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短編 ピンクの象が窓から

 ピンクの象が窓からじいっとこちらを見つめているので私は負けじと彼を見つめ返す。
 彼はゼラチン質のねばねばした何かでできているので、窓枠(もう何年も、誰も塗り替えていない)にベタベタとくっついてなかなか離れそうにない。私は手を伸ばし、窓のノブを押し上げて窓を開け、ガラス越しのそいつに触ろうと試みるものの、背の低い私の手は頭のはるか上のノブまで届かず失敗する。そいつは私がそうしている合間にも絶え間なく私を見ている。窓辺のクリスマスツリーに巻きつけた豆電球がピカピカと輝いて、そいつの半透明の体にその緑色の光が入り混じる。私は窓を開けるのを諦めて、それを見つめる。ピンクと緑の溶け合う、その奇妙な色合いを、じっと見つめている。
 ジェニファー、とママの呼ぶ声がする。頭に結んだ青いリボンが後ろに引っ張られた感じがして、私は振り返る。引っ張ったのはママの声だ。今日のママの声はざらざらとして、どこにでも引っかかる猫の舌みたい。早く行ったほうがいいよ、と私の頭の内側でもう一人の私が言う声がして、私は慌ててゾウの方を振り返り、言う。「待ってて、今あんたにクリスピー・クリーム・ドーナツのホリデー・スプリンクルをあげるから」って。頭の中には赤と緑のシマシマに塗られた1年に一回しか店頭に並ばないクリスマス仕様のドーナツのギフトボックスが浮かぶ。その味を想像して、私の口の中は途端に唾でいっぱいになる、もう一度、ジェニファー、という声がして、今度はスカートの裾が引っ張られた気がしたので、私は大慌てで居間を出てママの元へと駆けてゆく。ピンクの象はその間もじっと私を見ている。
 
 ママは疲れた表情でこちらを見ていた。洗剤の大きなボトルを持ち、片手には洗濯機に入りきらなかった洗濯物を抱えている。足元の洗濯カゴにはまだ大量の洗濯物が山盛りに溢れ、後2〜3回は洗濯機を回さないと完了しそうにない。ラヴェンダー色の古い壁紙がそこらじゅうめくれ上がっている洗濯室はメキシコダウニーの人工的な花の香りに満ち溢れ、さっき乾燥機から出したばかりの熱を放つ洗濯物たちのおかげで、太った猫の胃袋の中みたいにぬくぬくとしている。ママの、黒い線で縁取られた目と眉毛だけがその中で浮き上がって見える。
「早く子供部屋から洗濯物を持ってきてちょうだい」
 こう言う声の時のママには逆らわないで大人しくしといたほうがいいよ、セーリだから、そう教えてくれたのはお姉ちゃんだ。セーリって何、と私が聞いたら、お姉ちゃんは片目をつぶって「あんたがもう少し大きくなったら教えてあげる」と言った。「秘密を分かち合うには、ふさわしい年齢ってものがあるの」ーー灰色のパジャマとギンガムチェックの青いリボンが大のお気に入りだったお姉ちゃんは3年前の夏にワシントンパークの脇にある車道で20tトラックの車輪に巻き込まれて死んだ。トラックの車輪がお姉ちゃんの漕いでいた自転車に接触し、お姉ちゃんの体はあっという間に車輪の中に巻き込まれた。私はその瞬間を見ていない。パークのプールでママと一緒に黄色いアヒル型の浮き輪に捕まり遊んでいたから。見たのはずぅっと後になってからだ。意地悪で実況が大好きなユー・チューバーと呼ばれる人種のうちの1人が、パーク横の団地のベランダからスマート・フォンの画面越しにその様子を見ていた。彼はお姉ちゃんの後ろにトラックが近づくのを見ても「危ない」とも叫ばなかった。ただ黙って撮影していた。少なくとも彼がYou tubeにアップした動画の中にそう言う声は含まれていなかった。お姉ちゃんの体が車体に巻き込まれて見えなくなった後に「すげえ」とか「ジーザス」とかいう彼の独り言だけが、自転車の部品が飛び散る鋭い金属音の中に混じって聞こえた。すでに骨を砕かれ、ぐにゃぐにゃになったお姉ちゃんの体を引きずりながらトラックがパークの脇の道を全力で疾走しても、彼はその四角い画面の中にずっとそれを収め続けることに夢中で、警察に通報すらしなかった。点々とお姉ちゃんの破片を地面に落としながら、トラックが黒い点となって画面の奥に消えるまで、その様子をずっとスマートフォンで撮影し続けていた。
 彼の動画はYou tubeにアップされ、あっという間に複製され、アメリカ合衆国中のあらゆる地域のサーバーに保存され、分裂するアメーバみたいに消しても消しても無限に増殖した。ママはそれをモグラ叩きみたいに追いかけ続け、見つけては削除依頼を出し続けた。家事も仕事も放り出し、毎日12時間以上パソコンの前に座り続けるママを誰も咎めなかった。この時すでにママと別居していたパパはママを慰めにうちのアパートメントに何度も足を運んだけど、ママはそれを必要としていなかった。お姉ちゃんが死ぬ前には週に1度あった「パパの日」もなくなり、私はたった一人、灰色のアパートメントにママと一緒に取り残された。
 私はよく、ママが見つけそびれたお姉ちゃんの動画をインターネットで発見して、こっそり眺める。何回も何回も何回も。7月のエーデルワイス色の日の光に笑顔を浸し、目を細めて道の後ろを振り返るお姉ちゃん。ユー・チューバーは、トラックに巻き込まれる直前のお姉ちゃんの顔をズームで撮っていた。ぼやけた画面の中でお姉ちゃんの笑顔はぐんにゃりと粗い粒子の粒に分解され画面じゅうに分散する。その笑顔は見ている私の心に忍び込む。お姉ちゃんは私の中で永遠に笑顔だ。ピンクのヘルメットをかぶり、金髪をなびかせて走るお姉ちゃん。0:25まで笑顔のお姉ちゃん。確かに生きていたお姉ちゃん。その先のことは知らない。0:25までは現実で、その先の映像は、どこか別の世界の出来事みたいだ。

 ともあれ、こんな風にしてお姉ちゃんがいなくなってしまったから、私にセーリについて教えてくれる人はいなくなってしまった。だから私にはセーリは永遠に来ないのかもしれない。幼馴染のジョージが「秘密を誰かに教えてもらえないやつは、仲間には入れてもらえない」と言ってたから。

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