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ホロヴィッツのスクリャービン

何だこれはと耳を疑う


ピアノとはこんなにも多彩な音を奏でるのか、と驚いた。何回も何回も聞いたのが作品番号42-5のエチュードである。
この曲はスクリャービンの傑作であることは誰しも疑う余地はない。
だが、ホロヴィッツの手にかかると、この曲は魔性の音楽に生まれ変わるのだ。誰かが「ホロヴィッツのピアノ(弱音)はホールのすみずみに響き渡る」と言った。聞いたことがない人は何を言っているかわからないが、一度ホロヴィッツのピアノを聞くと、身に染みて、いや耳に沁みてよくわかる。

ホロヴィッツは作曲する

ホロヴィッツの演奏は、わかる人には3秒でホロヴィッツの演奏だとすぐわかる。同じ楽譜のはずなのに、聴衆はあたかも異なる作品に感じる。このことこそが「ホロヴィッツは作曲する」と言われるゆえんで(もともと学生時代は作曲も勉強していたらしい)、原曲をアレンジしたりする、ということとは全く異なる。
冒頭から素晴らしい演奏。これだけ左手の伴奏が複雑なのに、うるさく聞こえない。極力ダンパーペダルを入れていないからだろうか。
25秒過ぎ、第一主題がもう一度繰り返される。この箇所はほとんどの演奏者が一度目と同じように演奏するが、ホロヴィッツはさらにペダルを入れずに濁りのない伴奏を弾くことで、メロディーライン明確に浮きだたせる。
ロシアピアニズムの真骨頂である「立体的な演奏」をまざまざと見せつけられる。このあたりだけで、ほかの演奏家の音楽とは全く違う「ホロヴィッツの作品」になってしまっているのである。

ピアノが歌う

よく歌うようにピアノを弾けと先生に習ったが、本当に歌うような音が出せる訳がない、と思っていた。このことがひっくり返されるのが、59秒当たりからの第2主題である。ただただ、ひたすら美しく「ピアノが歌う」。。何をバカなことを言っているのか、と思うかもしれないが本当に「ピアノが歌っている」のである。このあたりは、何も言わずに静かな場所でできればイヤホンで聞いていただきたい。誰しも、あまりにも美しく心を締め付けるようなホロヴィッツの芸術に心を委ねてしまうだろう。

ホロヴィッツの爆音

1:32あたりから第1主題が少し変形されて再現される。先ほどの繊細な歌声が打って変わって激しい炎のような暗く情熱的な演奏。このギャップに驚かせられる。ホロヴィッツは本当にすごいとしか言いようがない。そしてもう一度第2主題が少し変形され繰り返され終息を迎える。

誰が演奏しても。。。この曲はいまだにホロヴィッツを超える演奏を聞いたことがない。
是非一度皆様聞いてください。そして私はこの演奏を目標に収録に向けて練習中であるが遠く高い壁である。。。


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