま、あなたがあれほど大きいとは知りませんでした!」と叫んで家に戻り、仕事を続けようとした。しかし、イザベラが受けたショックはあまりにも大きく、仕事に集中することはできなかった。神と話したいと思ったが、自分の卑劣さを考えるとそれはできなかったし、嘆願することもはばかられた。
「あんたったら、また神さまに嘘をつくつもりかい? これまでにさんざん嘘をついてきたじゃないか! この後におよんでまた神さまに嘘をつこうっていうのかい?」

 神に向き合えなくなった今、イザベラはだれかが自分のために神に話してくれればいいと願った。そうすれば、直に神と交渉しなくてもすむ。立派な人が自分の名前を使ってイザベラのために嘆願してくれれば、神さまはそれがまったく堕落した自分のためとは分からず、願いをお聞き届けになるのではないだろうか?
 そのうちイザベラには、怒れる神と自分との間に誰かが立ってくれているような気がしてきた。そしてある暑い日、照りつける太陽と自分の頭の間に、ふと日傘が差し伸べられたように涼しくなった。誰が自分を守ってくれているのだろう? イザベラは考えた。いつも仲良くしてくれているディンシアだろうか? イザベラは新しく手に入った観察眼でディンシアを見たが、ああ、ディンシアもまた自分と同じように「痣やじくじくした傷」に覆われていた。違う。ディンシアではない、まったく別の人だ。

 「あなたは誰?」イザベラは叫んだ。するとその人は明るく輝いて、聖なる美しさに満ちた姿を表した。イザベラは謎めいた来訪者に向かって声を上げた。

「わたしはあなたを知っている。でもわたしはあなたを知らない」
「いいえ、やっぱりよく知っているような気がする。あなたは今私のことを愛してくれているだけなく、今までもずっと愛してくれていたんでしょう? でもわたしはあなたのことを知らないので、名前を呼ぶことができないの」
彼女が「あなたを知っている」と言うとき、その姿は静かに佇み、はっきりと現われていた。「あなたを知らない」と言うときは、風にゆれる水面のようにゆらゆらと動いた。
 「あなたを知っている」と間髪を入れずにくり返せば、その姿をはっきりと見ることができるかもしれなかった。

「あなたは誰?」と心から叫び、魂のすべてを深い祈りに捧げたとき、天から送られた人はその姿を表し、イザベラのもとに残るかもしれなかった。イザベラは相手の身も心も知りたいという願望にさいなまれ、息が切れて力尽き、まっすぐ立っていられないと思った瞬間、はっきりと「イエスだ」という答えを聞いた。
「はい」イザベラは応えた。「イエスさまです」

 この神秘的な経験をする前まで、イザベラは人がイエスについて話したり、イエスについて書かれたものを読んだりするのを聞いていた。しかしそれまでは、イエスはワシントンやラファイエット大統領のような偉い人という印象しか抱いていなかった。しかしうれしいことに今イザベラの心の目には、イエスは穏やかで親切でどこから見ても素敵な人のように映った。しかも彼は自分を愛してくれているのだ! それに、ずっと前からイエスが自分を愛してくれていたとはなんと不思議なことだろうか。

 しかもイエスが神と自分の間に立ってくれるのは、なんともありがたい恵みだ。そのおかげで、もう神はイザベラにとってそれほど恐ろしいものでも怖いものでもなくなった。

 イザベラは、イエスが神に自分の仲介をしてくれているか、それとも自分に神の仲介をしてくれているのか、思い悩むことを止めた(おそらく前者が正解だったのだろうが)。

 彼女にとって神はもう、自分を焼き尽くす恐ろしい炎ではなかった。イエスが「素敵な人」であることにすっかり満足していた。心は今や恐怖や絶望ではなく、幸せと喜びに満たされていた。至福にひたっているイザベラの目には、世界が新しい美しさに包まれ、空気さえダイヤモンドのようにきらめき、天国のようにかぐわしく匂っているように思われた。彼女は自分と偉大な世界、または世界で偉大と呼ばれているものとの間にはだかる超えられない壁について考えた。そうしてその分断と、自分とイエスとのつながりとを較べた。イエスは彼女にとって想像を絶するほど魅力的で偉大で力強かったが、それでいて人間らしくもあった。

 彼女はイエスが人の姿で現われるのを待ちのぞみ、その人を見たらすぐに自分には彼がイエスだとわかると思った。そうしてイエスが来たら、自分は彼と仲のよい友達のように一緒に住むと信じた。

