空き地に土管をさりげなく置いておくのは配慮

それが、つまり、「いたれりつくせり」からできるかぎり遠ざかった質、ということの意味である。

いたれりつくせりの代表格ってなんだろう。テレビのリモコンとかのやたらボタンが並ぶ家電とか?

いたれりつくせりにも、選択肢をズラーッと並べてさぁどうぞ、というものと、知らず知らずのうちにいつも欲しいものへたどり着いてる、というものの2種類あるように思う。

ちょっと意地悪に、前者をおせっかい、後者を配慮と呼んでみよう。

原っぱにも配慮はあった方がきっといい。

原っぱにたくさんの遊具と公平と安全を謳う禁止看板を置くのはおせっかいで、土管をさりげなく置いておくのは配慮。
いや、土管はドラ猫に引っ張られすぎか。雑草が茂って虫が飛んでるのなんかは配慮と呼べるかもしれない。

たまに、街角の古い公園が、真新しくつくり変えられ、一見きれいになったけれども、そこに何の配慮も感じられない、というのに出くわしたりすると、無性に腹が立ったりする。
やっつけ仕事感MAX。どこにも愛なんてみあたらないよ。そんな人が公園なんかつくっちゃ駄目だよ。と。

そんな大人にならないようにしなくっちゃ。



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