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Mr.Children「Over」は失恋ソングではない。恋愛の教科書である。前編

 Mr.Childrenで最も売れた4thアルバム「Atomic Heart」に収録されている楽曲。シングルカットされていないがベスト盤に収録されるほど人気がある名曲でもある「Over」の歌詞を今回は解析していきたい。

 一般的には、失恋の痛手とそらを乗り越えようとする男の気持ちを描いていると解釈されているようだが、果たしてそうなのだろうか。表面的に見ればそのような解釈になるのかもしれないが、作詞の名手である桜井氏のことだから、様々な仕掛けがあるに違いない。早速見ていこう。

何も語らない 君の瞳の奥に愛を探しても
言葉が足りない そうぼやいてた君をふっと思い出す

 歌い出し「何も語らない 君の瞳の奥に愛を探しても」だが、これは文章が途中までしか書かれていない。いきなり第一の謎を投げかけてきている。

 その直後に「言葉が足りない そうぼやいてた君をふっと思い出す」と言っているが、聴いているこっちも「言葉が足りねぇよ」とぼやきたくなる。

 最初から桜井マジックが炸裂して、我々の解釈をミスリードしていく。一流マジシャンの手口である。

 では、桜井氏は何を隠したのか。彼女の中に、男に対する感情がなくなっているのであれば「君の瞳の奥に愛はもう無い」とすればよい。しかし、「愛を探しても」と言うのだから、その後には「仕方がない」が省略されているのだと推測できる。省略した理由は、メロディに乗せる上での制約だろう。

 ちなみに、ミスチルの楽曲は、メロディに対して大量の文字を詰め込む事によるメッセージの濃厚感が最大の特徴である。この密度があってこそ、聴くたびに目の前に映画館のスクリーンのように光景が浮かぶからだ。なので、密度感が下がらないように書かずに済む言葉は省略される傾向にある事は常に念頭において欲しい。

 次に、なぜ「愛が存在しない」ではなく「愛を探しても仕方がない」という表現となったのか。これは、男側から彼女に対して「愛の存在の有無」を推測することが極めて困難であるからだ。私の統計によると、男性の約90%はこの見極めをする能力を先天的に持っていない。もちろん私自身もそうである。

 つまり、男は女性の本心など見抜く事ができないのだから、そんなものを探すよりも「実際の彼女の言動について思い出して精査するべきである」という桜井氏の主張が最初になされているということだ。そして主人公である男性は、彼女のボヤキを思い出した。サビ前半を見ていこう。

今となれば
顔のわりに小さな胸や
少し鼻にかかるその声も
数え上げりゃ きりがないんだよ

 この部分も世間では大きく誤解を生んでいる。誤解とは、小さな胸や鼻声について、主人公はネガティブな要素として捉えているという誤解だ。これは真逆である。どちらも主人公の女性の好みとしてはどストライクだったのだ。

 しかし、あまりにもどストライクすぎるのが恥ずかしかったから、主人公は彼女に対して心にもないイジりをしてしまっていた。

 「お前、顔の割に胸が小さいよな」「お前って少し鼻声だよな」。女性からしたら、彼氏からこのような言葉を投げかけられたら不快に思うだろう。しかし、ここで申し上げておきたいのは、男性のこのような言葉の後ろ側には「でも、そういうところが大好きなんだよ」が省略されているという事実である。「だったらそう言ってくれればいいじゃん」という言葉が聞こえてきそうであるが、あえて言わないのだ。口に出せば意味が軽くなる。言葉にしたら、その言葉以上の思いが伝わらなくなる。あなたを大切に思っているから、好きで好きで仕方ないから、ついついその感情に心が振り回されてしまってこのような事を言ってしまっているのだ。

 このあたりのお茶目な男心の理解をせずに男性に対して一方的に「女の気持ちが分かってない」と主張するのもいかがなものであろうか。余談であるが、私自身は自業自得により妻に対してこのような言い訳が一切通用しない状況に追い込まれている。

 歌詞の解析に戻ろう。つまり、主人公は彼女の好きな部分なんて数え上げたらキリがないくらいなのに「言葉が足りない」とボヤかせてしまった後悔で胸が張り裂けそうなのだ。だから、サビの後半でこう言っている。

