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【嘘シャニマス感想】線たちの12月

いまさら2年前のシナリオの感想を書くというのも、個人的にはどうなのか、とも思ってしまうのではあるが、しかし2年経ったからこそ書ける感想というものもある。

私が最初にこのシナリオを読んだのは、それこそ実装直後、2022年の12月だ。

シャニマスの2022年といえば、名作揃いのイベントコミュや、【国道沿いに、憶光年】浅倉透など、シナリオのクオリティに目を見張るものがあったが、この【線たちの12月】もやはり素晴らしいものであった。

初見の感想で言えば、ルカと灯織の関係や、凛世と小糸の関係などもドキドキしながら見ていたが、最も心に残ったのは、透の「そうじゃん、そう見えたら」「ほんとに見えたら、ほんとじゃん」という言葉であった。

私には息子がいる。彼はそのとき小学6年生だった。小学6年生ともなると社会に対して、世界に対して様々なことを考える。
いや、もっと昔から考えてはいたのだと思う、しかしその年齢になると傍から見ていても分かるくらいには考えている。
親のこともよく見ている。子どもは親を見て育つ、とはよく言うが、ただ見て真似するだけではなく、親の言動の意味を考え出す。

そんなときに透の言葉に出会った。

そうだよな、と思った。

自分がどのような意図を持って発言や行動をしようとも、彼の目に映る世界では彼の解釈が適応される。
私の姿が、行動が、彼の目にどのように映っているのかは分からないけれども、なにかが映っていることは確かだ。

そのうえでどのように振る舞うのが正しいのか、改めてそういうことを考えた記憶がある。

あれから2年が経った。

彼は小学校を卒業し、中学生となった。
背も伸び、顔も少しだけ大人っぽくなった。
さらに色々なことを考えているように見えた。

そして、私との会話が減った。

私にもそういう時期があった。
親が鬱陶しい時期だ。

何気ない一言がイラッとすることがある。
親のあらゆる言動が過干渉だと思う。
自分のことを分かっていないと感じる。

そういう時期だ。

そういう時期だと分かっているが、やはり少し寂しい。

目を合わせることがなくなった。
あいさつが返ってこなくなった。
学校からの連絡はプリントが私の机に置かれているだけだ。

そんなとき、ふとしたきっかけでもう一度このシナリオを読んだ。

泣いてしまった。
何に泣いたかといえば、消防団のおっちゃんにである。

そうだよな、そうなんだよな、と思った。

「声をかけること」それは、もしかしたら鬱陶しいかもしれない。嫌がられているのかもしれない。

それでもそれは、あなたのことを気にかけているよ、というメッセージである。

それは祈るだけ、願うだけなのだけれども、私は彼にとって一つの大切な場所でありたい。

心のなかに消防団のおっちゃんを住まわせて、私は今日も呼びかける。

「おはよう」「行ってらっしゃい、気をつけて」


※この感想はフィクションであり、こういう感想が読みたいと思った人間が生み出したなんだかよくわからないものです。


あとがき

シャニマスが好きだ。シャニマスのシナリオが好きだ。
シャニマスのシナリオを読んだあとは、色々なことを考える。

でも、それは実際には考えられていない。

私はシャニマスから受け取ったなにかしらを言語化できないのだ。

だから感想や考察を書いている人はすごいと思う。

そしてそういった文章には自分だけでは気が付かなかった他のコミュとのつながり、暗喩、解釈などがあり、それを読むのも楽しい。

そして、シナリオを読んでは他者の感想を読むという行為を繰り返したとき、気がつけば私の中には「シャニマス」というコンテンツの他に「シャニマスの感想」というコンテンツが生まれていた。

良い感想はもはや一つのエンタメなのである。

そう思ったときに、エンタメとしての感想というものを思いついた。

私は自分の感想というものをうまく言語化することはできない。
けれど、自分とは違う立場の人間としてならエンタメとしての感想が書けるのではないか、と思った。

そうしてできたのがこの記事である。

はたしてエンタメとして耐えられるほどの質になっているのかどうかは分からないが、こういうのもアリなのではないかと思う。

最後に私の好きなシャニマスのnoteを貼り付けておく。

こんな記事を読んでいるような人間ならもう読んだことはあると思うが、それでも貼り付けておく。

どの記事も大好きなので。


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