ワインの歴史2

「ワインの歴史」と「適応」のこと ~2020年の決意~

2019年は、目標にしていたこともあり、多くのワインを飲みました。
飲んだワインを記録していたアプリを確認すると、週末に企画された試飲会によく参加したこともあって、1年間で600種のワインを飲んだようです。

そんなこともあり、2020年の決意として、「ワインの歴史」を軸に「適応」について、書きました。

■ワインの歴史 目次
1.ワインの世界への広がり(紀元前3000年~1850年頃)
~環境や社会への「適応」が物事をつくる~

2.ワインの工業化(1850年頃~1980年頃)
~変化に「適応」したものが残る~

3.ワインの情報化(1980年以降)
~「適応」するため、自分の信条を作り、自ら行動する~


■1.ワインの世界への広がり(紀元前3000年~1850年頃)
~環境や社会への「適応」が物事をつくる~

ワインは、メソポタミア文明やエジプト文明の頃には、既に造られていました。交易などにより、ギリシャ、イタリアにワインが広がった後、ローマ帝国の拡大とともに、ワインはヨーロッパ全域に広がります。
1600年代になると、大航海時代の幕開けとともに、ワインは世界中の国々に広まりました。

この時代のワインの広がりと、各地で造られるワインを見ると、「環境や社会がワインを造る」ということがわかります。
例えば、当時、南イタリアなどの「地中海地域」では「量」を重視したワインが造られた一方、「フランス」などのアルプスより北の地域では「質」を重視したワインが造られました。

地中海地域のワイン:なぜ「量」を重視したのか
地中海地域は、夏の日照量が多く、温暖な気候であり、ぶどう栽培に最適な地域です。どんなぶどう品種でも生産量が確保できるため、大量のワインが造られました。

また、地中海は交易の中心地です。当時、衛生的な水の確保は簡単ではなく、アルコールが含まれるワインは長期保存できる飲料として、航海の必需品となりました。つまり、ワインは普段の飲み物として量が求められたのです。

なお、大航海時代に、世界三大酒精強化ワインであるスペインのシェリー、ポルトガルのポート、マデイラなど、アルコール度数が高いワインが造られたの背景も、より長期間、衛生さを保つ飲料を確保するためでした。

フランスのワイン:なぜ「質」を重視したのか
一方のフランスは、夏の日照量が少なく、気温が低く、ぶどう栽培が難しい地域です。そのため、栽培される品種は、冷涼な環境に耐えられる良質な品種に厳選されました。
また、冷涼な地域では、1つの樹になるぶどうの房が少なくなり、その分、凝縮感がある質の高いワインができあがったのです。

また、キリストが最後の晩餐で「ワインはわが血」と言ってから、ワインとキリスト教は切り離せない関係となりました。修道士たちは、布教活動やミサでの利用のために、量よりも質に重きをおいてワインを造ったのです。
中世の終わりには、その中心地だったブルゴーニュとボルドーは、高品質なワインを造る産地として不動の地位を築くようになります。


このように、地域の環境や社会に適したワインがつくられることは、ワインに限ったことではありません。
多くの「モノ」は、環境や社会に「適応」するように変化を積み重ねた結果として、現在のかたちになっており、人の意志のみでつくられるわけではありません。「個人」や「企業や組織」も同様に、環境や社会といった様々な要素の相互作用のなかで築かれているようです。


■2.ワインの工業化(1850年頃~1980年頃)
~変化に「適応」したものが残る~

19世紀中頃から、ワイン造りが科学的に研究されるようになり、アルコール発酵を行う酵母の選抜方法や、虫害・病害の対策方法など、ワインの品質を向上させる様々な技術が発明されました。
20世紀に入ると、機械化が進み、農薬や化学肥料も普及し、ワインを効率的に生産できるようになります。

この時代のワイン産業における技術革新と、その後の生産者や産地の淘汰を見て思うのは、「変化に適応できたものが生き残る」ということです。
20世紀は、数千年のワインの歴史で、初めてヨーロッパ以外の新世界のワインが台頭してきた世紀と言えます。その転機となったのが「パリスの審判」です。

パリスの審判とは:カリフォルニアワインの下克上
19世紀、20世紀に発明された科学的な手法や技術を積極的に取り入れたのはアメリカでした。フランスの生産者は「偉大な大地が偉大なワインを生む」と信仰し、伝統的なワイン造りを尊重していたためです。
第2次世界大戦後、アメリカのワインは急速に品質が向上し、1976年5月24日、ついにパリスの審判が起こります。

パリスの審判とは、超一流のフランスワインと無名のカリフォルニアワインを、銘柄を隠したうえで、著名な審査員が飲み比べをしたら、カリフォルニアワインが勝ってしまったという事件です。

今聞くと「それだけ?」と思うかもしれませんが、当時、人々は「ワインはフランス」と考え、フランスの生産者は他国のワインをワインと認めないほどに、フランスは世界一強に君臨していました。
そんな中でのカリフォルニアワインの勝利は、ワイン産業に大きな衝撃を与えたのです。

