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Mr.Children「Over」は失恋ソングではない。恋愛の教科書である。後編

 前編では、この歌が桜井氏から男子に向けた究極の恋愛アドバイスである事を説明した。本稿執筆にあたり、世間にある「Over」歌詞考察をいくつか確認したが、どれも失恋にフォーカスしているものばかりであった。

 この歌は、文面だけを見れば失恋エピソードでしかないのだが、それでは考察でも解釈でも解説でもなく、ただの感想に過ぎない。また、そういった文章で気になるのが「個人的には〜」という表現の多様である。そもそも感想なのだから「個人的」なものであることはあえて言うまでもない事だ。女のお嬢さんが馬から落馬するようなものである。「個人的には思います」と書くことで反論のリスクを回避しようとしてるのだろうとは思うが、だったら自己の考えなど世間に発表すべきではないのではないかと、個人的に思う。さて、軽く悪口を書いたところで歌詞の解析に進もう。

夕焼けに舞う雲
あんな風になれたならいいな
いつも考え過ぎて失敗してきたから

 主人公は雲になりたがっている。ちなみに、この歌の2年後に「白い雲のように」が発表され、猿岩石も雲になりたがっている。90年代POPSの雲になりたがりブームの火付け役がこのOverだったのだ。

 では、主人公はどうして雲のようになりたかったのか。「いつも考え過ぎて失敗してきたから」と理由を直後に述べている事から、「雲になれば、考え過ぎないので失敗することが無くなる」という思考ロジックだということは分かる。

 しかし、そもそも雲は何かを考えたりするのだろうか。「雲は考え過ぎないけど、太陽っていつも考え過ぎてるよね」とはならない。

 解析のヒントは、雲が「夕焼けに」舞っているという部分にある。これは、雲が夕焼け空に赤く染まっている光景を表している。主人公が自身を雲になぞらえているのだから、当然太陽は彼女である。これは平塚らいてうの「元始、女性は太陽であった」からの引用だろう。

 主人公が、今回の失恋によって彼女に対して「太陽である貴方の周りを、雲のように形を変えながら貴方の色に染まっていつまでも漂っていたい」という自分自身の深層心理にここで気がついたという事が、この文章の本来の意味なのだ。そして大サビだ。

今となれば
嘘のつけない大きな声や
家事に向かない荒れた手のひらも
君を形成(つく)る全ての要素を
愛してたのに
心変わりを責めても君は戻らない

 ここでは彼女の声と体のパーツの好きな部分を更に追加している。それだけ深く彼女を愛していたという事だ。そして、前編で説明した通り、「心変わりを責めても」とあるが、これは彼女に対してではなく自分自身に向けた批判である。主人公は、どれだけ反省してももう手遅れであるということを受け入れたのだ。

いつか街で偶然出会っても
今以上に綺麗になってないで
たぶん僕は忘れてしまうだろう
その温もりを
愛しき人よ さよなら

 街で偶然出会うなどと言っているが、主人公は彼女と出会う可能性がある場所であれば常に彼女を意識し続けるのだ。無意識のうちに彼女と偶然出会えるような場所に足を向けてしまうこともあるだろう。

 つまり、主人公はまだ諦めていない。今回の失恋はリカバリが利かないとしても、一旦リセットして再起動すれば、もう一度インストールできる可能性がある事に気がついたのだ。

 とすれば、「今以上に綺麗になってないで」の意味は「自分以上のスペックの男性と付き合わないで。再インストールの可能性がなくなっちゃうから」というふうに受け取れる。しかし、それだけだろうか。

 ここにも桜井マジックにより塗り込められた隠された意味があるのだ。

 それは、一番の歌詞で解析した「顔のわりに小さな胸」の一件である。主人公は、本当はどストライクな部分なのに照れ隠しでついつい彼女に対して「欠点」としいじってしまった。鼻にかかる声、荒れた手のひら、嘘のつけない大声も同様だ。これらを彼女が本当に欠点の指摘だったと受け止めて、より素敵な男性と出会うために改善してしまったらどうなるだろう。主人公が大好きな彼女を形成する要素が減少してしまう。これはいつかよりを戻そうとしている主人公には大きなリスクとなりうる。

 であるからこそ、らそれらをそのままにしておいて欲しいという願望が「今以上に綺麗になってないで」なのだ。ここを「キレイ」という女の子としての可愛さではなく、整った様を表す漢字の「綺麗」をあえて用いている事からも分かるだろう。

 そして、主人公が忘れてしまうのは、自分に別れを告げた「今現在の彼女」だ。「その温もり」とは彼女との思い出の事であり、それと決別することで彼女との関係を再稼働しようとしている。ここでの「さよなら」は過去に対しであり、また過去を引きずる自分へのさよならでもある。

何も語らない君の瞳も いつか思い出となる
言葉にならない悲しみのトンネルを さぁくぐり抜けよう

 これまで見てきたように、主人公は必死に思いを巡らせて心の整理をつけた。が、それであっで別れを受け入れた直後というのは悲しみに暮れるものだ。

 しかし、未来への希望を見出した主人公は、今目の前にある悲しみもいずれ良い思い出になるのだと感じている。

 「何も語らない」で始まった歌が、「言葉が足りない」と言われて、君の「少し鼻にかかるその声」や「嘘のつけない大きな声」を愛していたのに別れる事になり、毎晩眠りにつく前に「電話」で話した思い出も胸にしまって、やっと「言葉にならない」悲しさを乗り越えていくというゴールを迎える。

 これほど人の声にこだわって展開する愛の歌はあまり記憶にない。桜井氏は、この歌を通して、思いを伝える事の大切さと難しさを訴えかけてきた。言葉はとても大切だが、それでも言葉だけでは伝わらないことはたくさんあるし、重要な事ほど言葉だけでは伝わらないという事も示唆している。

 主人公はこれだけ彼女の声を愛していたのに、最初と最後の2度に分けて彼女が「何も語らない」とわざわざ念押ししているという部分も、「大切なことは2回言う」システムが効果的に機能している典型的な事例だといえる。

 以上のように、Mr.Children「Over」は失恋ソングとしてではなく、恋愛の教科書、女性に対する意思伝達のマニュアルとして読み解くべきであるというのが今回の解析の結論である。異論は当然認める。

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