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出会うことも、出会わないことも、すれ違うことも、別れることも、再会することも、すべて縁

先日、嬉しい再会がありました。
音信不通になっていた友人とまたこの人生で巡り会えることになったのです。

淡路島に移住する前に1年半ほど住んでいた神戸のシェアハウス。
彼女とはそこで出会いました。

未だに年齢が分からないのですが、わたしより年上なのは確か。
だけど屈託のない笑顔で笑うその純真さは幼い少女のよう。
無邪気という言葉がぴったりで、まさに邪を一切感じさせない人でした。
この人は人間の振りをした天使なのではないかと思って、背中から羽が生えていないかジーっと見つめたことがあるくらい。
世の中にはこんな無垢な人がいるんだなと初めて思った人でした。

そんな彼女は引っ越してきた初日にお腹を壊して、トイレで何度も水を流しているうちになんとトイレまで壊してしまいました(笑)
部屋の窓を開けっぱなしで出かけてしまうこともよくありました(笑)
炊飯器でお米とニンニクを一緒に炊いて、家中を強烈な匂いで充満させたこともありました(笑)

予想外なことをして周りを巻き込むのですが、どんなことをしてもなぜか憎めない可愛さ。
わたしもこんな愛らしい人になりたいわと言うと、発達障害であることを教えてくれました。
でも、障害者どころか天才にしか見えません。

例えば、彼女は蘭を育てるのが上手でした。
いままで育ててきた胡蝶蘭の写真を初めて見せてもらったときは、その美しさに思わず号泣!

胡蝶蘭ってワイヤーで固められて前方におじぎをするように咲いているイメージがありますよね。
彼女の蘭たちはワイヤーで固定されず、のびのびと好きな方向に茎を伸ばして咲きます。
その姿が楽しそうにダンスをしているみたいなんです。
笑い声が今にも聞こえてきそうで、「すごい!お花が笑ってる!お花って笑うんだ!」と、思わず叫んでしまいました。
ひとつひとつの蘭が最大限にその個性を発揮して咲いていて、その生命の輝きに涙が止まりませんでした。

彼女はそんなわたしを見て、とある一冊の本を渡してくれました。
タイトルは忘れてしまったのですが、植物と宇宙の関係性についての本でした。
さっそく1ページ目を開いて読み始めると、難解過ぎてさっぱりわからない(汗)
シュタイナーの理論とかが分かる人なら読めると思うのですが、わたしの頭では全く理解不能。
彼女にはこんな難しい内容が当たり前に分かるなんて凄いなあと感心。
せっかく貸してもらったものの、10行ほど読んだだけで挫折して速攻返却したのでした(笑)

また、彼女は人に対して壁が全くなく、誰といても寛いでいて朗らかに話す人でした。
どんなシェアメイトとも分け隔てなく接して、初対面でもあっと言う間に仲良くなってしまいます。
相手の国籍、性別、年齢、容姿などで態度が変わることは一切なく、誰といても彼女はいつも彼女のまま。
邪がないというよりも我がないという感じでした。

植物を育てる美的センス。
難解な書物も容易く理解してしまう知性。
卓越したコミュニケーション力。
彼女の一体どこに障害があるのだろうと思ってしまうわけです。

以前、発達障害である中学生の男の子の家庭教師をした経験があるのですが、彼も無邪気でコミュニケーションが素直で愛らしく、そして途中から天才的な能力を発揮して度肝を抜かれたことがありました。

発達障害とは一体何をもって〝障害〟と規定しているのか、わたしにはハテナがいっぱいです。
むしろ、彼女には当たり前に理解できる本が読めず、彼女には当たり前に構築できる人間関係が築けないわたしの方が、よっぽど何かが発達していない障害者なのではないかと。

そんな素敵な人とせっかく出会えたのに、その頃わたしはパニック障害やらで心身の調子が安定せず、良好な人付き合いができるような状態ではありませんでした。
仲良くなりたいけれどなれないその葛藤に悲しさや寂しさを感じたまま、淡路島に移住が決まってお別れすることに。
彼女とはほんの3ヶ月ほどの短い生活期間でした。

もっと体調が良くて正常な状態だったら仲良くなれたのかな。
彼女とお友達になりたかったな。

そんな後悔めいた想いを抱えつつ移住した後も、しばしばLINEでやりとりしたり蘭の写真を送ってもらったりと関係は続いていたのですが、翌年に思わぬ悲劇が起きました。

淡路島の海岸で潮干狩りをしている最中にスマホを海中に落としてしまい、データが全部消えてしまったのです。
バックアップをとっていなかったこともあり、写真も連絡先も全ての全てが消えるという大惨事に見舞われました。

2時間の潮干狩りで獲れたアサリはたったの一匹、生じた損失は7万円。
とんだ一日となったこの日以来、彼女とは連絡が取れなくなってしまいました(涙)

下の名前で呼んでいたので苗字を含めた本名が分からなかったり、SNSでも繋がっていなかったということもあり、このネットワークが発達した時代では稀有な〝音信不通〟となってしまったのでした。

その日からおよそ2年。
体調も回復して元気になってきたら、彼女のことを頻繁に思い出すようになりました。

元気にしてるかな。
また会いたいな。
今ならきっと良いお友達になれるのにな。
そんな想いがよく湧いてくるように。

人生ではタイミングが合わなくて、思うようにならないこともある。
そう思って自分をなだめていると、Instgramに知らないアカウントからメッセージが届きました。
開いてみるとなんと彼女ではありませんか!

えええええ?!
こんなことってある?!
心底びっくりしました。

これを機にめでたく音信再開通となって、さっそく先日淡路島に遊びに来てくれて無事に再会!

相変わらずの屈託のない笑顔と無邪気な振舞いに、思わず目尻が下がってしまいます。
一緒に食事やおしゃべりや海遊びを楽しんでいると、なんだか夢を見ているみたい。
シェアハウス時代はシェアメイトとしてお互いの名前をさん付けで呼び合っていたのですが、これからは友人としてお互いをちゃん付けで呼び合おうということに。
お友達になりたいというあの願いが3年越しにこんな形で叶うことになりました。

人生ではタイミングが合わず思うようにならなくて諦めることもある。
けれど、生きていればどこかでタイミングが合って思わぬ形で現れることもある。

目に見えない縁で繋がっているこの世界。
その縁を結んだりほどいたりまた結び直したりしている大いなる何か。
そんな偉大な力と働きを感じた奇跡の再会でした。

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