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それでも、人間の心を信じる②/「倫理資本主義の時代」(マルクス・ガブリエル著)

長くなってしまった前回の続き(それでも長くなり、また分けることになりました・・・)。

なんと、本書の編集者の方にリポストしていただきました!びっくりしました!ありがとうございます(T_T)


と言うことでルンルン気分で前回の続きです。

斎藤幸平さんの幻の解説

本書に対しては、斎藤幸平さん(以下、「齋藤氏」)が、かなり辛辣に批判をしている。
本書の解説に下記の文章を入れようとしてガブリエルに断られたらしい。まえも触れたけど、読んでいただければわかるとおり、合っているかどうかは別にして、自分の本に内容を辛らつに批判される解説を入れられるのはちょっと辛いとは思う(笑)

で。この「幻の解説」の内容について。
こちらについては、そうだよなあと思う部分と正直ちょっとよくわからないなあと思う部分があった。
本解説が指摘している批判をピックアップしてみます。

批判1 現実的に無理

もちろん、私はガブリエルの結論に同意しない。これだけ富の偏在した世界では、倫理資本主義はたんなるやったふりの「倫理ウォッシュ」にしかならないだろう。「最高哲学責任者(CPO)」の多くも買収されて終わりである。

哲学者と子どもたちによる資本主義の改革は実現可能か? マルクス・ガブリエル『倫理資本主義の時代』書評 by 斎藤幸平

要は、現実的に無理っしょ、どうせやったふりで終わるっしょという批判である。
これは真っ当な批判だと思う。でも、ガブリエル的にはやっぱり自分の本の解説にこれを書かれるのはかわいそうな気がする(笑)

ただ、斎藤氏は、「ここはガブリエルの主張に対して、全面的な反論を行う場所でもない」ということで、それ以上の個別の反論はあまりしていない。「より良い社会をめぐる問いは、「成長」や「コミュニズム」の定義にもよるし、未来の完全な予測は不可能なので、不毛なすれ違いになりがち」とのこと。
けれども、やっぱりむしろここのところをもっと読みたいよなぁと思ってしまった。不毛なすれ違いじゃなくてガチンコでやってるところみたかった。


斎藤氏は、このあとは、論理的な問題に限って、批判を展開すると述べる。

批判2 資本主義の良い面と悪い面は切り離せない

そこで、以下では、論理的な問題に絞りたい。一つが方法の問題である。つまり、ガブリエルはドイツ観念論を専門としながら、資本主義観は非弁証法的だという印象を受けるのだ。
(中略)
「良い面」と「悪い面」の両者が切り離せないというのが「弁証法」である。だからこそ、その裏表の関係を直視しながら、全く別のものを作り出さなければいけないとマルクスは考えた。もちろん、そのような別の社会も完全に矛盾を解消することにはならないだろう。それでも、まずはこの「良い面」と「悪い面」を切り離せないというアプローチは決定的に重要だと、私は考える。

哲学者と子どもたちによる資本主義の改革は実現可能か? マルクス・ガブリエル『倫理資本主義の時代』書評 by 斎藤幸平

要は、資本主義の「悪い面」に目をつむって、「良い面」だけ切り取るのは無理っしょ、という批判である。
これもすごくよくわかる。「倫理」とリカップリングしたって、資本主義の「良い面」と「悪い面」は切り離せない、そのことを忘れてはいけない、というのはすごく重要な指摘だと思った。

倫理資本主義は、資本主義の「悪い面」を切り離せないことを自覚しないとただの絵空事になってしまう気がする。この立場に立つのであれば、ここをいかに乗り越えられるかが勝負どころのような気がしている。


批判3 ガブリエル自身の哲学と倫理資本主義の関係性

最後に、斎藤氏は、ガブリエル自身の哲学と倫理資本主義の関係性について、指摘をしている。

この部分は正直よくわからなかった。

斉藤氏は、ガブリエルの下記の発言を引用している。

イスラエル軍が大量虐殺を計画したり、政府がそれを企図したりしていないことは明白だ。イスラエル兵の大部分は、家族や友人、国家の存続をテロ組織から守ろうとしているのであり、一般市民を標的にする意図はない。

https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/513169

これに対し、斉藤氏は、ガブリエルが「『明白な事実』を見誤っている」、「ガブリエルの主張は極めてドイツ=イスラエル的な道徳観としてしか映らない」と述べた上でこう結ぶ。

本来、普遍主義はヨーロッパ中心主義ではないはずだ。しかし、その普遍主義の理念がヨーロッパ中心主義の隠れ蓑にすぎないとしたら。倫理資本主義の肯定が、帝国主義や植民地主義の温存になるのだとすれば、私は本書を読んだ後にも、脱成長コミュニズムの必要性を、パレスチナの解放とともに声高に訴えなければならないのである。

哲学者と子どもたちによる資本主義の改革は実現可能か? マルクス・ガブリエル『倫理資本主義の時代』書評 by 斎藤幸平


ここの結びに至るまでの理解がうまく腹落ちしなかった。

そこで、この批判3の何が腹落ちしなかったのか、もう少し検討してみようと思います。

でも、長くなってしまって、もう少し続きそうなので、また次回にします(笑)


そんなわけで、まだ引っ張るのかよという批判をよそに、「今日一日を最高の一日に

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