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「藝人春秋2、3文庫版」と私

※こちらは書評になっていないような気がするのでエッセイとしご紹介致します。書評はこちらです↓

https://note.com/onochannel/n/n6ff04395834a

 私の親戚のおじさんが本を出した。なのでそのおじさんの本と私の関わりについて書こうと思う。

 おじさんに聞いた。「書評と読書感想文の違いってなんですか?」

 おじさんは少しの間があって、こう教えてくれた。

「書評は、その文章自体にも芸術性や文学性があるんだよ。」

 藝人春秋はこれまで3作が出版されているが、1作目と今回の2,3作目で大きく異なる点がある。

 1作目は著者が「芸能界に潜入したルポライター」として書かれているが、今作では「芸能界に潜入したスパイ」という設定となっている。いや、「設定」という言葉は適切ではないかもしれない。「芸能界に潜入したスパイが、その存在がバレてしまった後の手記」として書かれているというほうが適切である。

 読んで字の如くではあるが、ルポライターとはルポルタージュを執筆する者のことである。

 では、ルポルタージュとはどのようなものであるか。ルポタージュとは「現地で取材した記録に基づく記録文学」である。綿密な取材に基づく詳細な記録を客観的な視点で叙述したものだ。

 ルポタージュの定義をより明確に理解するには、「ルポライターとジャーナリストの違い」を考えるとよい。ジャーナリストの仕事とは、事実に基づいて「自己の意見を主張する」ことである。ルポライターとは客観的な視点で書く人であり、ジャーナリストは主観性で書く。

 では、「スパイ」とはどのような存在なのか。スパイというのは「誰かに雇われて諜報活動をする者」の総称である。諜報活動とは、秘密裏に情報を収集する活動であるが、広義には敵対する相手が不利になるような情報を流すことも含まれる。

 つまり、客観的に事実を取材する「ルポライター」と、依頼主の為の諜報活動として情報を収集する「スパイ」とは真逆の立場であるのだ。

 ついつい「藝人春秋」というタイトルにつられて一連のシリーズものとして受け取ってしまうが、本質として「藝人春秋」と「藝人春秋2,3」は正反対の立場から書かれたものなのだ。

 「藝人春秋2,3」において最も大切なことは、著者・水道橋博士がどのような存在として書いているか理解して読み進めることなのだ。「芸能人が書いた、芸能交遊録」として読んでしまうと、正直に言って違和感がありすぎるのだ。読み進めていくうちに心の中に重しが生まれて徐々に重量を増す。しかし、スパイの報告書として読むと、見え方が大きく変わってくる。

 ここで大きな疑問が生まれる。なぜ「ルポライター水道橋博士」は「スパイ・水道橋博士」に転職したのだろうか。ルポライターとしてトップクラスの成功を収めているのは周知のことである。いまさら生命を危険に晒してまでスパイになる必要がどこにあるのだろうか。

 まして私は思う。「ジャーナリストになればよいではないか」と。もちろんジャーナリストも命懸けの仕事であるが、危険性においてはスパイの比ではない。スパイとは活動自体が「非合法」であり、存在自体が否定されるような職業だ。なぜ今回スパイになったのか。

 私は現在、水道橋博士の運転手「ハカセードライバー」を務めている。まだ2か月少々のお付き合いでしかないが、水道橋博士を身近に知る者のひとりであるという自負はある。それなりにお互いの人間性に踏み込んだ会話をしているつもりだ。

 単行本の「藝人春秋2上下巻」の発売時には水道橋博士と私の接点は皆無であった。芸能事務所にも所属していない「お笑いライブにたまに出演する変わり者の社長」として、ひとりのファンとして読んだ。だから、その時にはどうして博士が「スパイ」として書いたのかが全く理解できなかった。

 しかし、普段の水道橋博士を知ることで簡単に謎が解けた。博士はそもそもが「スパイ」であり、世を忍ぶ仮の姿が「芸能界に潜入したルポライター」だったのだ。実に明快である。情報収集をしていても全く違和感がない。自分自身が芸能人として活動していれば、多くの著名人に簡単に接近することができる。

 カツラKGB「カツラ(K)ガンガン(G)バラす(B)」などは、まさに自分自身をスパイだと名乗ることで、本当にスパイなわけが無いと世間に思わせる、実に巧妙な印象操作だ。

