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あらかじめ決められた恋人たちへ:池永正二インタビュー 新作『燃えている』を巡って

 結成25周年を迎えた<あらかじめ決められた恋人たちへ>の3年ぶリの新作『燃えている』が2022年9月7日にリリースされる。「東京」をテーマにした今回の作品は、音楽、そして映像、そして小説がセットになった「トリニティ(三位一体)・アルバム」と説明されている。ゲスト・ヴォーカリストの参加はなく、すべてインストゥメンタルの全3曲41分は、聴き手のイマジネーションを深く刺激する美しくパワフルな作品となった。リーダーの池永正二に話を訊く。

*この記事は無料で読めますが、今後もこのようなエクスクルーシヴな記事を考えており、継続のため、よろしければサポートをお願いします。

手前向かって左が池永

*CDは作家・シンテツによる小説が同梱される。

ーーいよいよアルバムが完成しました。時間的には3曲入り41分という長さなんですが、サイズ以上の聞き応えがありました。映像と小説と音楽が三位一体の、「トリニティ」という言い方をされていますけど、非常に力作というか大掛かりな作品になりましたね。

池永:はい、ありがとうございます。

ーーこのアルバムの発想はどういう所から始まったのでしょうか?

池永:前のアルバムを作って、レコ発ライヴが終わった瞬間にコロナ禍で一切ライヴができなくなって。そこから曲を作ろうと思ったんです。それ以前からもともと「東京」という曲を作りたかったんですよ。前作が終わったタイミングでそろそろ僕も作ってええかな?って。ちゃんと自分の思う東京の曲を作りたいなぁって思って。で、作り始めたらコロナが始まり、戦争になり、みたいな。

ーー東京というテーマはずっと以前からあたためておられた。

池永:そうなんですよ。なんか、自分らの思う東京をちゃんと描こうと。他の人の東京ってけっこう、<個人の心情としての東京>が多いじゃないですか。でも僕らの思う東京って、この感じじゃないなぁって思うことがあって。東京そのものを描きたい、自分らなりの東京にずっと挑戦してみたいと思っていたんですよ。

ーー池永さんはどちらのご出身でしたっけ。

池永:僕は大阪です。

ーー東京に出てこられてたのはいつなんですか。

池永:もう15年くらい経ってます。15年経ってるのにいまさら東京っていうのも、新鮮味も意気込みも薄れちゃってるんですけど、それだから見られる東京もあるのかなぁって。

ーー地方出身の人に聞くと、東京っていうのは一種の憧れの対象みたいなところがあって。

池永:大阪の人はないですよ。

ーーですよね。むしろ反発の対象という。

池永:僕も絶対そうなんですよ(笑)。でも実際に住んでみて感じるところはあって。「TOKYO NOBODY」(中野正貴)という、人が全く写っていない東京の写真集があって。コロナ禍だったから余計に自分の感覚とフィットして、この感覚を起点に東京を音楽でやりたいなぁって思ったんです。

ーー反発はあったけど大人になってから東京に来られて、仕事をする場所であり生活する場所でもある。それが一致しているのが東京。そういう東京は、池永さんにとってはどういう存在だったんですか?

池永:思っていたより良かったです(笑)。縁があって東京に来させてもろたんですけど、楽しかったし、助けられたりとかして、周りに感謝しないとなぁと。だからなんか絶望的な<東京砂漠>っていう感じでもなく。逆に、すげー楽しい東京っていう感じでもなく。普通に人が多い街っていうか。ただ、建造物がちょっと異様な感じがありましたね。それは大阪に帰った時に思いました。東京駅に新幹線が近づいていくにつれ、ものすごい建物が大きく迫ってくるじゃないですか。あの感じを見ているとすごい街だなぁって。威圧感があるんですよ、入口から。中に入って人と会うと全然普通なんですけど。

ーーなるほど。

池永:僕が住み始めたのは2000年代を過ぎてたんですけど、ちょっと建物自体も古いじゃないですか。街自体はすごく威圧感があるのに、ちょっと古びてきている。なんか夢の跡じゃないですけど、そういうのも含めて異様な雰囲気がある。(インタビュー場所の)六本木もそうじゃないですか。80‘sの匂いが残っている建物がそのまま残っている。でもなんかデカくて、昔儲けてたんやな、みたいな。祭りの跡、夢の跡、なんか、気配だけ残して、みたいな。

