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覚悟して楽しむということ

忙しくて全く見ることのなかったオリンピックですが、それが終わろうとしている頃にこんな記事が目に入りました。

覚悟して楽しむ…言葉にするとそういうことか!と。
これは私の温泉ライフにも当てはまることなのです。

現場主義

昨年末、私は温泉の現場に戻りました。おかげさまで昨年も(そして今年に入ってからも)数社の大手メディアさんの温泉特集で裏方をさせていただき、私の脳内の温泉企画が世に出て現実のものとなっています。でも私は「温泉ライター」だけの人として生きるつもりはほとんどありません。

温泉ライターを名乗る方は山ほどいます。温泉ユーチューバーや温泉インスタグラマーもたくさんいます。でも、その中に現場をきちんと経験した人はどれほどいるでしょうか。取材先の温泉管理についてきちんと理解できる人はどれほどいるでしょうか。

バルブのちょっとした加減で湯量や温度が大きく変わることを知ってますか?
身体を流さず湯船に入る人が1人いたら、どれくらいお湯が濁るか知ってますか?
どれくらいで露天風呂に藻が発生するか知ってますか?
それを落とすためにどれだけの労力が必要か、経験してますか?
湯殿に誰もいなくても「自分が入る前に混雑してた」って察知できますか?
入浴した時のお湯の状態が、その施設のスタンダードな状態だと言える根拠や経験値はありますか?
当たり前を当たり前にすることがどれほど大変か分かりますか?

私は実体験でそれらを理解していますが、ほとんどのライターはそうではありません。だから「かけ流しか」「泉質は」「露天風呂からの景色は」「設えは」といった(誰でも語れる)部分しか記事にできません。それはペーパードライバーや運転免許を持っていない人が自動車評論家として書く記事のようなものです。

私が温泉をきちんと学ぼうと思ったのは、自分がまさにそのような人間だったからです。そして、学ぶことを突き詰めていたらひとりで日帰り温泉施設を運営することに。その時の経験は何よりの財産でした。副業でウェブメディアのライターをしていましたが、現役で温泉の現場に立ってる者が別の温泉の現場でお話を伺う…これ以上の良い環境はありませんでした。

でもその温泉運営が(不本意ながらも)終わった時点で、それらは過去の話。このまま過去にしてよいものかと考えました。ご縁があって他の温泉施設の運営サポートに入りましたが、そこで現場にいたらやっぱり楽しいし、温泉について学ぶことが多い。やはり現場に戻るべき、という思いが自分の中にありました。

そんな折、かつて取材でお話を伺って以降ずっと親しくしていた方からお誘いを受けて、温泉旅館で働くことに(個人自業主としてのお仕事も継続しています)。住む場所を変えて二拠点生活になりましたが、再び現場に戻ることができました。引き続き取材などのお仕事は受けていますが、また温泉に関わる方と同じベースに立って話せるようになり嬉しく思っています。

楽しむしかない日々

自ら望んで小さな温泉旅館で働くということ。過去の取材で、取材とは思えない経営論のようなものをお互いに話し、それを突き通してきた者同士が同じ現場にいるということはどういうことか。

そこに「◯◯は苦手・できない」とか「楽しくない」とか「大変だ」とか、ネガティブな感情は存在しません。やるべきことは全部やる、変えたほうがいいことはどんどん変える、常にすべてを楽しむ。

そして、いつまでもこの現場にいない。いつまでも主従関係でいない。私もまた自分の現場を持つ。

後悔も悩む余地もなく、退路もありません。そういう生き方を自分で選び、できることをさらに広げ、同じ立ち位置にいる方々と一緒に生きるつもりです。そんな気持ちで暮らしていましたが、冒頭の記事の「覚悟して楽しむ」という言葉に触れ、今の気持ちに通じるものを感じました。

たぶん、どんなジャンルであっても覚悟して楽しんでいる人たちは強い。そういう方々と一緒に温泉の現場で生きるのは実に楽しいのです。

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