勝手に意味を感じたい

僕の受けた印象では、カーンの言葉は若干大袈裟で押し付けがましく感じる。
なんとなく重いのだ。
それを重く感じるのが良いか悪いかは分からない。

この回はうまく言葉にできないで、かなり支離滅裂になってるなー。けれども、重く感じたのは確かだと思う。

この重さの感覚、つい最近どこかで触れた気がするんだけど何だろう。思い出せない。

ただ、何か変わり続けられることの軽さ、みたいなものを感じたのとセットだったような気がする。


いや、違ったかも。たぶんこれだ。

例えば、「記事が充実してくる前の頃のnoteのおすすめに並んだタイトルの束」を眺めた時にどこかで感じた、どうにも救われない重さみたいなもの。だった気がする。

自分もやっちゃてるんだろうけど、他人に向けた意味ばかり並んでいるのを見るのは辛い。

他人に向けた整理された意味よりは、どこを向いてるか分からない未整理のものから好き勝手に意味を感じたいんだよなー。

同じ高密度に意味が存在しているとしても、それが枠としてあるのか、可能性としてあるのかで全然重さが違う気がする。



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