ーーああ、なるほど。ブイブイいわしてた頃が名残として残っているみたいなね。

池永:そうそう。廃墟……とまでは言わないですけどなんか、匂いだけ残していなくなっているみたいな。MVを撮っている時にいろいろ歩き回ったんですけど。昔あったんや、何かがあったんや、でもなんか今は人がいないみたいな、そういう風景がいっぱいあった。

ーーこれから何かが発展していくというよりは、ひとつ終わった後の感じ。

池永:そう。この後また来るかもしれないけど、<1回終わった感じ>はしました。

ーーあのね、例えば中国とかインドとか、いまグイグイ来ているような国から見ると、東京っていうのは古い街に見えるらしいんですよ。

池永:タフだな、その考え。

ーーなぜかっていうと、東京って早い時期からすごく発展したから、インフラが早い時期に整ったじゃないですか。

池永:(1964年の)オリンピックとかでね。

ーーその時のインフラが今でも使われてるから、あちこち汚れてるわけですよ、街全体が。古いインフラが残っているから、そのインフラが古びて、街全体が古びた感じになっている。それは何かって言ったら、例えば70年代に日本人がロンドンとかパリとかに行った時に感じたものと同じなんだという説があって。

池永:確かに、確かに。

ーーあの頃の日本、要するに高度経済成長期の、発展途上の日本人は、ロンドンとかパリを「古い街だな」と思った。なぜかというとロンドンとかパリは早いうちからインフラが整っていたから。それは見方を変えればその街の歴史や伝統なんだけど、でも、東京も今の中国やインドの人たちから見るとそう見えるんじゃないかという。

池永:でしょうね。循環しているような気がしますね。でもそれが嫌な感じでは全くないんです。

ーー発展途上のブイブイ言わせている感じではなくて、落ちぶれている感じに惹かれたところがある。

池永:惹かれますね(笑)。“GO”じゃなくて、“GONE”なんですよ。自分から去っていくんじゃなくて、去っていくのを見ている方がやっぱり。そのセンチメンタルな感じ。僕がそうなんで。だから、なんでしたっけ、ニューノーマル? ニューノーマルにおいて行かれる人の方にちょっと目線が行くんですよ。新しくなれない人々、こだわっちゃってなれない人。ついていく気がないのか、ついていけないのか分からないですけど、そっちの方に惹かれる。「みんな行っちゃうんだ」って、置いていかれる方の目線に寄っていっちゃう。

ーーそういう人に目が行きがちというのは昔から?

池永:けっこう昔からだと思います。俺はどっちかっていうと少数派なんですよ。少数派を応援したいとかじゃなくて、気づけばそっちにいる。逆に怖いんですよ。大多数、というか、みんなが"ウォー!"って盛り上がっていると。

ーー人がたくさんいる方に寄り添っていた方が何となく安心というのは、人間の心理としてあるじゃないですか。そういう感じはないわけですか?

池永:多数派でいた方が安心するんですけど、ロックとかパンクとか聴きだしてからは反抗の方に行きました(笑)。それまでは、大多数にいた方が絶対安心ですから、小学生の頃なんか特に。(多数派に)寄り添おうとはしていました。真ん中らへんのいわゆる"普通の子"だったんで。それがパンクに影響されて。でも元々そういうのに違和感はあったのかもしれない。

ーーパンクとかオルタナティヴ・ロックって、「マイナーでいいじゃん、少数派で何が悪い」って開き直っているところがあって。それがいい所なんじゃないですかね。そういう人たちに居場所を与えたみたいな。

池永:そうです。「それで良いんだよ」って。「あ、良かったぁ!」「自分でもできるんだ!しかも上手くなくていいんだ!今からでもできるやん!」「やろうやろう!やってまえやってまえ!」っていうのがずっと続いている感じです。今でも(笑)。

ーーわかります(笑)。そんな池永さんの琴線に今の東京の落ちぶれた感じが触れた。

池永:ありますね。MVを撮りに東京のあちこちを回って余計に。虚無を、空しい感じを慈しむ、大切にする、じゃないですけど。なんか「あぁ、美しい」って思いましたね。

ーーなんでもね、いまJASRACに登録している、「東京」っていう単語が入る楽曲が2000曲以上あるらしくて。

池永:そんなにあるんですか?!面白いですね!