愛してたのに
心変わりを責めても空しくて

 そりゃそうである。これだけ好きなのに、伝えられなかった。その結果としての心変わりなど、責めたとしても悪いのは彼女ではなく自分自身だと分かっている。だから空しいのだ。

 続いて二番を見てみよう。

"風邪が伝染(うつ)るといけないから キスはしないでおこう"って言ってた
考えてみると あの頃から君の態度は違ってた

 この部分でも一番の歌詞で説明した通りの事が書かれている。彼女から、気持ちが伝わっていないという危険サインが出ていた事を思い出す。もしその時点で気がついていれば何らかの施策ができたかもしれないのに、その機会をみすみす失してしまった事への後悔と反省が窺える。

 それは、「思い出してみると」ではなく「考えてみると」と書いている事からも、主人公がしっかりと自分自身の失敗について考えていることが分かる。ただなんとなく思い当たったというなら、「今思えば」程度の表現でよいはずである。二番のサビにいこう。

いざとなれば
毎晩君が眠りにつく頃
あいも変わらず電話かけてやる
なんて まるでその気はないけど

 サビの前半では、電話をかけてやると言っておきながらその気はないと即座に否定する主人公の不可解な思考が書かれている。

 その気が本当に無いのであれば、わざわざこんな無駄な事を書く必要はない。つまり、本当は彼女に電話がしたくて仕方がないのだ。この歌詞が書かれた時代背景からすると、ギリギリでポケベルが普及してるかどうかくらいだ。おそらく若い男女の間ではイエデン(固定電話)が普通であり、家族と住んでいる場合に本人と直接会話するには電話をする時間を指定しておく必要があった。

 きっと就寝時刻であれば彼女がすぐに電話に出ることができて、怖いお父さんが受話器を取ってしまうリスクを回避できたのだろう。だから、付き合っている当初は眠りにつく頃に少し通話するというのが普通だったのだ。LINEやらメールやらが無かったこの時代において、相手との限られた交流が寝る前の電話だったのだ。

 数時間LINEが既読にならないくらいでガタガタ抜かす若者(いや、わりと中高年の方がガタガタ言うかも)には想像もつかない恋愛の仕方が、たった30年前には当たり前だったのだ。

 もう一度彼女と話したいという気持ちもあるし、いつもの習慣だった夜寝る前の時間に電話したら、もしかしたら楽しかったあの頃に戻れるかもしれないという藁にもすがるような切ない感情が滲み出ている、この歌屈指の泣きどころである。そしてサビの後半。

わからなくなるよ
男らしさって一体 どんなことだろう?

 もう、主人公は何が何やら分からなくなってしまったようである。彼女から「男らしくない」と言われたのだ。そして、「どのように行動すれば男らしかったのだろうか。別れずに済んだのだろうか」と思い悩んでいる。

 しかし、筆者はここでとても重要な事を教えてくれている。「別れ話を切り出した側が提示する別れの理由は、常に虚偽である」という絶対的法則である。

 この歌の歌い出し部分では、男女が無言で向かい合っている光景が描写されている。つまり、ある程度の時間をかけた話し合いをして、話す内容も無くなって無言になっている状況だ。そこで彼女は言ったのだろう。「なんか男らしくないよね」。これは別れた理由というより、別れを宣言している女性に対してどうにか引き止めようと無駄な粘りを見せている主人公に対する皮肉だろう。しかし、冷静に思考ができない状況の主人公は「男らしくないよね」が別れの理由だと勘違いしてしまっているのだ。

 これは、桜井氏から世の中の男子へのとても重要なメッセージである。女性の表面的な言動を額面通りに受け取ると大きなミスを犯す。そして女心を理解しようとするのは無駄な努力であり、そんな事はできっこない。男子にできるのは、ひたすらに自分の愛と情熱を手を変え品を変え伝える事だけであり、それを受け入れてもらえる事を当たり前だと思ってはならない。というようなアドバイスなのだ。「伝わらなくて当たり前」の精神をもちながら、「伝わらないから伝えない」ではなく「伝わらなくても伝え続ける。その伝え続ける姿勢によってのみ伝える事ができる」という意味が込められているのだ。

 そして物語はクライマックスを迎える。感動と激動のフィナーレのCメロを次回後編で解析していこう。

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