(これってそうじゃない…?)から自明の事実になること

先週末は映画「新聞記者」を観て、期日前投票に行ってきた。参院選と公開のタイミングがかなりタイムリーだなと思いながら観ていたが、もうかなりの人は映画化される前からこのようなメディアの報道の自由が狭まりつつある状況に気づいているのではないか。私もその一人だし、もうニュースは信頼できるジャーナリスト等が発信するSNSでしか見ていない。(よく就活の採用面接や職場の上司から発せられる「新聞読んだ?ニュース番組観てる?」て質問自体がもう時代遅れ)

ただ、この映画が可視化してくれたという立ち位置は大きいし、リアルには山本太郎氏旗揚げの「れいわ新選組」があちこちで精力的に、今までの政党にはなかった力強さとミクロな視点で永田町に食い込もうとしている。

これを書いた今日も、Twitterで「れいわ祭り第二弾」が新橋であったため、現場の空気を感じようと行ってきた。そうしたら、黒山の人だかりで赤ちゃん連れや学生の姿も見えて、ああ、こういう人達がいるなら大丈夫かもしれない、と思えてきた。人への共感は、スポンサーや必要な伝手だったり、いろんな具体的な力となって返ってくるのをまざまざと実感したのだった。今回の参院選は気が気じゃないな。


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