ーーで、いろんなアーティストの「東京」は名曲が多い。そのアーティストにとっての代表曲になっていることが多いんですよ。くるりとか曽我部恵一とか、最近ならきのこ帝国とか。だからこれぞ、という自信作ができると「東京」というタイトルをつける人も多いのかもしれない。

池永:自信はありますけど、代表作ではないですね、僕は(笑)。

ーー「東京」をテーマにすること自体が、アーティストによっては特別なことなのかもしれない、という。

池永:逆にその特別感にはちょっと反抗したかったですね(笑)。勝負曲や!って曲を作るんじゃなくて。一種のドキュメンタリーとしてちゃんと東京を描きたい、僕の見る東京を描いてみたい、みたいな。

ーー今の話をお聞きしていて思ったのは、ピチカートファイヴの「東京は夜の7時」という曲なんです。あれは1993年の発表で、バブルの残り香みたいなものがまだ残っている時期の曲ですけど、"待ち合わせのレストランはもうつぶれてなかった"という有名な一節がある。そういう、バブルが崩壊して段々ダメになって行く東京みたいなものを、華やかに輝く街の中で既に予感してるみたいなところがあって。そういう視点があるからこそ今も聞き継がれる名曲になってる。今思うと、今の池永さんの視点の元になっているような曲だなぁと。

池永:ちゃんと聴いてみます!(笑)すみません!(笑) そういう曲だったんですね。へえ。

ーー今回のあら恋の作品で映像を作って小説をつけるという発想に至ったのは?

池永:最後です。3曲作って。3曲だったら映像を3つ作れるなぁと。10曲だったら予算的に絶対に無理じゃないですか(笑)、音楽だけじゃなく、何かを加えたかったんですよ。それで短編小説もつけたいなぁって。映像、小説を通して見る音楽と、音楽だけで聴く音楽ってちょっとイメージ変わってくるじゃないですか。その見方、いろいろなレイヤーを増やしたかったんですよね。捉え方はいろいろあっていいんだよっていうか。人それぞれのイメージを大きくしたかったんです。

ーー音楽が先にあって、音楽に合った映像をつけてもらったり小説を書いてもらったりしたということですね。

池永:そうです。「これ聴いて好きなように作って!」「書いて!」って。映像の編集と撮影は僕もやっているので、一緒に作ろっかって。小説は別の人にお任せで。

ーー池永さんは映画やドラマの劇伴音楽もすごくたくさんやってらっしゃいます。なので音楽と映像の関係については、いろんな経験とご意見をお持ちですよね。MVと劇伴では作り方が異なるんですよね。

池永:劇伴は映像や物語が先にあって、それに合わせて音楽を作ります。句読点的に時間経過をスッと感じさせるものもあれば、状況に反して感情が追いついてない表情をグッと後押しするものとか、とにかく曲の良さよりも映像や物語が優先です。逆に、ミュージックビデオの場合は音楽が先なので、それに合わせて映像を作る。でも今回の場合その音楽も、映像も自分が作っているので、逆のように見えてあんまり変わっていないかもしれない(笑)。

ーー今回の映像は曲に合わせてるから、MVと言うには長いですが。

池永:長いですよね。できたら短編映画って言いたいですけど。

ーーMVというよりは映画ですよね。

池永:そう言いたいです。気が引けるんですけど言いたいです。あれは良いものができたと思います、はい。

ーータイトルが「東京」で、それをとっかかりにして聞き手は音楽を聴くわけですけど、映像があるとさらにいろんなイメージが具体的になっていくという。

池永:わかりやすくなりますよね。東京っていう言葉が強すぎますけど。

ーー強すぎるけど、人によって東京のイメージって全然違ったりするから。地方から出てきた人にとっては東京に対する憧れとか、その裏返しの挫折とか、そういう思いがある人もいるかもしれないけど、池永さんは光り輝くイメージとは正反対のものとしてとらえているというか。

池永:映像のあの色味の、青い冷たい狭い道のところに、行き止まりの電車のレールの端っこがある。ほんとはもっと続くはずだったのに工事も中断、ここまで。何もない、ズーン……みたいな感じの。俺の中のですけど、そういうイメージがありましたね。

ーーそういうイメージは映像作家の方と共有しながら。

池永:そうです、柴田(剛)君と。割とずっと昔からやってる友達なので、2人でしゃべりながら、「東京ってどういうのやろう」みたいに。そう、だから、タルコフスキーみたいなことがやりたかったんですよ。

ーーアンドレイ・タルコフスキー。旧ソ連の映画監督ですね。

池永:そうです。めっちゃ眠たくなる映画です(笑)。ズラーーーーーーーって街が迫ってくるっていうか、そういう東京の雰囲気、確かにあるなぁって。でかいビルがズオーーーーーーーと迫ってくる。何もない、人がいない、みたいな。そういう東京を描きたかった。

ーーなるほどねえ。個人的な感想を言わせていただくと、映像と音楽とのハマリ具合っていうのがちょっとヤバイなぁって思って。

池永:やったぁ、ありがとうございます!

