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「ある職場」ー”信頼”と”過剰な適応主義”

※映画の感想になりますので、一部ネタバレを含みます。まだの方は、観てから読んでいただけると幸いです。

先日、ポレポレ東中野にて3/5より上映中の「ある職場」という、実際に起きたセクハラ事件を監督がインタビューし、それを基に映画化された作品を観に行った。http://arushokuba.com/#

前職は人事で、第三者の第三者的な立場で、先輩が起票していた決裁などを通して間接的に知った経験あるのみだが、今でも状況描写した文言が脳裏から離れない。


劇中で話される台詞どれもが見覚えある言葉ばかりで、うっすらと私もかつてあのようなこと言われたことあったな、と思い出しながら見ていたが、根底にあるのは「”信頼”の誤った使い方」と「被害者側に過剰に求められる”適応主義”」ではないかと感じた。どちらも、客観的に見れば加害者に責任があるのに、悲劇の主人公ぶってないで人に相談しなさいとか、その行為を許したあなた(被害者)が悪いといった考え方だ。例えば、痴漢された被害者に対して「そんな(痴漢を唆すような)恰好をするのが悪い」といった発言もそう。もっと大きく括ると、最近よく言われる「自己責任論」にも繋がる。欧米的な実力主義とは違い、自分の範疇ではないこともコントロールして火に煙が立たないようにしなければいけない、といった考え方で、ある意味日本の村社会・事なかれ主義をよく表している言葉だと思う。

ただ、劇中には「もっと人を信頼してよ」と被害者に声をかけながらも場面は言葉とは裏腹に冷め切っていて、困惑が支配していた。そんな中、信頼しろと言われてもできるのだろうか。
「適応主義」についても、かつて同じような経験をした女性上司から「クヨクヨしてても仕方ないから、昇進してセクハラした奴らを見返そう」という旨のセリフが出てくるが、本当に私も(セクハラではないが)悪口を人から言われてメソメソしていたとき、母からよく言われた。冷静になって今思うと、見返しできたとしても私に対して悪口を言ったことは帳消しにならないし、許されるべきことでもないはず。だから、この言葉自体が繋がりも何もなくめちゃくちゃなんだよな、と思う。そこは、行為に対して相当の報いを受けること、被害者に対してケアをすることでしか、少しでも傷を軽くする方法はないだろう。

大学を卒業してから一貫して、企業の人事と(今はアウトソース側だが)社員の給与・労務系の職種で働いてきた身としては、まずは労働者を守る法律「労働基準法」を、高校や大学の早い段階で必修にして、こういったハラスメント的な言動がおかしいというリテラシー感覚を養うこと・また、理不尽な場面に遭ったら自分や同僚など、周りの人たちも守れるようにする基盤づくりが必要だと思う。今回の映画のように被害者が孤立しないよう、おかしいと思ったら一緒に声をあげていくことが、今の日本の冷笑的な組織文化となっている「適応するか出ていくか」のもう一つの勇気ある選択肢になっていくと思う。

この映画を少しでも多くの人が見て、少しでも理不尽な状態が減りますようにと願っている。


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