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さみしい気持ちにふたをする

なんてことない、みたいな顔してるけど、
自分の中のさみしい気持ちを見ないようにしているだけ。
そこに注目してしまったら、きっと痛くて辛くなるだけだから。

もう会えないわけではないとはいえ、
今までそばにいた人が急に日常の中から消えてしまうのは、
あまりにあっけない。
そして、いなくなって改めて、
あぁ、私の心の拠り所であってくれたんだなあ、と気づかされる。

ときが経てば、
私の中にできたその人の形の穴はだんだんと埋まっていく。
その人も新しい環境で、また輪郭を変えていく。
そうしてお互いに変わってしまえば、もう以前のようにパズルのピースが隙間なくぴったりと合うことはないのだろう。
私は、それが悲しくて仕方がない。

誰しも変わっていくということは当たり前だけれど、
人間の成長というのは一方通行だから、
もう二度とあの時のあの関係は再現できない、
という事実に打ちのめされる。

みんなきっと小さな別れと、
それに伴う大きな悲しみを蓄積しているに違いない。
でも、いなくなったさみしさに目を向けていたら辛くなっちゃうから、
ひとまず応急措置としてぽっかりとできた穴にふたをして、
その穴を直視できるようになるまでは見ないようにして、
そうやって乗り越えているのかもしれない。

ただ、その人と過ごしたからこそできた穴がふさがれていくのは、
それはそれですごく悲しいから。
形は変えることなく、
切り取られたヒリヒリする断面だけ綺麗に治して、
いつでもその人を受け入れられる私でいたいなあ。なんて。






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