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地球のはなし 白熱電球

 太平洋戦争直後の1940年代の後半、電力事情は極端に悪く、停電は日常茶飯のことだった。電球が払底したこともあった。そんなとき我が家では、皿に菜種油を入れ、糸くずを撚ったのを燈心にして、灯にした。もちろん暗かった。

 あまりに暗かったので、祖父がどこからかランプを引っ張り出してきた。火をともして火屋をかぶせると、まばゆいほどになった。しかし実際は、そう明るくなかったに違いない。電気が来て電球も手に入って、スイッチを入れたときの明るさは、大変なものだった。

 そのころの電球のバルブはすりガラスではなく、透明なのが普通だったので、フィラメントが光っているのが見えた。そのフィラメントは、しばしば切れたが、軽く振るとつながって、また光ったりした。

 今は昔のはなしながら、そんなことが鮮明な記憶になっているからか、蛍光灯より白熱電球に親しみを覚える。だから、30年ほども使い続けてきた、枕元の電気スタンドは白熱電球であった。

 そのスタンドのプラスチックの部分が壊れ、スイッチの具合も悪くなったので、暮れに買い換えた。今度は、蛍光灯である。デザインがシンプル、安価なのが理由である。ワット数が小さく、ささやかな省エネ・温室効果ガス排出削減のつもりも少しあった。

 数日後本紙のトップで、温暖化対策の一環としての、白熱電球製造中止の方針が報じられていた。事態はそこまで来ている、と認識しなければならないのであろう。

                            (2008.1.15)

別府温泉地球博物館理事長の由佐悠紀が執筆し、新聞・雑誌などに掲載されたものを順次ご紹介しています。--

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