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良い匂いの溢れる社会

世の中は臭いものに蓋をする。
見えなくしようとする。
嫌悪感のあるものは隠されていく。

けれどそれはなくなるわけじゃない。
探しに行けばどこかに存在している。
隠せば隠すほど、それは地下に籠っていくだろう。
明るい所に出してしまえばたちまちボコボコにされるものほど。
そうやって陰に隠れたら、そこでの生き方を学ぶだろう。

そういう吹き溜まりのような場所がある。
人からは避けられるようなものが集まるような場所。
多くの人が忌避したものがそこに見つかる。

良いものも悪いものも、ごった煮でそこにあるのが世だ。
悪いものを隠そうとしたって、隠れているだけだ。
世界は常にグレーであり、ノイズで溢れている。
そんな中でも一瞬の大事な何かがみつけられるかどうかだ。
良いものだらけで、着飾った美しい中にいてもそれがないのであれば、とどのつまりはどうなるというのだろう。
大事なことは、何を選択するのかだ。

世の中の雰囲気が全体的な意思のように動く。
それが正義だとしても、全体主義的な動きであることは変わらない。
正義ならいいんじゃないのかと勘違いしてしまいそうになるけれど。
危ない危ない、僕は加担しない。
流儀じゃない。
何かに乗っかるようなのは違う。

いいかい?
臭いものは蓋をしては、匂いがわからないんだよ。
ああ、くせえ!!その声も同時に封殺するのだよ。
嫌悪感を嫌悪感のまま存在させることまでやめることなのだ。
同時にそれは嗅覚を衰退させることでもある。
そのことに不安を覚える。

両端が同時に存在している。
そうあることが当たり前のことで世界は地続きなのだという証明。
ことなかれことなかれで誰かに塗りつぶされた地図には価値がない。
塗りつぶすのは、常に自分自身だ。

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