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不幸になろうとする力

前提5: 存在不安は適当な理由付けを要求する


私たちが原因と結果という言葉を使うときには、ふつう原因が先にあって結果が後からついてくるという関係が結ばれる。原因が先にあるならば、原因を断てば結果は変わる。たとえば、「コップを倒したから水がこぼれた」というときには、コップを倒さなければ水はこぼれないだろう、という結論を導き出すことができる。しかし、精神の世界ではこの原因と結果の関係がしばしば逆転する。つまり、私たちが「水がこぼれている」という状態を望んでいて、なおかつそのことを「自分では知らない」とき、その手段として「コップを倒す」ことを選び、それを「原因」だと考えるというふうに「原因」が後からついてくるのである。

コンプレックスとの向き合い方 「やめたいのにやめられない」の仕組み―――依存について では、このように精神においては原因と結果が逆転することに触れた。たとえば、外見への劣等感コンプレックスは、「私が私を嫌いなのはこの外見のせいである」という原因→結果の合理性によって私の抱えている不安を説明するが、実際にはその「私が私を嫌いである原因」は後から付けられたものに過ぎない。そこで、整形などで劣等感コンプレックスを抱えている原因を絶ったのに、依然として私は私のことを受け容れられない、ということが起こってしまう。

このことは、原因と結果が一方通行的な関係を結んでいる物理法則的な常識を精神に当て嵌めて考えても問題が解決しないことを意味している。そこで、コップが倒れたから水がこぼれた、という因果関係を逆転し、「水がこぼれている」状態を望んでいる、という「原因」がある限り、「コップが倒れた」というような結果は形を変えて何度でも現れるという視点を持つ必要が出てくるのだ。



この因果逆転の関係を説明するものとして、まず人間が持っている「過去の不快な出来事を繰り返そうとする性質」、すなわち反復強迫がある。私たちが過去の不快な出来事を抑圧している、つまり潜在意識まで押し込めているとき、フロイトによれば私たちはその事実を記憶として「思い出す」のではなく、行為として「再現する」。

分かりやすい例として、ここに「わたしは男運が悪い」と言っているひとりの女性を想像してみよう。この女性は、自分では「どの男を選んでも結果的にはその男がろくでもない男だったと後から判明する」というふうに表層的な因果関係を理解している。ところが、この女性の過去を遡ると、親に貶されて育てられ、かつそれを「愛情である」とかたくなに信じたまま現在に至っていることがわかる。この女性は、自分を尊重したり大切にしてくれる恋愛対象に関しては「見る目がない」と見下し、逆に自分を貶してくる恋愛対象こそが「自分を愛してくれている」と錯覚する。そこで、恋愛対象の選択の時点で目的は自らの幸福ではなく「過去にあった親に愛されている私」という幻の満足の再現にすげ替わっているのだが、そのことは「行為として」表現されているので決して自覚されない。反復強迫が目指している地点は、わたしのこれからの幸福ではなく、「わたしを貶してくる対象がわたしを愛している」という幻の満足を再現し、そのことよって遡及的に「愛されていた過去」の記憶を正当化することなのだ。

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