ーーヤバすぎて、むしろ観ない方が良いんじゃないかって思ったぐらい。

池永:あ、イメージがつきすぎちゃうっていうことですか。

ーーつきすぎちゃう。そっちに引きずられるみたいな感じになっちゃう。悪い意味で言ってるんじゃなくて、それだけハマってて、音楽だけ聴いてても、映像のほうが浮かんでくるような。

池永:なるほど。でも音楽だけだとどんなイメージでした?

ーー音楽っていろんなあり方があると思うんです。池永さんの音楽はいつもそうかもしれないけど、フッとこう、胸元に手繰り寄せられる感じというか。

池永:あぁ、好きです。

ーーガンガン押してくる感じじゃなくて、いつのまにかふっとその世界に入り込んじゃってるみたいな、そういうさりげない魅力がある。これは3曲で曲数は少ないけどすごい入り込める感じがあって。

池永:そう、何か、フワァってくる感じにしたかったんです。

ーー音楽を何回か聴いてから映像を見たんですけど、これから接する人はいきなり映像を見るよりは最初は音だけ聞いたほうがいいな、と。

池永:ああ、(最初に音楽だけ)聴いてほしいです。そっから映像観てもらえるのが理想ですね。

ーーどうやって撮っていったんですか。

池永:iPhoneで撮ったんですよ。iPhoneの一番ええやつを買って。ジンバルもカバンに入れておいて。家からチャリンコで出た時とかに「あ、ビル壊れてる!」って見つけたらサッて撮るとか。2,3か月、ぼちぼちやっていました。東京っぽい感じのシーン、風景を見たら撮って。

ーー決め打ちしていたんじゃなくて、目についたものをガンガン撮っていった。

池永:そう、もうロケハンもなしで「あ、東京っぽい!」みたいな風景を。つむじ風が吹くシーンももたまたま、撮影終わった後に吞んでたらブワーって起こって、慌てて撮った。ずっとそんな日々。頭のどこかにありながら移動していたりしていたので。その見ている東京の風景が映像にになったと思います。東京以外の場所では撮らないようにしました。東京都内だけで。

ーーなるほど。お訊きする順番が逆になってしまいましたが、音楽の方はこれまでと作り方を変えたとか、特別なことって何かありますか?

池永:いや、作り方は一緒ですね。今まで通りいろいろなデモ作って録音して、もう一回練り直して、みたいな。あ、でも俺、初めてミックスとマスタリングを自分でやったんですよ。自分でできるかなぁと思って。やり方はいろいろ見てきたんで、やってみたかったんです。自分で。わからんところを人にきいて。ミックス、難しいです。これでOKって言えないんですよ、自分で。人にやってもらっていたら「こことここを直してこうやってこうやって」って言えるし、そういうやりとりをしながらエンジニアと決めていくんですけど、ひとりだと、全然違いますね。

ーー客観的な判断を下すのが難しいですよね。

池永:そうですね。人に聴いてもらったりもしましたけど、最後は自分で判断しました。

ーーどこを基準に置いたらいいのか難しそうな気がしますね。

池永:ウチはダンス・バンドなんで、ベースとドラムが基本ですね、けっこう。そこを基本に上を乗せていく感じです。あとは音圧をどこまで、とか。音圧と雰囲気とか、広がり具合を。別の好きな曲を参考にしたり。どこまで音圧を詰めるか詰めないか。これが正解!っていうのが昔と比べてなくなってると思うんですよ。音圧を詰めて聴かせるっていう時代じゃないので。自分の好きな感じの音,というのが基準になってて。音質まで作曲の領域っていう感じになってきているので。じゃあもうミックスもマスタリングも自分の好きな音像にしちゃっていいかなぁって。

