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取るに足らないエッセイ②

「レイトショー」

 去年の冬のこと。
今日は、初めてレイトショーを観に行く。映画の内容はどの時間帯に見ても変わらないのに、夜帯の映画だけが「レイトショー」という特別な名前をもらっている。朝と昼を差し置いて抜け駆けした「レイトショー」を、前からずっと煌めきを帯びた特別なものに感じていた。「モーニングショー」とか「アフタヌーンショー」になれなかった他の時間帯の映画たちを思うと、涙が出そうだ。(出ない) とにかく、レイトショーは、なんだか大人だけの特別な楽しみって感じがして、かっこよくて憧れがあった。
 先日思い立って、親友のDに「レイトショー行ってみたいんだけど、どう?」と言ったら、二つ返事でサクッと一緒に行ってくれることに。
 これまであんなに遠くに感じていたレイトショー、本当に行ける日が来るんだ…!と胸が高鳴った。それから当日までわくわくしすぎて、「レイトショーを観るんだ!」と周りの友達に自慢しまくっていた。皆にとっては多分レイトショーを見るなんて当たり前のことで、「だからなに?」という反応をされたけど、私はそれはそれは初めてお酒を飲む前みたいに、ひとり勝手に浮かれてドキドキしていた。

迎えた当日。準備は万端である。
ダボっとした黒いパンツ、ゆるっとしていてお気に入りの赤いトレーナー、あったかい黒ダウンのチャックを1番上まで上げて、イヤホンからは静かめなジャズを流し、肩から黄色いサコッシュを提げる。うーん、完璧だ。どこからどう見ても、これからレイトショーを観に行く人の格好だ。道ゆく人からみたら、バレバレなのではないかというくらい、あまりにもレイトショーすぎる格好である。

 家を出て映画館まで歩きはじめる。キンキンに冷えた2月の夜なのに、なんだか熱くてふわふわした気持ち。別にこのくらいの時間帯にまだ大学にいることだって、外でご飯を食べていることだってある。だから、今外にいること自体はめずらしくないんだけど、心持ちが全然違う。だって、今日はレイトショーを観に行くんだからね!!
…そうか、レイトショーは、こういう気持ちもひっくるめてチケットを買っているんだな。まだ映画観てないけど楽しいもん。

さて、念願のレイトショー。眠くなってしまったらどうしようと少しだけ思っていたが、そんなことなくて、むしろアドレナリンが出ているのを感じた。深夜なのも気にせずにポップコーンを食べながら、映画を観る。ずっと不思議な高揚感とともに鑑賞した。

 レイトショーを見終えて帰路に着く。帰り道の静けさとか、ひとりを強く感じる感じ。さっきまで見ていた映画のことだけをボーッと考えて歩く。余韻がなかなか抜けないので、これからレイトショーデビューをする皆さんは、見る映画はちゃんと選んだ方が良いです。どんな気持ちで帰り道を歩きたいか、眠りにつきたいか。そこまで考えて映画を選ばなくてはならない。レイトショーは生半可な気持ちで選んではいけない。間違っても、軽い気持ちでホラー映画とか選ばない方が良い。
 ちなみに私はコメディを見ました。帰り道は、少しニヤニヤ思い出し笑いをしながら帰りました。かなり怪しい人になっていたかもしれない。でもハッピーな気持ちでそのまま眠りについた。レイトショー、いいな。これは、モーニングショーとかアフタヌーンショーは勝てないわ。

「傘の雫を落とせばヒーロー」

 地球を守るヒーローになりたいと思ったことはありませんか??簡単な方法を教えましょう。それは、「雨の日にお店に入る前に傘を振って雫を落とすこと」です。
 先日某百貨店に入るときに設置されていた傘のしずくとりに書かれていたんです。「傘をふって地球をまもろう!」って。そして近くに、小さい文字で、「傘のビニール袋削減にご協力お願いします」と書いてありました。かなり文章と文章の間の飛躍を感じた。

傘のしずくを振り落とす→ビニール袋は使わなくてよくなる→袋削減!

っていうのはわかるんだけど、「傘のしずくを振り落とすこと」自体が地球を守るんじゃなくて、「ビニール袋を設置しないこと」が地球を守るのだと思う。だとすると、もうここにビニール袋が設置されていない時点で、傘のしずくを振り落とそうが振り落とさまいが、地球が守れるかどうかには関係しないんじゃ…?いや、でも、傘のしずくをみんなが振り落としてくれなかったら、お店の床がびしょびしょになってしまって、「みんながしずくを落としてくれないから、ビニール袋を設置するか…」と思わせてしまうのか。じゃあ、「私たちが地球を壊す判断をしないためにも、傘のしずくを落としてください」の方が正確?
 よく考えたらわかるんだけど、なんだか考えさせられたコピーでした。
 でも、こういうコピーって、目に留めたもん勝ちなので、そう考えるとすごく優秀なんだなあ。
ちゃんと地球を守りましたよ、私は。

