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地球のはなし 思い違い

 このところ、何かがあったという記憶はあるのだが、その具体的な内容はぼんやりとしていて、明確に思い出そうとすればするほど、それは何処かに遠ざかり、釈然としない心もちだけが残る、というようなことが多くなった気がする。

 こうしたことは年老いると普通のことだと聞かされてきたし、親たちもそんな風であったから、私もその道をたどっているのだと思うだけで、大きなショックを受けるというわけではない。

 ともかく、記憶力の衰えを実感せざるを得ないのだが、比較的最近まで、記憶力はそう悪くないつもりでいた。とくに若いころ、とりわけ高校時代までのことは、細部にわたって漏れなくとまでは行かずとも、よく覚えているつもりだった。昔の仲間と話していて、よく覚えているなあ、と言われたこともある。

 ところが、これも怪しくなってきたようなのである。8月初めに、長年会っていない高校の同級生から電子メールの連絡があった。名前も風貌も覚えていたので懐かしくなって、返信のついでに、小学6年のときの思い出をかなり詳しく書いたら、登場人物の一部が全く違っていたのである。そして、「僕は別の小学校だった」と付け加えてあった。

 このくらいの思い違いなら修復可能で、笑い話で済むけれども、中には深刻なのもあるに違いない。確かな記憶と思っているものも、時の流れの中で変質して、とんでもないことになっていることがあるのではなかろうか。
                           (2007.9.1)

別府温泉地球博物館理事長の由佐悠紀が執筆し、新聞・雑誌などに掲載されたものを順次ご紹介しています。--

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