ーー昔に比べると音楽のありようっていうのが多様化して、これがポップスの王道みたいなものがないから、音楽の形やミックスも当然自由になって。

池永:自由になっていますね。100年以上前は音符だけだったのが今は音像になったわけじゃないですか」

ーー譜面だけでは表せないものになっている。

池永:音符では表しづらいカットオフ(フィルター)の感じとか。楽譜で出版するのではなく、録音ミュージックになった。そこまで含めて作曲になってる。昔は音符だけで作曲、次に音色まで入れて作曲、次がミックスまで入れて作曲になってきたような気がするんですよね。で、音色をどこにどう当てはめていくか、どういう風なイメージで、どうアウトプットするか、っていう。立体的に天地、上下、奥行きみたいなところに音を当てはめていく。VR用のアプリケーションがあって。それが2MIXでも行けるらしかったのでやってみたかったんですよ(笑)。

ーー演奏の方は基本的にまず池永さんがデモを作って。それは全部打ち込みで?

池永:打ち込みと、あと自分でベース弾いたりギター弾いたり。それをバンドに渡して。そこで全く別の事を弾いたりする。劔(樹人)くんのベースとか、味があるんですよ。8分(音符)を弾いているだけで独特の感じがあるので。ギター(オータケコーハン)もドラム(GOTO)も、好きにやってもらってます。テルミン(クリテツ)も生楽器だと独特のうねりがありますし。皆さんデモをたたき台にして好きにやってもらって。たたき台がある程度あった方がイメージ伝わりやすいので。そこから上に行くこともできるし、崩しちゃって一にすることもできる。ある程度イメージが固まったものを渡して、また好きなようにやっていきましょう、みたいな感じです。

ーー全部池永さんが1人で作ることもできますよね。

池永:いや、バンドで聴いたらやっぱり全然違いますよ、「あ、こういうノリになるんやぁ」とか。

ーー何が違いますか?

池永:まずギターに関してはフレーズですね。全然違うフレーズになったりとか。オータケ君節になる。ドラムもそう。GOTO節になる。それが面白い。ソロだとあのバンドのグルーヴ感はやっぱり出ないと思うんですよ。

ーー常に自分が作ったデモ以上のものが出てくるであろうという期待と確信がある。

池永:もちろんそうです。期待も確信もどっちもあります。向こうも多分(自分が)しょうもない音源を作ってきたら「これでいいんですか?」みたいなことを言われるんですよ(笑)。1人で作るよりも絶対バンドのほうがいい。自信というか期待というか確信というか希望というか信頼というか。そういうものはあります。例えばフレーズいっぱい録らせてねって言っていっぱい録らせてもらっても、「あとは好きなように編集してください」って任せてくれる。それは嬉しいです。

ーー例えば今回の楽曲の場合、東京っていうテーマ、具体的なイメージ、歌詞はないけどこういうメッセージなんだよ、みたいなことは伝えるんですか?

池永:ちゃんと言葉で伝えます。こんな感じでって。夜中のテンションで送っているのでウザいと思われてるかもしれないですけど(笑)。やりすぎてね。終戦直後ぐらいからの東京の歴史みたいなものがイメージに入ってきて。でもそこはたぶん絶対に重要なポイントなんですよ、それが今の東京のアンダーグラウンドと繋がっている。

ーー「映像の世紀」(NHKのドキュメンタリー)みたいな感じになりますね(笑)。

池永:「映像の世紀」,僕も好きなんですよ(笑)。

ーーさすがに終戦直後からっていうとパースペクティヴが長すぎますけど、でも、さっきも話したピチカート・ファイヴの曲はまさにバブルの終わりくらいにできた曲で、バブル崩壊から現在までの東京っていうパースペクティヴはあら恋のこの曲にもしっかり反映されてますね。

池永:それなんですよ。僕も思ったんです。結局、撮影して東京の街を見ていたら、今の残り香で残っているのってその時代くらいからなんですよ。東京ってサイクルが早いから、その前の時代ーー他の地方に行ったらあるのかもしれないしれないけどーー終戦直後の匂いってもう残っていないって思ったんですよ。

ーーほとんどないでしょうね。

池永:もう消化されて、"念"とかも消化されていると思ったんですよ。だからそこまで遡らなくて良かった(笑)。60,70,80年代くらいからの残り香みたいな感じかなっていう気がしますね。