「一回で完結しない系の家事」

 私の得意な家事はお皿洗いです。苦手な家事は洗濯です。何せせっかちな生き物なので、洗濯の一回で完結しない感じがすごく苦手だ。
 お皿洗いは、よし!今やろう!と思ったら最後まで洗って、そのまま拭いて、食器棚に戻すという一連の流れを一気に行うことができる。し、洗い物が多かろうが少なかろうが、好きなタイミングで好きなだけ終わらせることができる。
 でも、洗濯はどうだ!なんとなくある程度の量が溜まってからじゃないと洗濯機を回せないし、回したと思えば1時間くらい待つ。そして終わって干しても、まだ数時間後に回収するというミッションが待っているのだ。この前は、干したことを忘れて深夜の2時まで外に放置していた。我ながらびっくりだ。
 洗濯という家事は、あまりにも、洗濯側に私の生活リズムを握られている感じがある。「今ならできるのに、進められない!」みたいなもどかしさがずっとある。そういえば、最近みんながよくやっているBeRealに似ている感じがする。こちら側がやるタイミングを選べずに"その時"が来る感じ。
 家事をざざっとこなすことは、わかりやすく物事を進められている感じがして達成感があるんだけど、洗濯物だけはずっと不完全燃焼な感じがするのだ。
 この、一回で完結しない系の家事を、いつか手懐けたいと思っている。

「お気に入りのパン屋さんがあるといい」

 ある朝急に、今日はモーニングに行こう!と思った。とりあえずInstagramで「#朝活モーニング」と検索欄に打ち込む。こういうところで、自分は結構今ドキの若者かもしれないなと思う。(同じくらいの年代の皆さん、お店探す時、インスタで調べたりしませんかね、私だけですかね?)
 どこに行こうかな〜と画面をスクロールしていると、キラキラした朝ごはんの写真が次々と流れてくるが、なんとなくどれもピンと来なかった。地図アプリに切り替えて、近所の、朝早くからやっている喫茶店を探す。…と、早朝からやっているパン屋さんを見つけた。信じられないくらい早朝から開いている。ちょっとだけその表示された営業時間を疑いながらも、歩いてお店へ向かった。
 可愛らしいお店の扉を開けると、パンのいい香りと、店員さんのおばあちゃんの、とにかく明るくて優しい「おはようございま〜す!」の声。完全に心を掴まれた。そして朝早い時間なのに、結構な品揃えと量。これを焼くためには何時に起きているんだろう…と思うと少し怖くなってくる。
 既にお客さんが4人くらいいて、さらにひっきりなしにどんどん店内にお客さんが入ってくる。おばあちゃんは、仕事前のお客さんには「いってらっしゃ〜い!」と声を掛けて送り出し、常連さんには「ごめんねえ、いつもの○○ちゃんのパン今日はないのよう〜」などと話しかけていた。ぜんぶ、語尾に"〜"がついてるみたいに可愛らしい話し方だった。
 焼きたてのキューバサンドとチャイラテを注文して、席に着く。読みかけだったBRUTUSを開いて、パンを頬張りながら、ぺらぺらとページをめくる。耳からは、相変わらずおばあちゃんの暖かな声が聞こえてくる。他の店員さんも皆すごく爽やかで元気で、「朝なのに」じゃなくて「朝だから」元気という感じがする。ふと視線を上げると、もうレジに9人くらいの大行列が出来ていて、お店の入り口からちょっとはみ出ていた。それでも全く焦ることなく、むしろテキパキと、しかも愛のある接客をしていて、見ていてすごく清々しかった。忙しくても、新しいお客さんが来たら、うれしそうに「おはようございま〜す!」の声。お店の中に、ずっといい空気が流れていた。
 これは、インスタで調べても出てこないな、と思った。図らずも宝物を見つけてしまった。これは恋だ。常連になりたい。お気に入りのパン屋さんがあるってすごくいいなと思った。し、お気に入りのパン屋さんがあるって言う女の子が居たら好きだなぁと思うので、私もそれになりたい。
 そういえば、パン屋さんって、すごく地域に根付いたお店だったことを思い出した。今でこそ、東京の有名なパン屋さん!みたいなところを目掛けて行くことの方が多くなってしまったけど、思い返せば子供の頃は家の近くのパン屋さんに良く行っていた。土曜日の朝に散歩がてら行ってみたり。金曜日の夕方に、おやつと明日の朝ごはんを買って帰ったり。旅行の前日に、明日の車の中で食べるサンドイッチを買ったり。ポイントカードを貯めたりなんかもしていた。それだけ、自分の生活の近いところにあったなと思う。
 大人になってから、そういう、いつのまにか自分の生活から離れてしまったものを改めて集め直すようなことをしている気がする。懐かしいような、新鮮なような、すごくくすぐったくて柔らかい気持ちになる。
 幸せは、ずっと子どもの頃からそばにあったことを、忘れないでいたい。

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