小さな物語が小さな物語のままでいること
大きな物語を扱えるというのは幻想ではないか、逆に小さな物語を育てることで大きな物語に侵入していくという方法論もある、と言う立場もあろう。
大きなリスクを背負いつつも、今のネット上での小さな情報の伝播の速さ大きさを考えると、無視できない。
小さな物語の中の大きな、または大勢の問題児・反乱児が大きな物語を動かすかもしれない。(それすらも大きな物語(例えば資本)に吸収される可能性は大いにあるが)
これに関しては、むしろそういう流れが主流になりつつあるようにも見えて予言的。
だけど、小さな物語が小さな物語のままでいることも同じように大切にして欲しい、とも思う。
そういうところにこそ大きな世界、もしくは建築が宿っているかもしれない。
なんてことはなかなか難しくなってきているんだろうな。
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