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ソジャーナ・トゥルース 26ニューヨークを離れた理由

 いよいよイザベラがソジャーナ・トゥルースになる章です。翌年マサチューセッツで奴隷廃止運動と平和活動を標榜するコロニーに落ち着くまで、ソジョーナは一人で旅を続けながら人びとに話し続けました。

 一シリングは今の値打ちにしておよそ18ドル50セント(Googleの検索結果による)。一度に手にするお金が四千円から六千円では、今の感覚だとネットカフェに二泊するのがせいぜい。亭主を看取って子育てが終わったあとは、身一つで自分の信じるように余生を過ごす。憧れる生き方ですが、なかなかできることではありません。

Sojourn は「一時的に滞在する」。-er をつけることで、「定住しない、漂泊の人」という意味になります。

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 ニューヨーク市に住んだ最初の数年で、イザベラは必要なものを全部買ってもあまる給金を稼いだので、残ったお金はすべて貯蓄銀行に預けた。ピアソン氏宅に住みこむようになると、貯金を全部引き出して、氏が始める信託に投資するよう説得された。信者のための投資ということだったが、信者というのは、もちろん氏の奇妙な主張に賛同する数人のことだった。信託は実際始められたが、実態はマシアスがリーダーを務める「王国」の運営資金だった。

 王国が崩壊すると、イザベラが預けたお金は、すっかり使われたものか横領されたものか、二度と戻ってこなかった。マシアス氏もほかの信者も、「この資金されあれば一生お金に困ることはなく、どんな非常事態にも対応できるし、必要なものはいつでも買える」と太鼓判を押していた。そこでイザベラはすっかり安心してしまい、銀行から下ろしたときの利子も請求しなかったし、マシアスに渡した総額も確認しなかった。廃墟となった王国から家具はいくつか持ち出せた。B・フォルジャー氏からもわずかな返金を受けたが、その代償としてフォルジャー氏はイザベラに殺人の濡れ衣を着せようとした。

 イザベラは取り返したお金を手にニューヨークで働き出し、年を取ったら安心して暮らせる家を持つことを夢見た。この目標のために、彼女は朝早くから夜遅くまで懸命に働いた。わずかな給金で労働に精を出し、払いのいい仕事には片っぱしから手を出した。しかし生活は一向に楽にならず、どういうわけか「いざという時のための」貯金は一ドルもたまらなかった。

 しばらくそうした生活を続けたイザベラだったが、あるときふと過去をふり返り、なぜこれだけ働いても手元には一銭も残らないのかと自問した。しかもほかの人たちは、なりふり構わず働かなくても、自分と子どものために大金をため込むことができているというのに。考えれば考えるほど、ニューヨークで自分がしてきたことは全て失敗だという気がしてきた。高い望みを抱いていたことほど失敗は大きく、失望も激しかった。
 
 しばらく考えた結果イザベラは、自分が略奪と違法行為からなる壮大なシステムのドラマに巻き込まれていたと思った。
「そうだ。金持ちは貧乏人から奪い、貧乏人はお互いから奪い合っているんだ」
 確かにイザベラは他人をこき使って賃金を出し惜しみしたことはないが、貧乏でそれをしないと生活に困るという者から仕事を奪っていた。この二つはつまるところ同じだ。たとえば、あるとき住み込みで働いていた紳士は、イザベラに「貧乏な人に、これで家の前の階段と道の雪かきをさせてくれ」といって、一ドルを渡した。しかしイザベラは早起きして自分で雪かきをして、お金をポケットに入れた。貧しい男がそのあとやって来て、イザベラに「家族を抱えて困っているから、雪かきの仕事をやらせて欲しかった」と抗議した。イザベラは心を鬼にして「私もお金がないし、家族を養わないといけない」と言い返した。

 しかし、あのとき自分が欲の皮をつっぱらせて仕事をやらなかったばかりに、男の家族がどれだけ惨めな思いをしただろうか。そう考えると胸がひどく痛んだ。イザベラはそれまで自分が、兄弟に等しい隣人からの求めや、赤貧洗うがごとしの弱者の望みを冷たくあしらってきたことを、初めて反省した。それは何とも無情で自分勝手で残酷な行いだった。考えるにつれ、イザベラの胸に突然、財産というものに嫌悪の感情がわいた。それからというものイザベラは、お金や資産を軽蔑するというのでなければ、興味をすっかりなくした。

 当時の彼女には、お金や物に執着して貯め込むことと、快適に暮らすために本当に必要なものを得ることや、貯めたお金を困っている友人に使うこととの区別がついていなかったかもしれない。

 この時イザベラが確信していたのは、「己の欲する所を人に施せ 」や「汝の隣人を愛せよ」という教訓を、自分は今まで心に留めていなかったし、まわりの人たちも実践してはいないということだった。

