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寒さの極まった頃に出荷される白菜。あのどっしりと存在感あるひと玉を見ていると、いつからかキムチを漬けたくなるようになった。 わたしは在日コリアン4世で、家族での会話は日本語だけれど食卓にはだいたいキムチが置かれているという環境で育った。祖母なんかはハングルも話せたり、これでもかというほど大きな寸胴鍋で焼肉のタレを仕込んだりもしていた。 そんな実家から出て生活し始めると、それまで何の気なしに見たり嗅いだり食べたりしてきたものが自分の奥深くに染みついていたことに気づいた。一
有機農業の日。この日を知ったきっかけは、大学時代の恩師にあり、彼は有機農業推進法の成立に尽力した一人である。おじいちゃんほどの年齢の人だったのだが、わたしより熱量が断然高かった。全体的にエネルギッシュでありつつも、誰に対してもフラットで、人とかかわることを純粋に楽しんでいるような人だった。卒業してからも、彼の小麦畑を手伝いに行ったり、わたしが体調を崩したときには畑で採れた夏野菜をどっさり抱えて訪ねてくれたりもした。 あの好奇心に溢れた瞳は忘れられない。愛のある行動から人と
水俣の海は、ほんとうにきれいで穏やかだった。見ている限りでは、水俣病のことは浮かんでこなかった。それでも見渡すと、埋め立てられた海があり、底には水銀ヘドロが残ったままで、認定を受けた患者さんは現在も2,000人を超えている。 きれいも穏やかも悲しみも苦しみもある、そのすべてが水俣だと思った。だからこそあの海をあのようにきれいだと感じたのだと思う。たとえようのない、いま、ここにしかないというような、そういうものが放つ、奥深く優しい輝き。 わたしのなかにもそんなことがあ
この夏、水俣の海を訪れた。ひとつだけあるという海水浴場に。砂浜があって波がその上をよせてはかえす場所が私にとっての海だったが、地元の子どもたちにとっては漁港も海で、遊び場のようだったのが印象的で、うらやましかった。 とてもおだやかな海だった。島の内側に位置しているため、大波は届かない。そこで、SUPを体験した。意外と体幹が必要で、集中しないと立っていられない。でも慣れてくると、魚が跳ねる瞬間を見られたり、足もとに海を感じながら遠くを見渡せたりして、泳ぐのとはまた違う海を楽