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SNS上でのコミュニケーションとリアルのコミュニケーションの違い

わたしたちの生活は、テクノロジーによって劇的に変化した。
10年前とかと比べたら、かなり違う。

SNSでコミュニケーションをするようになったこともその一つだと思う。
今は、ネット環境があれば、だれでも発信ができる。

一方で、この状況をどう理解して、どう対応をするかというのが、課題になって降りかかってしまっている。

リアルのコミュニケーションとSNSのコミュニケーションの一つの大きな違いは、リアルのコミュニケーションは、基本的には1対1である一方、SNSのコミュニケーションは、1対多という特徴がある。

インターネット上のコミュニケーションは、制限をするしないはあるとしても、不特定多数で匿名の人々が目にするという特徴がある。
また、目にした人は、すぐ通り過ぎいくこともある。
不特定で匿名の人々は絶えず入れ替わることが想定される。

これは、自分の発信したいことを多くの人に届けられるということであり、良いことでもある。
今まで知られていなかった有益な情報が、多くの人に共有される可能性を持っていることは、とてもいいことだと思う。

一方で、「コミュニケーション」という意味でいうと、注意が必要な気がしている。
ここで一つだけあげると、SNSをやっている人には、ほんとうはその人の人格、個性があるはずだけど、SNS上だとそれが見えなくなっている、ということがある。

リアルの場だと、少なくとも1対1であれば、その人そのものとやりとりをする。その人が本当にどう考えているかすべてがわかるということはないかもしれないが、少なくとも、その人そのものと相対しているので、何らかの人格的要素が見える。

一方で、SNS上だと、それは見えない(あるいは、あえて見せていない)。

もちろん、あえてリアルの人格を見せないほうがやりやすいという人もけっこういるはずである(私もどちらかというとそういうところがある)。

しかし、コミュニケーション的には単純化の危険という側面がある。

例えば、1クリック、1ビューをただの数字のように見てしまうことによって、コミュニケーションを数字だけの世界に単純化してしまう危険があるのではないかという気がしている。

実際には、クリックしたり、スキを押してくれている人には、それぞれの個性があり、人格がある。
しかし、数字だけで見ることは、この個性や人格を捨象して見ることである。

この個性や人格を捨象して、数字だけで見てしまうことは、あまりにも相手をあるいはコミュニケーションを単純化しすぎてしまうような気がする。
例えば、相手を傷つけてしまわないかについて、意識が向かなくなってしまうかもしれない。

これは別に、ネット上なのに、その人のリアルの人格とか個性に対して、積極的に関心を持ちにいきましょうと言っているわけではない。

むしろ、昨日も触れたけど、あいまいさを許容するほうがコミュニケーションはうまくいくから、ちょうどいい無関心も必要だと思う。

ただ、自分に単純化の傾向があるかもしれないことは、頭の片隅に入れておいた方が良いのではないかという気がしている。

noteは、割と長い文章が多いので比較的個性が現れる媒体だと思う。
そういう面では、単純化されすぎないコミュニケーションがあって、個人的にはちょうどよい気がしている。

SNSの良いところ、メリットは楽しみながら、享受して、数字で単純化してしまう危険性があるかもしれないことを一応頭の片隅に置いておこう、そんな感じです。今日はこのくらい。

ということで「今日一日を最高の一日に

起床時間 6:30 寝坊した… 

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