 イザベラはここまで気づいたところで、マンハッタンを離れる決心をした。そこに自分の居場所はなかった。精霊に「今いる場所を去って、東の方向に旅をしながら説教をせよ」と促されているのを感じた。イザベラはそれまでニューヨーク市から東に行ったことはなかったし、頼りにできるような友もいなかった。しかし自分に与えられた使命は明らかであり、それに従えば友人も見つかるはずだった。

 旅立ちの決意を固めたイザベラだったが、自分の計画や信念は胸の奥ふかくにしまいこんだ。子どもたちやまわりの友達に知られたら、面倒なことになるうえにみんなが悲しむだろう。旅支度は、枕カバーに着替えを数枚入れるだけで十分だった。ほかの持ち物は、移動の邪魔になるだけだ。

 出発の一時間前になって初めてイザベラは、そのとき住み込んでいた家のウィティング夫人に、自分の名前はイザベラではなく「ソジャーナ」で、これから東に向かうと告げた。

「何のために東に行くの?」

「精霊が呼んでいるからです」

 イザベラがマンハッタンを出たのは1843年6月1日の朝のことだった。昇る朝日だけを頼りに、ブルックリンを抜けてロングアイランドに出た。「ロトの妻のことを思い出し」、彼女と同じ運命にならないよう、悪徳の街が遠ざかって見えなくなるまでふり返らないと決めていた(訳注:創世記で、ロトの妻は背徳の町ソドムから逃げるとき神の言いつけに背いて振り向いたため、塩の柱に変えられた)。もう大丈夫だろうとふり返ったときには、街にかかる青い煙がはるかかなたに見えた。第二のソドムから逃げおおせたことを神に感謝した。

 イザベラの巡礼は順調に進んだ。着替えの袋を片手に、食べ物を入れた籠を別の手に持ち、財布にはヨーク・シリングが二枚。信仰は胸に篤く、自分がすべき本当の仕事が彼女を待ち受けていた。導き役として神さまがついているから、きっと神さまが必要なものを与えて下さり、この身を守ってくださるだろう。

 当座必要なもの以上の荷物を抱えるのは罰当たりだ。イザベラの使命はただ東に進むことではなく、道すがらに彼女が「説教」と呼ぶ話をすることだった。「わが身にある希望」を人びとと分かち合って、イエス様に帰依し、罪を重ねないよう薦めるのだ。イザベラには自ら編みだした独創的な罪の解釈があり、その性質や起源について興味深い説明をすることができた。波乱万丈の人生において、イザベラは子どものころに培った宗教観をずっと持ち続けていた。

 夜になると、イザベラは泊まるところを探した。できれば無料で、そうでなければ泊り賃を払った。旅籠に行き当ればそこに部屋を取ったし、個人宅に泊めてもらう場合もあった。お金持ちが泊めてくれることもあったし、貧しい家に迎えられることもあった。

 すぐに分かったことだが、お屋敷では空き部屋は一つもないか、「もうすぐお客が来るからだめだ」と断られることがほとんどだった。大きな家よりは、小さな家の片隅に寝かせてもらえることが多かったし、夜露をしのぐのがやっとという様子の小屋では、いつも快く泊まらせてくれた。

 イザベラが観察したところによると、これは慈善の心というよりは思いやりの欠落によるものだった。見知らぬ人びとを交わした会話でも、それは明らかだった。
「お金持ちに信仰があるとは、とても思えませんでしたよ。わたしが裕福で地位があったら話は別ですよ。お金持ちはいつもほかのお金持ちの中に信仰を見出しますからね。でもわたしには、信仰は貧しい人にしかないように思えました」

 最初イザベラは、旅先でキリスト教の集会を見つけて、そこで集まった人に向けて話をした。次第に自分自身の集会を宣伝して、大きな群衆に語りかけるようになった。

 移動に疲れてしばらくひとところで休みたいと思った時は、必ず滞在できる所が見つかった。最初の日、休憩が必要に思われたときは、歩いているイザベラにある紳士が声をかけてきて、「仕事を探していないか」と聞いた。イザベラは仕事を探すのが旅の目的ではないが、もし働き口があれば数日働いてもいいと応えた。紳士は、家で手伝いの人がいなくて困っているので、ぜひ来て欲しいと言った。

 イザベラがその家に行くと病人がいて人手が足りないとのことで、「天の恵み」と喜んで迎えられた。しばらくそこで滞在したあと、また旅を続けたいと告げると家族は残念がり、ぜひもうしばらく手伝って欲しいと頼んだ。しかしイザベラの意思が固いことを知ると、一番苦しいときに来て助けてくれた感謝の印にと、イザベラにとっては法外な謝礼を払おうとした。しかしイザベラは「シーザーへの年貢を収めるのに十分なだけしか必要ありません」と言い、ほんの少ししか受け取らなかった(訳注:マタイによる福音書から、「神への服従と国家に対する義務は両立する」という教え)。一度に稼ぐのはせいぜい2,3ヨークシリングと決めていた。硬貨をちゃりんと財布に入れると、旅を続ける活力が湧いてきて、再び使命の旅路についた。

26ニューヨークを離れた理由 了 つづく


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