普通であることにこだわる僕5

これまでの記事を読めば僕の家がまぁまぁ貧乏だと言うことは察することができたと思う。

さすがにテレビとかに出るレベルの貧乏では無いにせよ、家に帰ったら水道、電気、ガスのどれかが止まってることなんて普通だったし、近所の人からもらったじゃがいもだけで食べ繋いだ日もあった。

貧乏でも子供は育つ。

育つということは、体が大きくなるという事だ。

体が大きくなるってことは、服のサイズが合わなくなってくる。

新しいズボンを買って欲しい、と母親に頼んだら母親はタンスから色落ちしたジーパンを取り出し「これ履けるでしょ」と渡してきた。

渡されたのは今で言うスキニー。当時で言うレディースのデニム。サムシング。

当時の僕にはオシャレの知識なんて無かったので、仕方がなく渡されたジーパンを履いて学校に行った。多分小学6年くらいだったか。

「お前が履いてるズボン、レディースじゃね?」

意味がわからなかった。レディース?なにが?

クラスのみんなが俺の事を囲んで「レディースだ!」「女の履くやつだよそれ!!」「だっせぇ!!」といじってきた。

女の履くやつ、あ、確かに母ちゃんから貰ったやつだ。

でもこれ履いてけって言われたし…、そんな事を考えながらも何も言い返せなくて、学校帰りに一人で泣いた。

家に帰って、ハサミでそのレディースをズタズタに切り刻んだ。

なんで新しいの買って貰えないんだろう。

なんでバカにされなきゃ行けないんだろう。

あいつらみんな家に帰ったら美味しいお菓子が沢山用意してあって、お母さんがおかえりって優しく出迎えてくれる、そんな家に住んでるはずなのに、なんで何も持ってない俺をバカにするんだろう。

自分が幸せならいいじゃないか。

なんでわざわざ自分より哀れな人間を見つけたらバカにするんだろうか。

この時のことは今でも覚えてる。帰ってきた母親がズタズタになったジーパンを見て俺を怒鳴りつけた。
その怒鳴りつけた声に気づいた父親が事情も知らずに俺の頭にタバコの火を押し付けた。

「ズボンがいらねぇなら履くな!!」

そう言われパンツ一丁で外に放り出された。1時間くらい。

この時くらいから、母親が帰ってくる時間を見計らって、家の外で首を吊る振りをして、なんとか母親にこの家の異常性に気づいてもらおうとした事もあった。

学校の奴らは、別に俺をいじめてるつもりも無ければ、俺もいじめられてると思ってなかった。

あの時俺の事を「レディース」とバカにした奴らとは、今でも飲みに行ったりする中だけど、やっぱり心の奥でちょっと引っかかってるものもある。

中には未だに「お前あん時レディース履いてたよなw」っていじってくるやつもいて、別に分かって欲しいつもりじゃないけど、結局生まれた時から暖房がついてる部屋に生まれたやつに、極寒で過ごした人間の気持ちなんてわからないんだなって、少しだけ、本当に少しだけだけど虚しくなった。

それでも結局俺はこの経験を少しも活かせず、他人にバカにされるくらいならバカにしてやるって、間違った方向に成長してしまって、中学高校は人をいじったりした事もあった。

もうイジられる側に回るのはゴメンだって思いが強かったのかもしれない。

そんなもんは大人になって思えば、子供の言い訳にしかならないのだけど、あの時少しでも他人を思いやれる心があったら、少しは違った人生になってたのかもしれない。

自分の今の環境を、生い立ちや家族のせいにして責任から逃れるつもりは全然無い。
結局俺個人が一つ一つの選択を誤って、弱さに負けて、そんな出来事が複雑に絡み合って今の俺になってる。
後悔があるか、ないかで答えるとそれはもちろん「ある」。

