ディケンズ『クリスマスキャロル』訳注つき和訳【導入部のみ】
第1節の先頭の導入部のみですが和訳したので公開します。既存の訳に納得できなかった人のお役にたてれば幸いです。(原文は古い作品で著作権は切れており著作権の問題はありません。)
導入部には主人公スクルージがどんな人物か描かれているのですが既存の訳だと、しっくりこなかったり、ところどころ意味がわからないところがありました。自分で訳してみて分かったのですが、その主な原因は暗喩と掛詞(かけことば)を表現できていないこと。そこで、この訳では、訳だけでは分かりにくい箇所に訳注で説明を入れました。間違いをみつけたらコメントをしてもらえると助かります。
(最終更新日2023/1/13)
時代背景について
以下の記事がよくまとまっています。都市部において、クリスマスを祝うことがすたれていたことなどが書かれていて作品を理解するのに役立ちます。
翻訳本文
マーレーはすでに亡くなっています、そもそもね。疑わしいことは何もありませんよ。マーレーの埋葬記録には、牧師、教会書記、葬儀屋、会葬者代表、それぞれの署名があります。それに、スクルージの署名があるんです。スクルージというのは、王立取引所において、彼が取り扱うと決めたものなら何でも信用されるほどの名前です。ですから、マーレーはドアネイル[*訳注1]のごとく死んでいたんです[*訳注2]。
おっと!ドアネイルがどうして死んでいるとされるのか納得し理解している、と言うつもりはありませんよ。それに、世に出回っている金物のなかではコフィン・ネイル[*訳注3]が最も死んでいるのではないかという思いの方が大きいかもしれません。とはいえ、この例えには先人の知恵がつまっています。穢れたわたしの手で変えることはできません。できてしまえたら、この国はおしまいです[*訳注4]。ですから、強調のためにもう一度言うことを、お許しいただけるでしょう。マーレーはドアネイルのごとく死んでいたんです。
スクルージはマーレーが死んでいることを知っていたかって?当然、知っていました。どうすれば知らないでいられますか?スクルージとマーレーは何年もの間、わたしにも分からないほど長い間、会社を共同経営していたんです。それにスクルージは、マーレーのただ一人の遺言執行人で、ただ一人の財産管理人で、ただ一人の相続人で、ただ一人の残余遺産受け取り人で、ただ一人の友人で、ただ一人の会葬者でした。そんなスクルージですが、不幸な出来事だからといって悲しみにくれることはありません。葬儀の日でも優秀なビジネスマンでして、疑う余地のない確実な契約をした上で[*訳注5]、厳粛に葬式を執り行いました。
さて、マーレーの葬儀が出てきたので話を元に戻しましょう。マーレーは間違いなく死んでいます。このことは良く理解しておかなければなりません。そうでないと、これから語る話が、全然不思議に思えなくなってしまいます。『ハムレット』で例えてみましょう。劇が始まる前の時点で、ハムレットの父親がすでに死んでいると分かっていなかったらどうなりますか?東の風が吹く城壁の上を父親が夜中にさ迷うことに何の意味もなくってしまいます。どこかの中年男性が日没後に風がそよぐ場所、例えばセントポールズ・チャーチ・ヤード[*訳注6]で、軽はずみにも臆病な息子をビックリさせにやってきたように見えることでしょう。
スクルージは、亡きマーレーの名を塗り消しはしませんでした。建物の扉の上には何年もずっと「スクルージ&マーレー」と掲げたまま、会社の名前も「スクルージ&マーレー」で知られていました。馴染みのない人たちは、スクルージのことを、あるときはスクルージと呼び、またあるときはマーレーと呼びました。どちらで呼ばれてもスクルージは返事をしました。スクルージにとっては、どちらでも構わなかったんです。
聞いてください!スクルージは、筋金入りの守銭奴なんです[*訳注7]!しぼり取り、ねじり上げ、ひっつかみ、かき集め、がっちり握りしめる。強欲でろくでもない罪人[*訳注8]なんです!冷酷で厳しくて、硬く鋭い火打ち石みたいなんですが[*訳注9]、どんな鉄に打ちつけたとしても気前良く火がつくことはありません。心を開かず、うちとけず、貝[*訳注10]のように殻に閉じこもっていました。その冷たさのために、彼の老いた顔はこわばり、突き出た鼻は寒さで凍え、ほほには皺が寄り、歩き方はギクシャクしていました。目は赤く充血し、薄いくちびるは青白くなっていました。話し方は鋭く、耳ざわりな声をしていました。頭の上は冷たい霜が降りたかのように白く、眉毛も、とがったあごも、白くなっていました。まわりの空気はつねに冷えていました。スクルージがいると夏の暑いさなかでも事務所を寒くさせ、クリスマスであっても1度だって暖かくはしません。
外の暑さ寒さは、スクルージにほとんど影響を与えません。暖かな陽気で温まることはなく、冬らしい寒い天気に冷えることもありません。スクルージほどつらくあたる風が吹くこともないし、スクルージほどしつこく雪が降ることもないし、スクルージほど情け容赦なく強い雨が降ることもありません。荒れた天気ぐらいでは、とても彼には敵いません。激しい雨や雪や雹やみぞれなら、ある意味において彼に勝てると自慢できることがひとつだけありました。それは、しばしば「気前良く」降ることです。スクルージには決して「気前良く」振る舞うことができなかったんです[*訳注11]。
街角でスクルージを呼び止めて「スクルージさん、こんにちは。今度うちに来てくださいね」と楽しげに言う人は誰もいません。彼に少しばかりの施しをお願いする乞食もいません。彼にいま何時なのか尋ねる子どももいません。どこそこの場所へ行く道を教えて欲しいと、男女問わず誰かに尋ねられたことも彼の人生には一度もなかったのです。盲導犬でさえ彼を知っているかのようでした。というのも、彼が近づいてきたのがわかると、飼い主を玄関口や路地に誘導しました。それから、こう言っているかのように、しっぽを振りました「邪眼を持つくらいなら目がない方がましです、盲目のご主人さま!」[*訳注12]
それでもスクルージは気にしません。むしろ、とても気に入っていました。訳知りな連中は、自分が大きな喜びを得られる対象を指して「ナッツ」[*訳注13]と呼んでいますが、スクルージにとっての「ナッツ」は、人と共感してしまうあらゆることから距離をとるように警戒して人々との関わりを避けていくことでした。