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地球のはなし 駄菓子

 60年も昔、太平洋戦争が終わって間もない頃、子供たちの多くは青ばなをたらしていた。ひどい食糧不足がもたらした栄養失調のせいだったらしい。私も似たようなものだった。半農半漁の田舎にいたので、日々の食事に困ることはなかったが、栄養状態は良くなかったのだろう。おやつはめったになく、たまにもらうのはサツマイモばかりだった。

 しばらくして、お菓子を口にすることができるようになった。いわゆる駄菓子である。甘みはサッカリンなどの人口甘味料でつけてあったためか、たくさん食べると頭が痛くなったりしたが、そのうち砂糖が使われるようになって、甘みに飢えていた私たちを癒してくれた。出してくれたのは、祖母である。だから、駄菓子は老人のものと思っていた。

 長じては、左党になったこともあって、和菓子であれ洋菓子であれ、菓子類にはほとんど見向きもしなくなった。同世代の者はケーキやクッキーに手を出すことが多かったから、私たちが老いる頃には、駄菓子はなくなっているかもしれないと、家人と話したこともある。

 ところが今、なにかの集まりに出席すると、さまざまな駄菓子が出てくる。出席者の中には、私と同年代の人たちも多い。せんべい・かりんとう・豆板・黒棒・梅鉢・ぼうろ・おこし、もなか・栗饅頭・きんつば・羊かん・らくがん…。駄菓子はちゃんと伝承されていて、いつの頃からか我が家にも現れ、私自身もつまんでいることがある。
                                                                                                (2006.1.31)

別府温泉地球博物館理事長の由佐悠紀が執筆し、新聞・雑誌などに掲載されたものを順次ご紹介しています。

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