 「水道橋博士は最初からスパイだった」という目線で考えると、水道橋博士が芸能界に入ってから今日に至るまでの一連の活動がすべて腑に落ちる。

 みなさんにも考えていただきたい。芸能界で成功して、芸能界で飯を食っていこうとする者が、なぜこれだけたくさんの不祥事を起こすのだろうか。まして、芸能界で一定の成功を収めたうえで、順風満帆の芸能人生を送っているにも関わらずだ。出身地倉敷市で神童と呼ばれた秀才ならば、不祥事によるダメージの大きさなど当然理解している。また、水道橋博士の周りにいる人々はみな口を揃えて言う。「水道橋博士は良い人」であると。

 良い人は不祥事を起こさない。良い人はすぐにSNSが炎上しない。

 つまり、すべては本来の意味での「確信犯」として行われており、なんらかの目的を達成するための手段にすぎないのだ。

 ところで、こんな話を聞いたことがある方も多いのではないだろうか。

「秘密を守るためには、秘密を教えない」

 スパイ小説などで、スパイが敵に捕まって拷問されても秘密を洩らさないよう「本来の役割を本人に教えない」という手法をとるというのを読んだことがないだろうか。また、スパイが自己催眠をかけることで「自分自身がスパイであることを忘れる」というシーンなどもわりとある。

 つまり、水道橋博士は自分自身がスパイであることを、最近まで気が付いていなかったのだ。「芸能界に潜入したルポライター」というのは、博士の雇い主が博士にかけた暗示であり、心理操作だ。。水道橋博士は自身がそうと気が付かないまま、様々な諜報活動を行ってきたのである。

 私の予想に過ぎないが、おそらく単行本「藝人春秋2」の執筆時に、博士はまで自分がスパイであることに本当は気が付いていなかったのではないかと思う。

 しかし、自分自身を「芸能界に潜入したスパイ」として執筆をしているうちに、気が付いたのだ。自分自身が本当にスパイであることに。今までのすべてが雇い主による操作であり、まったく自覚が無いまま、自分自身の意思決定として極めて自然に芸能活動という名の「諜報活動」をしてきたことに気が付いてしまった。

 文庫版では、藝人春秋2の解説をダースレイダーさんが、3の解説を町山智浩さんが書いている。解説として異例の1万字という量である。水道橋博士は、藝人春秋2と3が「フリとオチとして対になっている」としばしば発言しているが、解説も「対」になっている。

 ダースレイダーさんの解説は、あくまで「本当にスパイである」という自覚のない状態の水道橋博士の目線で書かれており、町山さんの解説は「自分は本当にスパイだった」と気が付いた後の水道橋博士の目線で書かれている。そういう視点から読み込むと、もう一つ深い藝人春秋の存在意義を知ることとなる。

 ところで、水道橋博士はいつスパイになったのだろうか。本人の自覚がないままスパイを作り上げるなど、本当に可能なのだろうか。

 映画『メン・イン・ブラック』のように、記憶を消す便利な装置など現実にはあり得ない。しかし、都市伝説でこんな話を見聞きしたことがある。

 「ある日新聞に、意味の分からない文字が羅列された広告が掲載される。それは一定以上の知能指数を持った者だけが解読できる暗号であり、その暗号を解くと別の情報にアクセスできる。すると、次の情報もまた暗号であり、それを解いて次に進む。そして最終的にたどり着く先は国家の諜報機関であり、スパイに採用される」

 つまり、スパイというのは適性がなにより重要であり、適性を持った者を徹底的に鍛えて諜報活動に従事させるのだ。

 では、水道橋博士はどのようにして選抜されたのだろうか。そういえば、スパイというのは少年期からその適性を見抜いてスカウトされるという。

 水道橋博士が少年の頃。深夜に電波でそのような適性を見抜くためのテストが送信されていたという噂を聞いたことがある。その電波では、速射砲のように言語が発信され、日本中の若者がそれを耳にしていたらしい。

 しかし、本当のメッセージに気が付く者はごくわずかだったという。もちろん、その速射砲は言語の表面だけを受け取っても十分に刺激的であり少年たちの心を捉えるものであったようだ。

 倉敷に住む小野少年は、無意識のうちに気が付いたのだ。そのメッセージの本質にある暗号の答えに。そして少年は東京に向かって本格的に諜報活動に従事する。

 そう捉えることで、水道橋博士の全ての行動に説明がつく。

 小野少年は「水道橋博士」というコードネームを得て諜報活動を活発に行ってメッセージを発信していた。その頃、千葉県にもまた小野少年がいた。小野少年は、水道橋博士が発信する暗号に当時は気が付かなかった。しかしそのメッセージが潜在意識に残っていたのだろう、それから20年を経て諜報機関の門を叩いた。