ーーその時代は池永さんは、まだ大阪におられたんですよね。

池永:全然まだ大阪にいましたね。だから東京の盛り上がっている感じとかはあんまり知らない。76年生まれだから中学生の頃で。

(池永氏と同じ歳のレコード会社スタッフ):大学出て就職する頃は最悪の氷河期って言われていた。

池永:言われていたかな。どこ吹く風でおったけどな(笑)。

(スタッフ):だから(バブルは)全然謳歌していないよね。

池永:そうやなぁ。だから昔そういう時代があったんだなぁくらいの感じです。

ーーバブルが終わったあとに大人になって。

池永:たぶん僕ら一緒やと思うんですよ。もともとなかった、何も。っても儲からへんし。ノストラダムス(の大予言)で死ぬかもしれないし、っていう時代なんで。だから好きなことやったれーっていう。普通のことよりも逆の面白いことやろうやって。売れてる奴に対する反骨心もどこかにあって。売れなくて当然の時代だったので。

ーー15年前に東京に来て、そういう凋落した印象はあったんですか?

池永:全然、活気があったと思います。人が多くて。メディアが近かったので仕事は貰いやすかったり。ただ東京のイメージってちゃんと考えたことなかったんですよね。コロナで人がいない街になって、ほんとに「TOKYO NOBODY」(写真集)みたいになった。人のいない剥き出しの街を実際に目で見ると「やっべー!」って。この際だから東京自体をちゃんと見てみたいと思ったんです。

ーーコロナ直後の渋谷とかすごかったですよね。人がいないし静かだし。

池永:そうですよね。あれは強烈でした。それで「なんやろ、この街」って。それでずっと悶々と家で曲を作っていましたね(笑)。

ーーさきほど「ドキュメンタリー」という言葉も出ましたが、この時代の東京を記録として残しておきたいとい気持ちがあった?

池永:あったんでしょうね。今のこのタイミング、この瞬間に考えていたことを残しておきたい、自分の住んでいる町は東京なんで、東京として残しておきたい。なんか、モヤモヤするものがあるじゃないですか、体の中で。そういうものを外に出したいというか。出しとかんと、っていうか、出したいというのが根本的にあるかもしれないです(笑)。溜まっていると不健康なんですよ。コロナ禍になって悶々としたものをちゃんと音楽で書きだして、吐き出しておきたいなと。

ーー『燃えている』っていうタイトルはどういうところから来たんですか?

池永:なんか、燃えてるじゃないですか、あらゆるところが。炎上したりとか。SNSでもそうですし。なんかいろんなところで色んな、状況なり、場所なり。色んなものが燃えてるなぁって。で、「燃やしてやる!」でも「燃えていた!」でもなく、「燃えている」っていう感じが一番フィットするなぁって思って。状況を描いているっていう感じなのかな。

ーー炎上しているっていう状況を冷ややかに見ている?

池永:あ、冷ややかじゃないです。もう、俺らも真ん中じゃないですか。コロナ禍になってド直撃というか。真ん中にいるので。そんなに引いてみているわけでもなく。かといってどっちかに寄って主張を高らかに言うわけでもなく。攻撃的ですよね、冷笑って。その攻撃のし合いが、もう、しんどいです(笑)。なんか、適当なこと言えない感じっていうか。そういう状況って俺、ヤバいと思うんですよ。結構親しい友達でも、これ言ったら怒られるなぁとか、なんか表情が曇ったときに、あっ、言うたらあかんかったかな、とかビクビクしてる。その、下手なことを言われへん雰囲気こそが"燃えている"と。そういう状況の中で作った音楽なので『燃えている』ですね。なんかもうちょっと笑える、楽しめる方向ってあると思うんですよね…、揉める必要のないところで揉めているというか。ペーペー同士が揉めているというか。権力者はこっちじゃなくてあっちだよ!って思うんだけど。

ーーああ、なるほど。エラいやつに怒りをぶつけないといけないのに、底辺にいる者同士が傷つけ合ってる。

池永:うん。音楽って、そういう以前のものじゃないですか。揉める以前というか。音楽聴いて「あぁー、楽しいやん!」て、どーんと盛り上がったら、肩の力が緩まるというか。緩まったら他人を認める余裕もできてくると思うんです。だから心が緩まる音楽ってすごいなって。別にヒーリングミュージックをやってるわけでもないんですけどね(笑)。

ーー今回はインストですよね。歌がない代わりに映像とか小説がある。インストにした理由は何ですか?