でも今、2階で寝ている子供たちや奥さんの顔を見ると「それでもこの人生でよかった」と思ってる。

この子達には、俺がしたような経験は絶対にさせたくない。
普通に、普通の人生を過ごして欲しい。

でもその「普通」が呪いのように俺の行動を一つ一つ変えていく。

「絶対に普通じゃなきゃ行けない」という強迫観念に駆られてしまう。

子供たちの服も、靴も、おもちゃも「普通はみんな持っているはず」と他人を意識して買うようになってしまった。

少しでも普通じゃない事があれば、子供相手に怒ってしまうこともある。

「なんでこんな簡単なことが出来ないのか!?」
簡単なことが出来ない事が問題なんじゃなくて、周りの人間に「お前の子供だから出来ない」と思われることが何より嫌だった。

俺の子供に生まれたせいで、子供たちが何か嫌な思いをすることを恐れた。本当に、本当に恐れた。

「𓏸𓏸の子供だから」

俺が子供の頃、嫌という程聞いた言葉だ。

あの親父から生まれた俺にはきっと親父と同じような思考、考え方、性格が混ざってる。
きっとそれは子供たちにも遺伝するかもしれない。

絶対にそれだけは避けたかった。

俺は親父と同じようには絶対にならない。

毎日家族のために働いて、子供たちを幸せにしなきゃ行けない。

それが何もしてこなかった俺に唯一できる使命なんだ。

この子を立派に育てる。

いつしか求めていた「普通」は「かつての理想」となり、子供に求めることも増えて行った。


必要以上に怒って、怒られた子供は涙目で俺を見てた。

「多分俺はあの時の親父と同じことをしてるかもしれない」

きっと俺に足りなかったのは、普通の生活じゃなかった。

足りていなかったのは自分を認める自己肯定感だ。

自分は頑張ってる、努力してる、大丈夫。

そう言った気持ちが生きていてほとんど無かった。

書いたか書いてないか、そんなの覚えちゃいないが、俺の母親は人を褒めることが出来ない人間だった。

子供の頃に母親がパートから帰ってくる前に洗濯物を畳んで、風呂を掃除して、洗い物をして米を炊いて母親の帰りを待つ、それが日常だった。

母親からは1度も「ありがとう」を貰ったことがなかった。

それどころか食器を洗ったスポンジが違うスポンジを使ったとかどうとかで、怒鳴られたこともあった。

母の日にご飯を作れば「普通」。

絵画コンクールで金賞を取って、初めて絵で認められたのが嬉しくて家に帰って母親に見せたら「このくらいあたしでも描ける」と謎の張り合いをして来た。

俺はこの頃から母親に何かを求めるのは無駄だし、育ててもらってるだけ感謝しなくてはと考えるようになった。

たぶん、というか俺の根底には「他人に認められたい」というモンスターが住んでる。

たぶん、他人に認められる「理想の子」を育てようとしていたのだと気づく。

ちゃんと父親やってますって、他人にアピールしたかったのかもしれない。

俺はそんなにしょうもない欲求を満たすために、子供を怒鳴ってたのか。

本当に嫌な気分になった。

自分にない自信を子供を通して手に入れようとしてた。

この子は何にも知らないのに。

俺はたぶん、父親に向いてない。

普通の父親がわからない。普通の家が分からない。
俺の普通をこの子達に押し付けたくない。

子供たちが気の毒だ。俺の時みたいに、父親になれない男の元に生まれてきてしまった。


どうしたらいいかわからなくて、子供にどう接したらいいか悩んでいた。

ある日長男が「自己紹介カード」みたいな、好きな物とか好きな友達とかを書く画用紙を持って帰ってきた。

そこには
好きな物 パパが作ったからあげ
好きなこと パパとあそぶこと

って書いてあった。

涙が止まらなかった。
この子達はとっくに、俺を父親として認めてくれていた。
俺と関わる時間を「好き」と言ってくれたこと、今まで生きてきたことが全て報われる気持ちだった。

次男も「すきなおともだち パパ」と書いてきた。

俺は自分で頑張って、父親になろうとしていたけど、多分違った。

この子達が俺を父親にしてくれた。

この子達が俺を認めてくれた。

そう思うだけで、馬鹿な自分と決別すると同時に、

本当に愛してる。

この言葉を言わせてくれて、産まれてくれてありがとうって思えるようになった。

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