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9月19日は400年の時を繋ぐ大事なご縁日 「秋季例祭」のお知らせ

小野照崎神社は、御祭神である小野篁公がお隠れになられた仁寿二年(852年)に上野照崎の地(現在の寛永寺 輪王殿付近)に創建されました。

現在の入谷の地に遷祀されたのは、それから約800年後の1629年9月19日のこと。

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幕命により江戸城の"鬼門封じ"として、京都の比叡山 延暦寺に倣って東叡山 寛永寺を建立するために移転を命じられ、末社である長左衛門稲荷(現:稲荷神社)のある現社地に遷座することとなりました。

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秋季例祭の特別御朱印では、道真公の和歌をあしらい、満月の夜お上野の山からの遷祀の道中を描きます。


「上野の山の上にあった氏神様が、氏子たちの住む入谷坂本まで降りてこられたと住民は喜び、小野照崎大明神として手厚くお祀りをされたとの記録が残ります。

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このような変遷で9月19日が大事な秋祭りの日となりました。

上野照崎の地から現在の入谷の地に遷ってきて約400年経ちますが、毎年、遷座が行われた9月19日には氏子をあげて「秋季例祭」が斎行されます。

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19日には氏子中で例祭を執り行い、23日は神賑として「足利学校/雅楽の夕べ」と題して、著名文化人をお招きして御神前に特設舞台を設け、日本文化を学ぶ講演と、雅楽の奉納演奏を行っています。

しかし、今年も感染症の影響で「足利学校/雅楽の夕べ」は中止、秋季例祭も規模を縮小しての斎行となります。

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お祭りとは「祈り」です。
私たちは毎年、祭りを通して氏子の方や参拝に訪れた多くの方々と力を合わせて神と人、国や地域の安寧を願ってきました。

感染症の影響で、連帯を深める機会を作れないことは誠に残念なことではありますが、一日も早く平穏な日常に戻り、皆様と笑顔で祭礼を行える日が来ますように、次代へ続く豊かな成長と、併せて感染症の早期終息を神職と氏子の代表にてお祈り申し上げます。

神社にご参拝の際は、心を合わせてお祈り頂ければ幸いと存じます。

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日本の風土と日本人の感性で磨き上げられた「雅楽」

例年、秋祭りの奉納行事である「雅楽の夕べ」でも奉納演奏されている雅楽(ががく)は、1200年以上の歴史を持つ、日本が誇る“世界最古のオーケストラ”です。

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というのも雅楽は、平安時代以前からあった日本の音楽や舞に、中国やインドなど様々な国の楽器や音楽が加わって発展した「ジャンルの垣根を超えた多様な音楽」なんです。

上代以前から日本に伝わる音楽や舞に、シルクロードを通って日本に伝来した中国系の唐楽(とうがく)、朝鮮系の高麗楽、ベトナムの林邑楽(りんゆうがく)、インドをはじめとする西域の楽といった様々な国の楽器や音楽。

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それらを徐々に統合・体系化し、1200年の歳月をかけて日本の風土と日本人の感性で磨き上げてきた音楽、それが「雅楽」なのです。

平安時代より雅楽は、国を挙げての祭礼や儀礼では勿論、様々な節会や観月の宴などの人の集まる機会に花を添える花形の音楽でした。

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「雅楽の夕べ」特別御朱印では、大変おめでたい雅楽の朗詠曲「嘉辰」をあしらい、満天の空の下、雅楽の夕べが行われる様子が描かれています。

今では宮内庁の楽師を中心に伝承されている雅楽ですが、小野照崎神社でも教化活動の一環として、明治期の正式な発会から135年続く民間最古の雅楽会「小野雅楽会」を主宰しています。


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残念ながら、本年も「秋季例祭」は規模を縮小しての斎行「足利学校/雅楽の夕べ」は中止となります。

また上演する際には、平安から1200年の長きにわたり日本人の感性を紡ぎ研ぎ澄まされてきた「雅楽」を実際に感じてみて下さい。


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