池永:(言葉を)ハッキリ言いたくないのかもしれません。……逃げてるわけじゃないんだけど。逃げてはないんですよ。しっかりちゃんと向き合っているんですけど。

ーー聴く側からしたら、どう解釈しようが、聴き手の自由ですよね。

池永:はい、それでいいと思います。(聞き手の感想を聞いて)"あ、そうなんや"って。話してみたいです。

ーー「火花」で最後にバーっと、すごいエモい盛り上がり方をしますね。どうしてそういう風な作り方にしたんでしょうか。

池永:わかりやすく言うと、希望です。絶望しているヒマはないっすよ(笑)。絶望はしんどいなと。僕は聴きたくないです。

ーーこれまで池永さんと何回かお話しさせてもらって、もちろん音楽もずっと聴いてきて、やっぱり池永さんの発想のもとにはある種の絶望っていうか、お互いわかりあえないとか、孤独とか絶望とか空虚とか、そういう所からスタートしているような気がしていて。

池永:はい。

ーーということは、池永さんにとっての音楽とは、そこから抜け出すためのある種の希望を提示するためなのかなと。

池永:そうですね。逆説的な感じです。絶望をヨシヨシするじゃないですけど、拭いてあげる。そうすると希望が出てくるんですよ(笑)。溜まってるものをポンって吐き出したいというか。すみません、うまくまとめてもらって(笑)。ほんまそんな感じなんです。言葉にできんことが多くて(笑)。インストにしたのも、自分らだけで作ろうっていうのがあったので。ヴォーカルで、他人の力で、人の言葉で、何かを入れていこうっていう感じはなかったです。自分で日々日々、転がる日々をつづっていくっていう感じやと思います。そんな(歌を入れるっていう)発想がなかったです。

ーーそれでいいと思います。そこで小説も含めて、こうしたメディアミックスみたいな大掛かりなことをやるのはインディーズとして大変意欲的だと思います。

池永:そう言って頂けてありがたいです。こういうのが僕は好きなんですよ。映像と音楽だけじゃなく、小説まで作るのは少ないじゃないですか。小説付きのアルバムってなんかワクワクしますし。

ーーアルバムごとにいろいろな試みをやって、自分の音楽の表現の幅を広げていく。

池永:面白いこと、あまり他にないこと、人のやっていないことを自分なりにやっていきたいですね。

ーー今作はご自分の作品系譜の中でどういう位置づけになりそうですか?

池永:集大成っぽいです、今ふと思えば。集大成として作ろうとは思っていなかったけど、集大成っぽいですわ。曲の展開とか構造も、コード進行の感じも。長くてもちゃんと飽きない構成で作れたし。時間もかかったけど、思うものを作れたと思うんですよ。盛り上がるタイミングとか、いろんな演奏のぶつかり合いとか、音像の付け方も。それも集大成っぽいですし。物語を紡いでいくっていうのも、ちゃんと小説がついたり映像がついたりすることで、集大成になっていますよね。

ーー映画音楽とかドラマ音楽とかやってきた経験も当然反映されている。

池永:あぁ、ものすごくあると思います。最終的に録音が終わった後に、それをどう構成していくか。その構成は録音が終わってから変えることが多くて。その構成の作り方がすごく映画的になっていると思います。どこでどう音を切って無音にするか、っていう演出の入れ方も完全に映画っぽいです。コロナ禍なんでライヴの事も考えてなかったんで。"あ、ここまで落としていいんや"っていうのが。落とせるんですよ。ライヴじゃないから。あの感じは一番、映画っぽいです。そこはほかのバンドにはない強みや!って思ってます(笑)。

ーー演奏をフレーズごとに断片的に録って、それをあとからコンピューター上でエディットしていったわけですか。

池永:一発録りで通しで録ってからフレーズごとに録ったり、慣れたらまた通しで録ったり。そこからエディットしていく。物語をばぁーって。デモの段階でももちろん物語はあるんですけど、でもこの段階で、こういう録り音で、こういうフレーズになるんだったら、もうひと回し増やそうとか。それで物語がより盛り上がったりすると、落ちた時の無音ももうちょっと長くできるかなとか。

ーー演奏している側としては、自分が全体の流れの中でどういう風な役割を担っているのかわかっていない時がある?