 彼女には、イエスがほかの人間を愛するとは思われなかった。ほかの者がイエスのことを知って彼を愛するようになったら、自分のような無知で目立たない奴隷は、きっと脇に追いやられて忘れられてしまうだろう。ほかの人がイエスのことを話すのを聞くと、イザベラは心の中で叫んだ。
「なんだって! あの人もイエスさまを知っているって! わたし以外にはだれもイエスさまを知らないはずなのに!」
そうして、手に入れたばかりの宝物を奪われたような気がして、軽い嫉妬を覚えた。

 イザベラはある日、だれかが聖書を読むのを聞いていて、イエスが結婚していると聞いたような気がしてあわてて聞いた。
「イエスさまには奥さまがおありですか?」
「なんですって! 神さまに奥さま?」
「イエスさまは神さまですか?」
「もちろんよ」
このときから、彼女のイエスに対するイメージは、崇高で精神的なものになった。そうして時には、教えられたとおりにイエスのことも神と呼ぶようになった。

 しかしイザベラがこの話を聞いたとき、宗教界はキリストの本質について意見が分かれていた。ある人はキリストが聖なる父に等しくまさに神そのもの、つまり「まことの神からのまことの神」(訳注:325年に作られたキリスト教の基本信条、ニカイア信条からの引用)と考えた。また、ある者はイエスが神の「愛するもの」(イザヤ書5:1)で、「神のそのひとり子」(ヨハネによる福音書3:16)と信じていた。また、イエスは単なる人間だったし今もそうだと考える者もいた。

 イザベラは言った。
「わたしは自分の目に見えるものしかわかりません。わたしにはイエスさまは、神さまのようには見えませんでした。だって、わたしと神さまの間に立ってくれた人ですからね。わたしにとってイエスさまは、友達のような感じでした。そうして、愛がイエスさまから泉のように湧いていたんです」

 現存する神学のシステムに沿って、キリストの性質や役割をイザベラが説明するとこうなる。
「イエスさまは初め、私たちの最初の両親、創造主の手から生まれたアダムとイブの中にいた精霊でした。アダムとイブが神さまに背く罪を犯したとき、清らかな精霊は二人を見捨てて天に上りました。それはしばらく天にとどまったあと、イエスさまの姿になって戻ってきました。だから、イエスさまと一つになる前の人間はけものと同じで、動物と同じ心しかもっていないんですよ」

 人生でもっとも暗い時期、彼女は地獄を胸の中で思い描いては、それを何よりも恐れていた。地獄は極彩色で彩られ、それまでにしでかした悪業の数々のせいで、自分が必ずそこに落ちていくように思われた。

 自分の罪深さの自覚と、神の神聖さや、神が世界にあまねく存在し、常に彼女を滅ぼすと脅かしていることが、いつもイザベラを恐怖に陥れた。彼女が祈りに寄せる信頼は、イエスに対して抱く信頼と同じだった。

「どれだけお祈りのききめがあるか、ほかの人がどう思うかなんて、どうでもいいんです。わたしは信じるから祈る、それだけです。ああ神さま、ありがとうございます!」イザベラは叫ぶと、これ以上ないくらいの熱心さで手を合わせた。

 先ほど見たように幸せな変化が起きたあとしばらく、イザベラの祈りはなおざりになった。しかし息子を取り返す努力をしながら深い苦しみの中にある時は、熱心にたゆまなく祈った。彼女の祈りは、だいたいこのような調子だった。
「神さま、今まで何度もお話したので、わたしが今どれだけ困っているかはご存じですよね。神さま、どうかピーターをわたしのもとにお戻しください。神さまが今のわたしのようにお困りのことがあったら、わたしは必ず神さまをお助けします。お助けしないわけがありません。もちろんお助けしますとも。ですから、わたしのこともどうぞお助けください」

「神さま、わたしにぜんぜんお金がないことはご存じですよね。でも神さまなら、ほかの人にわたしを助けさせることができます。だからぜひともあの人たちにわたしを助けさせてください。そうして下さるまで、わたしはお願いするのをやめません」

「神さま、あの人たちはわたしの言うことを聞かず、手も貸してくれず、わたしを追いやろうとしています。お願いですから、みんながわたしの言うことを聞くようにしてください」

イザベラは神に自分の訴えが届いていることに、これっぽっちの疑いも持たなかった。

 また彼女は、冷たい書記や弁護士の大先生やしかめ面の審判や、ほかのもろもろの人びとの心を、神が動かすことができると固く信じていた。自分と彼らとの間には気の遠くなるような距離があったが、神が手伝ってくれさえすれば、そうした人びとも自分の訴えに辛抱強く耳を傾け、注意を払い、親身になって助けてくれるはずだった。自分が権利を求める人びとの目に、自分がどれほど無力に映っているかを考えると、彼女の心は重く沈んだ。そういう時、自分にはほかの人間が束になってもかなわないほどの力がついているという確固たる自信だけが、彼女を絶望から救い出してくれるのだった。