 いや、これは時限装置による遠隔操作だ。20年という長い時間をかけて発動する、実に巧妙な暗示である。

 ちなみに、その諜報機関の現在のトップはソビエト大使館とも深い関わりがあるらしい。また、ナンバーツーは諜報員達に日々様々な「指令」を出しているが、あまり成果が上がっていないとも聞く。

 ここまで読んでいただいた方には、このような疑問が湧き上がるのではないだろうか。

 「諜報活動なのに、誰でも読めるインターネット上にそこまで内幕を書いて、いいんかい?」と。

 それは、現時点で私にも分からない。そもそも、上記は「個人の見解」に過ぎないし、物的証拠は一つもない。しかし、状況証拠としてはすべてつじつまが合う自信はある。

 「事実と真実は異なる」とよく言われるが、特に芸能界とプロレス界においてそれは顕著である。では、藝人春秋はそのどちらなのか。一見すると事実の羅列であるのだが、著者がスパイであるので、そのまま素直に受け止めることはできない。著者本人が知覚していない、潜在意識下における情報操作の可能性をぬぐえないのだ。

 ちなみに、私が自覚している自身の立場は水道橋博士と出会うずっと前から「お笑い界に潜入したジャーナリスト」である。私が求めるのは「事実に基づいた真実」であり、使命は自分の信念を、真実に基づいて社会に発信することである。

 しかし、それさえも誰かから操作されて、そう思い込んでいるだけなのかもしれない。偶然が重なって得た「ハカセードライバー」という職業さえ、巧妙に仕組まれた物語の一部分であったとしても、何の不思議もない。

 思えば、私がハカセードライバーに就任するやいなや藝人春秋2,3が立て続けに刊行されるのも出来過ぎてはいないだろうか。昨年末まで、全く接点がなかったのにである。

 今気が付いた。私が諜報機関の門を叩くきっかけになった人物がいる。その人物は、私を水道橋博士の元に連れて行った人物でもある。

 そして、その人物は言っていた。「若いころラジオで聞いてドはまりしてさあ。学生の頃はずっとあの人のマネをしてしゃべってたから、その癖が抜けないんだよ」

 博士デジタル庁初代長官のS氏である。まさか、S氏も、、、

 ここまで書いて更に思い出したことがある。私は物心がついたころから首をかしげる癖がある。それは今も続いている。癖といっても、なにか首に違和感があってそれをほぐすためにやっているのだが、子供の頃よく母親に言われた。

 「癖になるから、そういう変なモノマネはやめなさい!!」

 モノマネ?ずっと私は不思議だった。見たこともない人をモノマネするわけが無い。母親がなぜそんな言い方をするのか不思議でならなかった。

 長じて、大学生のころ。わりとガニ股で歩く私が首をかしげる様子を見てバイト先の店長が言った。

 「小野君、大ファンなんだねえ。動きがそっくりだよ。普段からモノマネしてんの?」

 モノマネ?ずっと私は不思議だった。アルバイト中にモノマネするわけが無い。店長がなぜそんな言い方をするのか不思議でならなかった。

 さて、長くなったが最後に私自身の出自を書いておこう。

 私の祖父は倉敷の農家の長男であったが、家を継がずにビジネスマンとして全国を飛び回っていた。父も長男であるが当然農家に戻ることはなく、東京でビジネスをやっていた。私も長男なので、タイミングによっては倉敷で戦国時代より前から続く農家の跡取りであったかもしれない。

 ちなみに、祖父は第二次世界大戦中に軍隊に入って皇居の警備にあたっていたらしい。終戦も、皇居近くの地下壕で玉音放送を聞いたと言っていた。

 戦後の動乱期に、なぜ農家の長男が倉敷に戻って農家を継がなかったのだろう。食糧難の時代である。広大な水田を持つ農家に戻らない理由は何だったのか。そして、あえて全国各地に赴任する仕事をしていた事も不思議である。北海道、東京、仙台、大阪など各地を飛び回っていた。そして、多くを語らないうちに私が小学生の頃亡くなってしまった。

 そして現在、孫である私は親戚のおじさんの運転手をしている。そのおじさんはスパイであり、私自身もその諜報機関に仮所属している。

 この物語は完結するのか、はたまた、未来に続く長大な物語の一片に過ぎないのか。

 繰り返しになるが、私が自覚する私自身の職業は「お笑い界に潜入したジャーナリスト」のままである。今のところ。

皆さまの支えがあってのわたくしでございます。ぜひとも積極果敢なサポートをよろしくお願いします。