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コンプレックスとの向き合い方

愛されて育った人は、わたしの「存在そのもの」への愛情を通して自己を肯定する心、つまり自尊心を持っている。しかし、そうでない人は―――かつて親が自分に対してそうしたように―――自分にまつわる諸条件、たとえば外見や能力、努力やその成果、他人の評価や他人への奉仕といった要素を「根拠」に取り、「だからわたしはわたしを愛してもよいのである」と間接的に肯定するプロセス、すなわち自己愛によって存在している。そしてその、他者や諸条件を要求する存在意義の不安定さによって「わたしは存在していてよいのか」という不安(=存在不安)が生まれる、ということをこれまで説明してきた。

ここに、自分のひとつの特徴に劣等感を持ち、苦しんでいる人がいるとしよう。この人はこう考えている、「わたしが苦しいのはわたしのこの特徴のせいである」と。

しかし、劣等感コンプレックスを持つ人がこれから考えなければならないのはこれと反対のロジックである。つまり、自己愛を生きる根拠にしている人がわたしの存在理由を他者や外的な条件に求めるのと同じように、劣等感に苦しむ人は「わたしは存在してはいけない」という理由を外的な条件によって定義しようと試みる、ということである。


前提5: 存在不安は適当な理由付けを要求する



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この図を見てみよう。外見へのコンプレックスを例に取ると、私たちがこの外見への劣等感に対して持っているはじめの認識は、「私は自分のこの(好ましくない)特徴によって苦しんでいる」という矢印Aの一方通行の理解である。私は美しくない、したがって私は私を愛することができない。

しかし、実のところこの「私が私を愛せないのはこの外見のせいである」という認識は欺瞞を含んでいる。というのも精神は、直面することがためらわれるもっと大きな問題から目を背けたり、あるいは解決が困難な問題の苦痛を軽減するために、もっと手軽な代替手段で誤魔化すという嘘を、自分自身にたいして吐く性質を持っているからである。

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