劇団アレン座 舞台「いい人間の教科書。」(2024)

すみだパークシアター倉にて、劇団アレン座、舞台「いい人間の教科書。」を観劇させて頂きました。7月12日のアフタートーク付き公演です。



この劇場もこの作品も何もかも初めて。事前情報はゼロに等しかったのですが、偶然星元さんのブログを数日前に拝読しました。読むと「私からのおねがい」ということで本作についての気遣いをしてくださっていて、ああこれは想像しているよりも受け取るものが多い作品なのだろうなとひとつ覚悟を決めました。

(星元さんのブログ)



わたしは演劇問わず色々な媒体で感情をダイレクトに受け取ってはずるずる抱え込むタイプなので、期待半分、怖さ半分みたいな気持ちで開演前は緊張が止まらなくて。

観劇が終わった今は、どこから言葉にしていいのか正直まだ分かりません。自分に刺さって抜けないような言葉もありましたが、どことなく晴れ晴れとしたような気持ちもあり。自分なりに言語化して記録として書き残したいと思います。

ここから先、本編について触れますが一度の観劇なのでどこが核心なのかもよく分かっていません。(ので、ネタバレありとの認識でお願いいたします)

今回の5人は全員別の舞台で1度は拝見したことがある方々でした。そんな役者の皆様がわたしにとって「普段認識している名前」を掲げて板の上に立っている状況。そこから生まれるリアリティなんてものはとんでもなく、曖昧なボーダーラインから一気に作品に惹き込まれました。

この空間から出る「いい人間」を1人を選ぶためにそれぞれが語る「いい人間」像、そこに共通するのは「愛」。私の思う「いい人間」ってなんだろうかと冒頭から頭を回転させながら見ていました。

突きつけられた罪状とそれぞれが語る人生。
境遇や環境はまるで違えど、痛いほど身に覚えのある感情が語られる中で、それを刺す言葉が私にまでグサグサ届く感覚でした。また逆に私が全く感じたことの無い考えを持っている人もいて、だからこそ痛くとも最後まで目を背けず見届けたいと思いました。

noteなので自分語りも許されたいのですが、同い年ということもあり気持ちとしてはカワモトさんに特に近い部分があったかなと思います。

彼が生の力を訴えていたヒップホップやアートはわたしにとっての「演劇」と同じでした。表現の力を信じているしやりたいこともあるけれども、こうして同じ状況になった時わたしも他の人を殺してまで出る選択肢はないなあ、とか。
自由と思わされているだけなのか、とか。

彼が自身を語る時は共感が強すぎるからこそ、彼に向けられた言葉が全部自分にグサグサ刺さってくるような感覚がありました。これはある種の自己否定のようなものなのかもしれませんが、だからこそ最初は彼のことを「いい人間」と選べなくて。

でも彼がホシモトさんの自殺未遂について怒りを表した時に彼もまた私とは全然違うんだとはっきり分かりました。メンタリティ的な部分ではわたしはホシモトさんの自己否定や弱さはすごく共感できる部分があったので。

私は元来、人と分かり合えることにあまり期待していなくて、(だからこそ話をして自分に無いものを知る楽しさはあると思うのですが)自分の話をあまりできないタイプです。
多分心の中では「どうせ分かり合えない、私を理解してくれる人なんていない」というある種の諦めのようなものを抱えて生きてきました。
自分としては考え方や感情に理解を広く持っているつもりですが、わたしが今持っている多様な価値観は物語や演劇から与えてもらって、考えて学んだものが多いです。(だから演劇が好きなのですが)

だからこそ、自分とは確かに違う存在だけれども、似た部分を持っている彼が最後は頑なに「4人とご飯を食べに行きたい」と言って、1人で出るのを嫌がって。自分をさらけだし合うことで考えも生まれも育ちも年齢も違う人たちと「愛」を持って接していたことが自分の中でひとつの希望で救いだったのかもしれません。
私も人と関わることを恐れずもうすこし自分を出してみてもいいのかもと思えました。

でもこれはアフタートークで仰っていたようにこれは5人の持つ「優しさ」がなしえている部分も大きいのだと思います。傷の痛みを知っているからこそ、その言葉が本質を貫こうが5人の会話はずっとあたたかかったなと。
役者さんが違えば全然違うんだろうな、他のイイショも見てみたいです。

「いい人間」とは違うのかもしれないけど、私が最初に出してあげたいなと思ったのはクワハラさん。私は想像力がなかったり考えることを辞めてしまっている人と話しても埒が明かない経験があって彼のモノローグは理解しても共感はできないことも多かったです。でもここから出たい理由を明かした時に、彼はここで貰った言葉を真摯に受け止めて、考えて、分からずとも行動しようとしていた。私のエゴみたいな部分もありますが、それがすごく嬉しかったです。でもこれもこの4人とだったからこそああ言えたのかな〜ともまた思ったりします。


カーテンコール後にモニターに出される文章は本作の設定を読み取ったAIが下した判断だということをアフタートークでお聞きして。でも確かにあれを必死に目で追って読むことで妙に納得したのと同時に、なんだか思考を奪われているようで嫌だなと思いました。作中で皆さんがそれぞれ「いい人間」を選ぶ時の理由はどれも納得できたし、それによって考えが揺らぐことも決して嫌ではなかったです。多分それはそれぞれの背景や価値観に基づいた「人の考え」だったから。機械的に提示された答えはある種なによりも俯瞰で冷静ですが、わたしは苦手かもしれません。そう考えたら人と話すことで考えを知ることができるのって尊いことなのかもとまた思ったり。

ごちゃごちゃ書いてまとまっていませんが、私にとっては自身の弱みと向き合いつつも優しく背中を押してくれる希望に満ちた作品でした。
これはこの作品が、というよりは7月12日の公演だったからなのかもしれません。回数を重ねたらまた違う考えが生まれるのかもしれません。でもこの1回性って何よりの魅力で財産、それこそ一期一会で人との出会いみたいなものだなと思います。

他の角度からも見たかったです。
また違うことが沢山あるんだろうな。
話を中心に書いてきましたが、ダンスも歌も照明もすごく素敵で好みでした。壁の照明も近未来的かつ閉塞感が伝わってきたり、ひとつひとつの音楽の歌詞がまたグサグサ刺さってしんどかったです。衣装もすごく素敵だなと思っていたのですが、カーテンコールになった時こんな鮮やかだったんだ!という驚きもまたありました。

日曜日までみたいなので、お時間ある方はぜひ!その時その瞬間しか感じられないものがあると思います。
舞台に立つ皆様に何よりの尊敬を込めて。
無事に千秋楽を迎えられますように!

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