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ソジャーナ・トゥルース 5神の教え

 昔チョムスキーにインタビューしたとき、思い切って神の存在について聞いてみました(チョムスキーはユダヤ系アメリカ人)。「私には人間が神を作ったのであってその逆ではないように思えますが、先生はどうお考えですか?」と。

 返事は「おそらくあなたの言う通りだと思いますが、戦闘的な無神論には反対です。たとえばここに瀕死の子どもを抱えるお母さんがいたとして、その人が必死に神にすがって、どうぞお助けくださいと祈る気持ちを否定するわけにはいきませんからね」でした。当時上の子が赤ん坊だった私の胸に、じいんと染みた言葉です。

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 イザベラとすぐ上の兄のピーターは、チャールズ・アーディンバーグが亡くなるまで、彼の法的な財産として両親のもとに残った。チャールズが亡くなったのは、イザベラが九歳のときだった。
 アーディンバーグの死後、イザベラはしょっちゅう母が涙にくれているところにでくわして驚いた。
「マウマウ、どうして泣いてるの?」と子どもらしい無垢さで聞くと、

「ああイザベラ、売られていったおまえの兄さんや姉さんたちのことを考えているんだよ」という答えが返ってきた。
 そうして母は、それぞれの子どもと生き別れになったときのことを末娘に微に入り細に入り話して聞かせるのだった。イザベラもいずれ残された自分たちにも同じ運命が待ち受けているとわかっていたし、母もそれは百も承知だった。それだけにいっそう過去の記憶が思い出されて、彼女の心を何度も引き裂くのだった。

 夜仕事がすべてすむと、母は星がきらめく夜空の下で腰を下ろし、子どもたちを呼んだ。そして、彼らを助け、しっかりと守ってくれる唯一の存在である神について話して聞かせた。彼女が話せるのはオランダ語だけだったから、その話もオランダ語で語られた。中身を英語に訳すと、およそ次にようになる。

「ピーター、イザベラ、神さまはいつもおまえたちの言うことを聞いていて、おまえたちのことを見ておいでだ」
「神さまはどこにいるの?マウマウ」二人が聞いた。

「神さまはお空にいらっしゃる」母は答えた。
「これから人にぶたれたり、むごい扱いを受けたり、困ったことになったりしたら、必ず神さまにお助けくださいとお願いするんだよ。そうしたら神さまは必ずお聞きとどけになって、おまえたちを助けて下さるから」

 母は子供たちに、膝をついてお祈りをすることを教えた。そして、ウソをついたり盗みを働いたりしてはいけないことと、主人の言いつけにはできるだけ従うことを言い含めた。
ときには母の口からうめき声がもれた。そうして、詩編でダビデが嘆いたように叫んだ。
「主よ、いつまでわたしを忘れておられるのですか!」
「主よ、一体いつまで!」

そしてイザベラの
「どうして悲しいの? マウマウ」という質問にはこう答えるだけだった。
「いろんなことが悲しいのさ。母さんには悲しいことがたくさんあるんだよ」
そうして星を指さして、オランダ語独特の言い回しで言った。
「あの星もあの月も、みんなおまえたちの兄さんや姉さんたちを見ているんだ。兄さんや姉さんもみんな同じ星と月を見上げている。みんなここからとても遠いところにいるし、離れ離れになっているけどね」

 こうして母は自分なりの素朴なやり方で、天の父が困難な状況で彼らを守ることのできる唯一の存在であると教えようとした。と同時に、家族の愛を深め、子どもたちとの絆を確認しては、散り散りになってしまった愛しいわが子たちにも、それがどうにかして伝わっていると信じていた。以降のページで明らかになるように、イザベラはこうした母の教えを大切にし、神聖なものとして胸深くしまいこんだ。

神の教え 了 つづく

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