「ああ、あのときは本当に落ち込んでいましたよ」と彼女は力を込めてくり返す。「なにも知らず、困り果てて、着ているものといえばぼろばかり。帽子もかぶらず、はだしであちこち走り回っているわたしを見たら、あなたもこれでは全く見込みがないと思ったことでしょう。でも神さまのおかげで、偉い人たちがわたしの言うことを聞いてくれたんです。神さまがわたしの祈りに応えてそうしてくださったんですよ」

 創造主に寄せる絶対的な信頼がイザベラの魂を守る砦となり、彼女を恐怖の罠から解き放った。そうしてイザベラは敵の攻撃から身を守り、戦いながらも前に進み続け、最後には敵を打ち破って勝利を手に入れることができたのである。

 これまで私たちは、イザベラとその一番幼い娘と一人息子が、名ばかりとはいえ一応の自由を手に入れるのを見てきた。この国の有色人種の自由は、すべて有名無実だという意見がある。しかしいくら制限の多い自由とはいえ、奴隷の身からは比べものにならないほどの前進である。奴隷の自由を疑問視する向きもあるが、私は人がそうした疑問を心から口にしているとは思わない。もし本心から奴隷を解放するべきではないと言うものがいたら、その人の判断力はきわめて怪しいと言わざるを得ないだろう。

 イザベラの夫はこのときかなりの高齢で健康も優れずに弱っていたので、1828年7月4日にニューヨーク州の法律により解放されるまで、彼は主人のもとに残った。解放されたあと数年はどうにか働いて糊口をしのいだが、そのあとは人の世の「紙のごとく薄い情け」にすがり、救貧院で亡くなった。

イザベラは子ども二人を養わなければならなかったが、当時の女性の賃金はスズメの涙だったので、手にできた稼ぎはごくわずかだった。さらには、生計の立て方を一から学ぶ必要もあった。なにしろ、奴隷は労働条件を文書で交わしたり、賃金を計算したりする方法を一度も習わなかったのだ。彼らが、時間の感覚や、身過ぎ世過ぎの方法を急に身につけられるわけがなかった。彼らにとって「節約」はさもしく、「貯金」はバカらしい言葉だった。

 当然そんなイザベラに、家庭を作り、奴隷の身からようやく自由になった子どもたちと暖かい食卓を囲み、彼らの世話を焼いて、愛情を育くむことはできなかった。子どもたちに美徳や清らかさを愛することや真実や慈悲の心を教え、人の役に立つ幸福な大人に育て上げることなど、到底無理な相談だった。いろいろな意味で、彼女にはそうした家庭を築くことはできなかった。

 イザベラの子どもたちと、豊かな暖かい家庭で育てられた子女とを比較して、心根の正しさや善良さを云々する場合は、こうした背景を考慮に入れなければならない。

 恵まれた家では幼い子に良い影響を与える条件が揃っており、悪い影響は注意深く取りのぞかれている。子どもたちは「ここに少し、そこにも少しと教えに教え、訓戒に訓戒を加え」(訳注:ニーファイ第二書28:30)ながら育まれ、教育に必要な条件も十分に整っている。そうした家庭で、子どもが将来安泰な人生を送れるように、両親が無私の努力を続けているのだ。

 しかし、こうした不公平を理由に、罪を犯したものが当然受けるべき非難をまぬかれるべきだと言うつもりはない。イザベラの子どもたちはもう善悪の区別がつく年齢に達しており、疑わしい状況にあるときは自分で正しい判断をするべきであった。しかし彼らは破滅の道にふらふらと迷い込み、苦渋をなめることになった。

 また彼らは、自分たちのために尽くし、散々苦労してきた母親への恩を忘れてしまった。本来であれば、子どもが親に助けやなぐさめを求めるように、老いた親を子が支えるのは人の世の習いである。しかし、母が年をとって次第に衰え、以前ほどの元気もなくなってわが子にすがろうとしても、彼らは手を差し伸べようとしなかった。

 子どもたちが親への忠孝と自らの幸せを忘れ、逆の方向にある罪と狂乱を選ぶのなら、賢明で善良な人びとの信頼を失うだろう。そして「不信実な者の道は滅び」(訳注:箴言13:15)だと気がついたときにはもはや手遅れなのだ。

20イザベラの宗教体験 了 つづく

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