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入谷の夏はやっぱり朝顔! 朝顔と七夕の意外な関係とは🎋

風鈴にかき氷、打ち水や浴衣…🎐
夏の風物詩はたくさんありますが、皆さんがより夏を感じるのは何でしょうか😊

入谷の夏といえばやっぱり「朝顔」!

今回は小学生の頃、夏休みの宿題で育てた人も多いであろう、身近な「朝顔」を徹底解説します♪

「朝顔」特別御朱印では、顔と七夕をまったり楽しむ御祭神たちの姿が描かれています😊

江戸っ子たちが熱中した朝顔園芸

夏の朝に花を開き、私たちの目を楽しませてくれる「朝顔」。
見ているだけで涼しげな朝顔は、夏の風物詩として多くの人々を魅了しています😊

江戸時代、園芸がブームとなり、園芸は「ハマると家計が傾く三大道楽」に数えられました❕

その三大道楽の内訳は骨董こっとう収集」、「釣り」、「園芸」の3つ。
骨董収集や釣りはわかる気がしますが、園芸は少し意外な気もしますよね。

江戸時代、菊、椿、蓮など様々な植物が栽培され、次々に生まれる珍しい品種を今では考えられないような高額な値段で売り買いしていたのだそうです。

1860年に来日したイギリスの植物学者・ロバート・フォーチュンは、当時の江戸を「世界一の園芸大国」と評しました。

そして、なかでもハマる人が多かったのが「変化朝顔」
この、江戸時代におきた朝顔ブームのきっかけはなんと「江戸の大火」だったといいます。

江戸の大火が生んだ朝顔ブーム!

1806年に起きた「文化3年の大火」により、現在の御徒町辺りは更地となってしまいました。

その跡地に、植木職人たちが他の植物とともに朝顔を植えたところ、「変化咲き」と呼ばれる変わった朝顔がたくさん咲きました。

実は、朝顔というのはもともと突然変異を起こしやすい植物

変わったものや面白いものが大好きな江戸っ子たちは、まだ見ぬ朝顔の変化咲きを求め栽培に夢中になっていきました…!

7月の朝顔の御朱印にも登場していますが、江戸の町には朝顔売りの行商の姿も多く見られました。

行商人たちは、昼にはしぼんでしまう朝顔を昼前に売り切ろうと精を出したといいます。
儚くしぼむ朝顔に、江戸時代の多くの人が夢を見ていたのです。


七夕頃に開催される「入谷朝顔まつり」

朝顔ブームの時には御徒町で盛んに栽培されていた朝顔ですが、御徒町の発展と江戸幕府の崩壊に伴い、入谷の十数件の植木屋が造るようになりました。

入谷の朝顔は評判を呼び、木戸銭を取って見せるほど有名に。
ですが園芸ブームも去ってしまい大正時代になると、踏みとどまっていた最後の植木屋も廃業し、とうとう入谷の地から変化朝顔は姿を消してしまいます。

当社でもお山開きの時期には「朝顔土鈴」をお分かちしております。
(今年は7月15日まで)

そんな入谷の朝顔が復活したのは戦後になってからのこと。
戦後のすさんだ世の中を少しでも明るくしようと、地元有志や観光連盟の協力を得て昭和23年から入谷の朝顔市が復活しました。


そんな地元の人たちの想いが込められた「入谷朝顔まつり」は、毎年約40万人の人出で賑わう一大イベント!

毎年約60軒もの朝顔業者が満開の朝顔の鉢をずらりと並べて、歩行者天国の中を約100軒の屋台(露店)と共に江戸から続く夏の風情を届けます。

今年も新型コロナ感染症の感染拡大防止の影響でのために中止となりますが、職人さんが丹精込めて育てた朝顔は通信販売でも手に入れることができます。
詳しくは公式ホームページをご覧下さい。


「朝顔」と「七夕」の知られざるご縁


七夕と関わりが深い植物といえば、様々な願いを込めた七夕飾りや、自らの願いごとを書いた五色の短冊を結ぶ、大きな笹竹🎋…ですが、実は、「朝顔」も七夕と縁の深い植物だってご存知でしたか?

この名前の由来には、七夕伝説の彦星の中国名である「牽牛(けんぎゅう)」からきているという説と、当時高価だった種子が手に入ると牛を牽いてお礼にいったという説があるのだそう。

そういった由来から、朝顔は江戸時代には「七夕の縁起物」に!
花が咲いた朝顔は、「彦星」と「織姫」が出会えたしるしとして縁起の良いものとされました。

例年七夕のあたりに「入谷朝顔まつり」が行われるのも、七夕伝説にちなんでのことなのです。

来年こそは無事開催できますように…!

そんな時世の中、少しでも入谷の朝顔を感じて頂ければと、当社では今年も社務所や手水舎に大きなすだれを掛け、朝顔のカーテンを作ってお待ちしております。

毎朝多くの朝顔を見ることができますので、ご参拝の際には是非ご覧いただき、ひとときの涼を感じて頂けると幸いです😊



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