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『謎ときサリンジャー』批判

『謎ときサリンジャー 「自殺」したのは誰なのか』(新潮選書)は、J.D.サリンジャーの短編『バナナフィッシュにうってつけの日』(原題 A Perfect Day for Bananafish)のラストで自殺したのが本当にシーモアなのかと疑うことからスタートし、短編のなかにとどまらずグラス家サーガなど他作品もからめて様々な考察を展開した知的好奇心が刺激される本となっています。評判も良いようです。

買って読んで見たところ、私は最初の方で著者の考察に賛同できずに、つまずきました。著者が進めたい方向に考察を進めるために、無理にねじまげて作品解釈をしていると思えてしまう箇所があったからです。そんないくつかを、この記事にまとめました。少しでもネタバレを避けたいので、ボカした書き方をしています。『謎ときサリンジャー』を購入してご確認ください。

この記事が、サリンジャー作品の考察を深める役に立てたら幸いです。

私の考慮不足もあるかもしれません。間違いがありましたらコメントで教えていただけると嬉しい。

【問題1】第1章「若い男」の「男の正体」p.27 その1

『バナナフィッシュにうってつけの日』では、後半部に登場する人物に対してシーモアの名前の表記がなく単に「若い男」と書かれている。『謎ときサリンジャー』では、そこに着目して「若い男」をシーモアと断定することはできないと解釈している。

だが、「若い男」をシビルが「シーモア」と名前で呼んでいるに等しい場面がある。
原著において「若い男」は、young man と書かれている。初めて作中に登場するときは、不定冠詞がついた a young man (「若い男」)として現れる。その箇所は、シビルが浜辺で "Are you going in the water, see more glass?" と話しかける直前だ。英語の文法的に、この"see more glass" の位置には人名がくる。シビルがふざけていて、シーモアの本来の名前 Seymour Glass を "see more glass" と呼んでいることが、はっきりする場面でもある。つまり、以後の定冠詞がついた the young man (「若い男」)の表記は明らかにシーモアのことを指している。

【問題2】第1章「若い男」の「男の正体」p.27 その2

『謎ときサリンジャー』では、作者サリンジャーが後半の人物を「若い男」と表記したことを巧妙に特別な意味(シーモア以外の意味)を込めたものと解釈している。

だが、「若い男」表記だけを特別視するのはおかしい。

「若い男」は、原著では young man と書かれている。一方で、妻であるミュリエルは、girl と書かれている。会話のなか以外には、ミュリエルの名前は出てこない。地の文では、すべて girl と表記されている。
地の文で、この夫婦を girl と young man と表記し、名前では書かないことによる文学的効果を狙ったものと考えるのが自然な解釈だろう。

ちなみに、地の文で名前が書かれている人物は2人いる。Sybil(シビル)とMrs. Carpenter (ミセス・カーペンター、つまり、シビルの母親)だ。

【問題3】第1章「若い男」の「家族の証言」p.31

『謎ときサリンジャー』では、サリンジャーの作品の引用を独自訳でのせている。
そのひとつ、p.32 8行目「アリー・ウープみたいで恐縮だが、誰かさんというか、私自身にすごく似ている、というのだ。」は訳として微妙におかしい。

同箇所を素直に訳すと以下となる。
「─ああ、私も気にしていたが─とても私に似た誰かだ、というのだ。」

「アリー・ウープみたいで恐縮だが」の箇所は、原著では“─alley oop, I am afraid─” とハイフンで挟まれている。家族からの指摘ではなくバディ自身の気持ちが書かれているということを意味している。

“alley oop” とは、何か動作をする前の掛け声で、「よっこいしょ」などの訳がある間投詞。

「誰かさんというか」の箇所は、原著ではそう言っていない。はっきりと、someone「誰か」と書いている。

また、原著を読むとバディが書いた短編への家族からの指摘は、『短編中で「シーモア」とされる「若い男」が、まるでシーモアではなく、バディに良く似た誰かだ』ということ。
このあとバディは言い訳をして、短編のなかのシーモアおよび現実のシーモアと同じく自分もヨーロッパ戦線から戻ったばかりだったからと書いている。つまり、自分の戦争体験の影響が短編のなかの「シーモア」を描く際に影響してしまったと言いたいのだろう。

『謎ときサリンジャー』は、“alley oop”に上記とは違う意味があるとして考察をしている。その解釈は、新潮文庫『大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア─序章─』p.148に書かれた「アリー・ウープ」の訳注と同じ解釈である。だが、その解釈をこの文に当てはめるのは不自然だ。

【問題4】第1章「若い男」の「お前の星座は出ているか」p.34

『謎ときサリンジャー』では「若い男」が自分のことを「山羊座」だと言った箇所に着目することで、「若い男」をシーモアではないと解釈している。

だが、原著では、“I'm Capricorn.” と言っただけ。「私は、山羊座生まれ(の人間)だ」を意味する“I'm a Capricorn.” ではない。

実は、Capricorn の姿は一般的に「海のヤギ」 sea goat という下半身が魚のヤギとされている。これは、「若い男」が “I'm Capricorn.” と言ったときの姿に重なる。うつぶせ状態から両手を伸ばし、ちょうどシビルの両足をつかんだときに言っている。
つまり、自分の生まれの星座を言ったのではなく、sea goat のような格好だという意味で、ふざけて「オレは、Capricornだ」と言った場面と解釈するのが自然な流れだ。
その上、「若い男」は、“I'm Capricorn.” と言ったあとにシビルに対して“What are you?” と質問している。「君の星座は何?」(たとえば "What is your Zodiac sign?")とは尋ねていない。

【問題5】第1章「若い男」 の「Faux Pas」p.37

『謎ときサリンジャー』では、サリンジャーの作品の引用を独自訳でのせているが、そのひとつ。
p.38 2行目「このような失策(faux pas)をうまく言い訳できないけれど」
原著では
”while there's no good excuse for that kind of faux pas,”

『謎ときサリンジャー』では faux pas にはもっと別の意味が含まれているのではないかと考察を進めている。

しかし、この文脈において、“that kind of faux pas” という表現に「そういったたぐいの過ち」といった意味以外を与えることは、とてもできない。『謎ときサリンジャー』で述べているような別の意味がここに含まれていると仮定したときに、まったく意味が分からない文になってしまう。

補足)faux pas はフランス語の成句で、失敗やミスを意味する。直訳は、正しくない1歩。英語では、社交上での失言や非礼、過ちなどを意味する。

【補足】英語で『ナイン・ストーリーズ』を読みたい人へ

一番入手しやすいと思われる本をご紹介します。

ナイン・ストーリーズ―Nine stories 【講談社英語文庫】

日本の出版社が扱っている日本の書籍なので洋書を扱っていない書店でも入手可能です。英語専門のコーナーを設けているような大きめな書店であれば置いてあるかもしれません。