自身も自信も捏造して持ってることにしてしまえばいいし、捨てればいい

しかし、これを自分の中で整理しなければ、自信を持って線の一本も引けやしないのだ。
なんだ、「自身」をもって線をひけばよかったのだ。

自信と自身をかけるあたりがあれだな。

高校とか大学くらいの時は、割と流行っていた「自分探し」という言葉がどうにも気持ち悪いと思ってた。そんなもん探すもんでもないでしょうに、くだらないと。

だけど、こと建築に関しては「自分探し」のようなことをしてたんだなー。自身がない、というより自信がなかったんだろう。

自分を探してたんじゃなくて、外に正解(自信のもと)を探していた感じなので、「自分探し」という感覚では全然なく「自信探し」の方が近い。

ふふふ。自信と自身がこんがらがってきた。どっちが線を引くために必要なんだっけ。

うーん。たぶん、どっちも最初から必要なわけじゃないんだと思う。
もし、線を引くためにそれが必要であれば、とりあえず自身も自信も捏造して持ってることにしてしまえばいいんだと思う。そうやって線を引いた先に自身も自信も形づくられていくと思うので。
必要なのは自身でも自信でもなく、線を引くという意志と行為を積み重ねることの方なのだ。

ただ、年をとってくると、だんだん線を引くことが自身と自信を形成するような創造的な行為ではなくなってくる、気がする。

これは怖い。とても怖い。

今度は身につけたものが邪魔になる。自身と自信をどうやって手放そうか。

悩みのタネは尽きないけれども、結局の所、自身と自信なんてとりあえずのものでしかない。さっさと捨てちまおう。



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