【🇨🇦カナダ留学③】
カナダに着いてから2か月目、
とうとう持ってきたお金も残り10万円を切っていた。
元々語学学校を卒業したあとの予定は何も決めていなかったため、1から仕事と家を探さなければならなかった。
家は比較的すぐに見つかった。
JAPANADAっていうサイトの掲示板で見つけたんだよね、確か。
それがあの魔界、通称ナタリア邸だ。
なぜ魔界と呼ばれたシェアハウスかというと、
ペルー人オーナーのナタリアは人を詰め込めば詰め込むほど儲かると考え、そんなに広くない部屋に5人詰め込んだ。
僕はそのうちの1人だ。
個人のスペースはベットの上だけ。
そんで家賃はCAD$600。
当時ウィスラーのシェアハウスの家賃相場はCAD$800〜CAD$1000くらいだったと思う。
でも後から聞いた話だと、女の子の部屋はもう少し広くて家賃も安かったらしい。
まあ家はシャワーと寝る時しかいないし、荷物が置ければ正直どこでもよかった。
仕事の方はというと、英語で接客ができるほど英語力があるわけじゃないし、スノーボードのインストラクターの資格があるわけじゃないし、、
「え?自分て何ができんの?」
っていう状態だった。
そこで思いついたのは、もう残された自分のスキルである居酒屋で培った調理職で戦うしかない…!ということ。
キッチンで働くことを決意した僕はいい感じの店やホテルのレストランにレジュメ(履歴書)を配り歩いた。
ジャパレスでは絶対に働かない。というより日本人のいるとこでは絶対に働かない。という強い意志の下、ローカルのレストランばかりにアプライした。
おそらく15件くらい配ったと思うんだけど、殆ど全て連絡なし。
そりゃほぼ調理の経験ないからね。
そんな感じで行き詰まっていたとき、語学学校内でHilton Hotelがシーズン雇用の募集面接会を行うらしい。っていう話を聞いた。
まあ皆行くみたいだし、これで受からなかったらもうジャパレスで働こうかなあと半ば諦め半分参加した。
会場に行くと皆スーツにネクタイ、ジャケットやスマートカジュアルっぽい面接に相応しいような格好をしていた。
僕はというと、、パーカーにキャップをかぶって太めのジーンズにスニーカーだった。
一次面接はヒルトンの事務の人と面接で、履歴書を見ながら英語力や働けるかどうかを見られる。
この時30人くらい応募があったかな。
皆ちゃんと準備してきていて緊張しているようだった。
まあ僕は、格好はこれからスノーボード行くような格好だし、皆が行くから付いてきただけだったので緊張のカケラもなかった。
僕の順番が近づいてくるにつれ、ここで働いている自分をかなり現実的に想像してみた。
結論、カッコよかった。
あ、ここで働きたい。なんでか理由はよく分からないけどそう強く感じた。
自分の番が回ってきた。
僕は事務の人の会話が全く理解できなかった。
なので「最後に聞きたいがあればどうぞ」って言われたんで「シェフに会わせてくれ」とかました。
今考えればよく言ったし、ホテル側もよくシェフを呼んできてくれたよなあと思う。
シェフに会って挨拶をして少し話をしたんだけど、これまた全く理解できない。
だから分かってるフリをして全ての質問に
『 I can do it ! 』
ひたすらこれだけを繰り返した。
「じゃあ厨房の中見てみるか?」とシェフが案内してくれた。
そして広い厨房を見てまた一言
『 I can do it ! 』
もう最後の方はシェフもニヤけてたと思う。
面接会のホールの席に2人で戻るとシェフが
「君のパッションに免じてチャンスを与えよう」的なこと言われたのを覚えてる。
このシェフはアツい人だなあと思ったのも覚えてる。
後日連絡がきて2次試験の実務。
金曜日の営業を回して即戦力として使えるかどうかを見られる。
働いてた居酒屋がぶんまわし系だったから正直余裕だった。
3次試験はシェフと面談。
本当はここでシェフと初めて話すらしい。
「この仕事はウィスラーに住む誰もが望む仕事なんだ。給料も良くて働けば社食が食べれてバケーションも取れる。あとウィスラースキーリゾートのシーズンパスも会社からもらえる。これ以上のことがあるか?」
と言われ、このとき初めてシーズンパスを無料でもらえることを知って、テンション爆上がりしたのを今でも忘れない。
I trust your passion, I’ll give you a chance
この言葉は忘れない。
面接で唯一聞き取れたっぽい言葉、、
就活が最初の試練だったけど、後から思い出すとこれはただの序章に過ぎなかった。
これが僕の気合いでどうにかなるマインドの礎。
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