おもひでエッセイ「おみやげ」
五歳くらいのことだったと思う。
ぼくは家族旅行でグアムを訪れていた。
はじめて踏む異国の土地。見慣れぬ南国の景色に、きっと目を輝かせていたことだろう。
旅行の前から楽しみにしていたことがあった。それは、潜水艦に乗ること。
他の記憶はほとんどなく、潜水艦に乗ったこと、そして、そのあとの出来事だけは鮮明に覚えている。
潜水艦のツアーが終わって乗客が降りていく時、ひとりのおじさんがぼくを見ていた。シャツのボタンを留めず、豊かな毛に覆われた厚い胸板を見せつける、総白髪にサングラスのおじさん。潜水艦の船長だと思う。
「オヒ~ゲ」
ぼくの視線に合わせるよう、やや屈んで船長は言った。太い指は自身のひげを指していた。
「ムナ~ゲ」
今度は胸毛を指している。
なんのことか分からないぼくは、じっと船長の胸毛を見つめていた。
すると、船長はその胸毛を掴み、勢いに任せて数本抜き取った。唖然としているぼくの目の前にそっと差し出し、白い歯をみせてニッ、と笑った。
「オミヤ~ゲ~」
ぼくは感動し、船長のおみやげを受け取った。それがぼくの、はじめての異文化交流だった。大げさかもしれないが、このおみやげは、ぼくにとっては日米友好の証だった。
船長に別れを告げ、母のもとへ駆け寄り、船長との心温まる親交について拙い言葉で説明した。話を聞き終えた母は、ぼくの手のひらに目をやるや、キッと表情を変え、
「汚ねぇから捨てろ!」
と一蹴した。
抵抗虚しく、ぼくは泣く泣く船長のおみやげを手放した。
日米友好の証は、ひとえに、風の前の胸毛におなじ。
風に舞って消えたおみやげに後ろ髪を引かれる思いで、ぼくはグアムを後にした。
あれから三十年ちかく月日が流れた。
ぼくも三十路を過ぎて、いつの間にかおっさんになってしまった。
船長は元気だろうか。
まだ、潜水艦の船長をしているのだろうか。
日本人の子供相手におみやげをあげているのだろうか。
もし、そうだとしたら、彼のおみやげは残っているのだろうか。
そのうちグアムを尋ねてみようか。
船長に会えたら、今度はぼくがおみやげを渡したい。
でも、ぼくには胸毛がない。
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