パリスの審判の余波:挑戦者の増加と既存生産者・産地の淘汰
パリスの審判は、大地だけが良いワインを作るのではなく、科学的手法や技術導入などの生産者の努力により、ワインの品質を向上できることを明らかにしました。

このことは、フランス以外の世界中のワイン生産者に勇気と希望を与え、各国で次々と挑戦者が登場し、1980年代には、オーストラリア、ニュージーランド、チリのワインが、1990年代に入ると、南アフリカ、アルゼンチンのワインが国際的に認知・評価されはじめました。

フランスの生産者も時代の変化を悟ります。有名な生産者がアメリカへ研修にいくようになり、新旧世界の人・技術の交流が盛んになり、生産技術を高めていきました。
一方で、付加価値が低いワインを造り続けたヨーロッパの生産者や産地は淘汰されていきます。

パリスの審判を起こした人々:起業家、産学連携、エコシステム
少し余談になりますが、パリスの審判で活躍したカリフォルニアワインの生産者たちは、他国から移住したり、弁護士や大学講師から転身したりした後に、自分がイメージするワインを実現するためにワイン造りを始めたチャレンジャーな方々です。

また、カリフォルニア大学デイヴィス校の醸造学科は、カリフォルニアの気候や土壌に合う最先端の栽培法や醸造法を研究し、地域の挑戦者をバックアップしました。
加えて、生産者同士の横のつながりも密で、新しい手法や技術を積極的に試すカルチャーがありました。

カリフォルニアは、IT産業だけでなく、ワイン産業も同様に、新しいことへの熱狂感が溢れているようです。


環境や社会、また技術が変化し、その相互作用のなかで、新たなものが生まれ、淘汰が生じることは、ワインに限ったことではありません。
「生物の進化」や「個人」や「企業や組織」も新たなものの誕生と淘汰で変遷していきます。淘汰の後に残るものは、その時の環境や社会に「適応」していたものであり、社会が変化し続ける限り、それらは変化し続けなければなりません。


■3.ワインの情報化(1980年以降)
~「適応」するため、自分の信条を作り、自ら行動する~

増加し続けた世界のワイン消費量は、1980年頃をピークに、1990年頃まで低下が続きます。その後、中国などのアジアでの消費量が増えることで、横ばい・漸増傾向になりますが、現在も1980年頃の水準を超えていません。

ワイン市場の成長が終わり、世界中の産地が、世界中の消費者を奪い合うようになると、ワインの多様なぶどう品種は、「売れる」品種に収斂していきました。同じぶどう品種で高品質なワインが、世界中で生産されるようになると、他との差別化のために、ワインは情報化し始めます。
具体的には、「ワイン評論家による点数」と「産地名」が重要な影響を持つようになります。

ワイン評論家による評価点
ワイン市場に最も影響を与えたワイン評論家は、何といってもロバート・パーカー氏でしょう。パーカー氏はワインを100点満点で評価するパーカーポイント(PP)を確立し、ワインの売上は彼が評価する点数で左右されるようになりました。ワインショップで見る「パーカーポイント95点でこの価格!」というものです。

その結果、生産者は、自分たちのワインを、パーカー氏が好む「樽の香りが強く、果実味が豊かで甘みを感じる凝縮感の高い」ワインに作り替えるようになり、またパーカー好みの味わいに仕上げる技術指導を専門にするワインコンサルタントも現れました(代表格はミシェル・ロラン氏です)。
この現象をパーカリゼーションと呼ぶ人もいます。

産地名のブランド化
パーカリゼーションに対抗する概念として「テロワール」が使われるようになります。テロワールとは、ワインを造る大地や自然環境の個性・特性のことであり、それを感じるワインを「テロワールを表現している」と評価することもあるようです。
しかし、実際には、産地名に意味を持たせるブランディングに利用されているように思います。ワインショップで見る「これぞシャブリ(ブルゴーニュの産地名の1つ)のテロワール!」というものです。

評論家による点数と産地名は、ワインそのものを変えることはありませんが、ワインの付加価値を高め、ワインを飲んだ消費者を満足させています。

実際、年末に奥さんと、点数が高い、著名産地名のワインを飲んだのですが、とても幸せな時間になりました。
僕にはワインの味わいを区別する力がないので、普段のワインと比べ、特別な味わいを感じることはないかもしれませんが、そのワインが、僕たち夫婦を、いつもより幸せにしたのは間違いありません。

人や社会が作り上げた価値が、人の感情や意志、行動を促すのことは、ワインに限ったことでありません。
不確実で予測が難しい社会において、「自分に合う価値=信条」を持つことや、それに基づいて自ら行動することが、現在に「適応」することの1つのように思います。

ワインの歴史


■参考文献
山下範久「ワインで考えるグローバリゼーション」
山本博「ワインの世界史 自然の恵みと人間の知恵の歩み」
小坂井 敏晶「社会心理学講義 〈閉ざされた社会〉と〈開かれた社会〉」
ユヴァル・ノア・ハラリ「21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考」

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