池永:わかってない時があると思います。僕自身あんまり分かってないですし、決めきらないまま録音してるんで。

ーーじゃあ極端な話、バンドのメンバーの人はCDが上がってきて「あ、こういう曲だったんだ!」みたいな感じに。

池永:そうですそうです(笑)。"あぁ、こんな感じになったんや!"みたいな。

ーーこういう言い方をしたら嫌な言い方になるけど、各メンバーの演奏はひとつの素材であるという?

池永:素材と言っちゃうと意見がないような感じがしちゃうんで、うちのメンバーはむちゃくちゃ意見があって。他のバンドと比べてもたぶんものすごく濃いメンバーが集まってて、面白いです。そのメンバーとワイワイ言いながら曲のパーツを作り込んでいくみたいな。編集は任せてもらってるんで。演奏はそれこそそう、素材ですね。それを言ったら失礼ですけど。映画の役者さんみたいな感じですね。僕の作るデモは脚本みたいな。やっぱり良い演奏がないと良い録音作品にはならないです。楽器のタッチとか、そこが良くないともうどうにもならないんで。編集はやりますが、あくまで演奏が生きる方向でバンドのグルーブを第一にまとめています。だから仕上がりはほんと今のあら恋!って感じになって、そういう意味でも集大成だと思います。

ーー全然そんな感じの音じゃないですけど、プログレっぽい感じもありますよね。

池永:うん、プログレです。だいぶプログレダブってる。これだけ長く…、まぁ、ダブじゃないか。

ーーもう、ダブ・バンドっていう感じでもないですよね。

池永:ないですよね。でもプログレ・バンドっぽいというよりは、ダブっぽいグルーヴの感じがすると思うんですよ。八分の(音符の)中でも、アタックが裏で入ってくるというか。グルーヴ感はダブの感じがでているとおもうので。レゲエ・バンドよりはダブじゃないですけど、プログレ・バンドよりは、ダブに寄っていると思います(笑)。

ーープログレに欠けがちな要素ってファンクだったりミニマルな要素だったりするんですけど、あら恋は両方あるから、そういう意味ではプログレじゃないし。

池永:そうなんですよ(笑)。でも、曲の構造的には結構プログレっぽいとは思います。ベタですけどピンク・フロイドの『狂気』で、サイケな歌ものの後に「On The Run」っていう曲が始まる感じとか。「これ繋げんねや!」って(笑)。あの曲の流れは面白いなって思いました。かっこよかったです。いまさらですけどね、思います。

ーー集大成っていうことは、ここであら恋の音楽はある程度完成されたっていう手ごたえがあるわけですか?

池永:完成はしていないですけど(笑)、ある程度は……。でも次は違うことをしたいなっていうのは思ってます。鍵盤(ベントラーカオル)が辞めちゃったんで。だからちょっと、短い曲をバーッて作りたいなぁと思っていて、もう作り出してるんです。気楽なっていうか。ステレオタイプみたいなものをどうあら恋に寄せるかみたいな。やってみたいです。

ーー短いポップな歌ものをガッツリたくさん作ったりとか。長いインスト曲の次は短い歌ものを。

池永:面白いかもしれないですね!

ーーいや、今すごく無責任に言ったので気にしないでください(笑)。

池永:考えてみます(笑)。時代がっていうか、なんか、うるさいのをやりたくて。面白くなってきてますよ。合いそうな気がします。けっこう、悩まずにできそうな。なんか、作りやすいんですよ、最近。だから作ります、きっとこの勢いのまま。

(2022年8月26日 六本木にて)取材・文 小野島 大

「Dubbing XIII」レコ発ワンマンライブ

出演 あらかじめ決められた恋人たちへ
公演日 2022年9月21日(水)
会場  新代田 FEVER
開場/開演 19:30 / 20:00
料金  ¥4,000 1Drink別 ALL STANDING

チケット先行メール予約受付
7月6日(水)18:00~7月15日(金)23:59
氏名枚数をご記入の上、arakajime@gmail.com までメールお送り下さい。
公演当日、FEVER受付にて前売料金で対応致します。
当日開場時間より、メール予約頂いたお客様から優先入場となります。
なおネーム対応の為、先着順での受付入場とさせて頂きます。

一般発売 7月16日(土)各プレイガイドにて
チケットぴあ ーーー 0570-02-9999 ・ http://t.pia.jp/ ( Pコード:221-354)
ローソンチケット ーーー 0570-084-003 ( Lコード:73168)
イープラス ーーー http://eplus.jp (一般用URL:https://eplus.jp/sf/detail/3661130001-P0030001)


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