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地球のはなし 25年前の悲劇

 南極関係の箱の底から、新聞の切抜きやコピーが出てきた。1979年の11月末から12月初めのもので、南極観光機遭難の記事であった。

 11月28日の午後、ロス島のエレバス火山の中腹にDC10機が激突し、日本人24人を含む257人の全員が亡くなったのだった。後になって思えば、その時間に、私たち日本人4人は、スコット基地からバンダ湖にヘリコプターで向かっていた。絶好の晴天だった。

 バンダ湖に着いたら、ニュージーランド隊のリーダーが「どうも変だ、DC10との交信が途絶えた」と言った。遭難が明らかになったのは、深夜になってからだったと思う。

 バンダ湖には、ロス島一帯のレスキュー隊が、訓練のために滞在していて、主だった数人が、急きょ飛来したヘリで現場に向かった。白夜とは言え、太陽が山の端に隠れて、いくらか薄暗かったことを思い出す。

 南極探検では、何人かの方々が亡くなっているが、使命を果たそうとする過程での犠牲であった。しかし、1979年の悲劇はまったく異質のもので、ごく普通の市民が遭遇した、理不尽な事件であった。

 厳しい環境ゆえに、遺体の収容はできなかった。ご家族の無念さは察するに余りある。思い出すのがつらかったので、これまでほとんど話したことがないのだが、記しておきたいのは、レスキュー隊が日本人のために、両手で包めるほどの大きさの石を24個、現場から持ち帰ったことである。
                          (2004.6.9)

別府温泉地球博物館理事長の由佐悠紀が執筆し、新聞・雑誌などに掲載されたものを順次ご紹介しています。--


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