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流れる時を止めたいのに

仕事、仕事、仕事、家事、趣味、仕事、仕事、運動、仕事、家事・・・
こんな感じで日々はすぎていく。
よく社会人になると時が進むのが早いというが、本当にその通り。
気づけば1週間がすぎ、1ヶ月がすぎ、1年がすぎている。
働いて遊ぶ。働いて休む。
同じような繰り返しのはずなのに、
これまでは月1くらいで会っていた友達と会わなくなったり、
一緒に働いていた同僚が辞めたり、
昔の友達が結婚したり、
そういう、繰り返しの中に挟まれる繰り返しではない出来事に出会うたび、
私はどこかとどこかの間を繰り返しているのではなく、
一方通行の流れの中にいることを思い知らされる。
その繰り返しではない出来事に直面したとき
一時的には、
私は何ができるのだろう、
どんな風に生きたいのだろう、
誰と生きたいのだろう、
なんて考えてみたり、
何かを決心してみたりするのに、
気づけば繰り返しの日々に溶けていって忘れてしまう。

私は、もっとこの今の瞬間を大切にしたいのに、
私のこころが未熟がゆえに、
少しでも目先の脳みその快楽が多い方に流される。
今を忘れようとする。現実の不快から逃げようとする。

自分が日々の生活で感じたこと、考えたこと、
それら一つ一つに立ち止まって、ゆっくり向き合いたいのに、
いろんな情報や娯楽が溢れる中で、
確かに私の中にあったはずの気持ちの泡が、
数分後、数時間後にははじけてしまう。

流れる時というのが、
流れるプールみたいに人々が同じ方向に動くことで生み出されているとして。
流れを作るためにみんなが動き続けていても、
その中で立ち止まれる勇気が私にあれば良いのに。
もっとゆっくり歩きたいのに、
どんどん流れる人にせかされた気分になって、
気づけば息切れしながら早足で歩こうとしている。

私をいまこの瞬間に縛り付けて、動けなくしてくれる何かが欲しい。
仕事でも、恋愛でも、趣味でも何でも良い。
周りの流れなんて気にならなくなるくらい、
何かに虜になりたい。
そういうものに出会えますように。
出会えなかったとしても、もがき続けていますように。
そしてもし仮に出会えたとしても、
こうやってたまには立ち止まってしまう自分でいられますように。
未来の自分のために、
いまここに立ち止まっている自分を記録として残しておく。



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